福島第一原発4号機問題 教え子の感想
教え子(というより友)より来信したばかりのメール。本動画を多くの人に見て貰うためにも、この激しく共感する書信を許諾なしで公開する。――すまんな、S君。これも僕という人間と繋がった運命と諦められよ――
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先生、今朝、件のyoutubeを拝見しました。
太陽から届くエネルギーと生来の栄養摂取機能だけでは飽き足らず、自然界からエネルギーを好きなだけ抽き出して自らの快適と安楽のみを追求し、個体数の爆発的増加を記録したこの生物種は、もうカタストロフを待つのみなのかもしれない。自分の中のヤケッパチな気持ちをできるだけ排除して冷静に考えても、こんなふて腐れた言葉が出てくるようになりました。
『国民生活を守ることの第二の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ちゆきません。』
経済的な影響は大きいのかもしれない。それが企業の倒産や失業を増加させ、ひいては国の経済と国際間の政治経済バランスを喪失させ、却って人々の実生活に直接降りかかる深刻で厄介な問題を次々に引き起こす可能性があるのかもしれない。このことだけに事を限定すればの話ですが、それを懸念する道理はあると思いますし、そういう人々が大勢いることも十分理解できます。
しかしここで、「人間らしい」という言葉を安易に遣うのだけは、実に気に食わない。素直に「便利な」と言えばいい。私がまだ小さかった頃。通りかかった納豆屋のリアカーをやり過ごすまいと、母の遣いで硬貨を握り締め、父の下駄を突っかけて玄関を飛び出したあの日。家の前の砂利道で大きな石に躓き膝を擦りむいて泣いたあの日。軒から落ちる雨垂れが軒下の地面を少しずつ穿っていく様子を、窓から身を乗りだしていつまでも眺めていたあの日。生温かくて甘臭いバキュームカーのにおいを嗅ぎながら、時折ビクンビクンと震えるその太いホースの上に立って遊んだあの日。自家用車やエアコンや冷蔵庫はなかったし、十分に衛生的でもなかったけれど、今より「人間らし」くなかったのだろうか。母や父や妹や、祖父や祖母の生活は、今より「人間らし」くなかったのだろうか。
手塚治虫の「火の鳥」未来編に出てくるナメクジ文明を、私はいつも思い出します。
S生
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さっき送った僕の返信:
店主がモノになると思うものは即出版致します。
但し、印税は後日、酒で払います。
書肆淵藪店主敬白
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