耳囊 卷之四 澤庵漬の事
澤庵漬の事
公事によりて品川東海寺へ至り、老僧の案内にて澤庵禪師の墳墓を徘徊せしに、彼老僧、禪師の事物語の序(ついで)に、世に澤庵漬と申(まうす)事は、東海寺にては貯漬(たくはへづけ)と唱へ來り候よし。大猷院樣品川御成にて、東海寺にて御膳被召上(めしあが)られ候節、何ぞ珍ら敷(しき)物獻じ候樣御好みの折柄、禪師何も珍物無之(これなく)、たくわへ漬の香物(かうのもの)ありとて香物を澤庵より獻じければ、貯漬にてはなし澤庵漬也との上意にて、殊の外御賞美ありしゆへ、當時東海寺の代官役をなしける橋本安左衞門が先祖、日々御城御臺所へ香の物を、靑貝にて麁末成(そまつなる)塗の重箱に入て持參相納(もちまゐりあひおさめ)けるよし。今に安左衞門が家に右重箱は重寶として所持せしと、彼老僧のかたり侍る。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせないが、古事由来談として、断絶的とは言えない。
・「澤庵漬」ウィキの「沢庵漬け」によれば、『東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるとして、沢庵ではなく「百本」と呼ぶ』とし、『沢庵和尚の墓の形状が漬物石の形状に似ていたことに由来するという説』、『元々は「じゃくあん漬け」と呼ばれており「混じり気のないもの」、あるいは、「貯え漬け(たくわえづけ)」が転じたものであり、後に沢庵宗彭の存在が出てきたことにより、「じゃくあん」「たくわえ」→「たくあん」→「沢庵和尚の考案したもの」という語源俗解が生まれたとも』ある。何れにせよ、本話が記されたであろう寛政九(一七九七)年頃、十八世紀には『江戸だけではなく京都や九州にも広がり食べられていた』とある。『日本における伝統的な製法では、手で曲げられる程度に大根を数日間日干しして、このしなびた大根を、容器に入れて米糠と塩で』一ヶ月から『数か月漬ける。風味付けの昆布や唐辛子、柿の皮などを加えることもあ』り、『大根を日干し、塩を加えて漬けて水分を減らす事によって大根本来の味が濃縮され、塩味が加わり、米糠の中に存在する麹がデンプンを分解して生ずる糖分によって甘味が増すとともに』、『米糠の中に含まれる枯草菌の産出物によって、ダイコンは徐々に芯まで黄色から褐色に染まる』っていく(現在のものは多くが着色料・甘味料を用いている)。
・「東海寺」「澤庵禪師」などについては「耳囊 卷之一 萬年石の事」の私の注を参照。
■やぶちゃん現代語訳
沢庵漬の事
公事によりて品川東海寺に参ることが、これあり、事務方も一(ひと)段落したによって、老僧の案内(あない)にて沢庵禪師の墳墓の辺りを逍遙致いた。その折り、その老僧が禅師の逸話を物語って下された中に、御座った話である――
……世に『沢庵漬』と申すもの、これ、東海寺にては『貯漬(たくわえづけ)』と唱えて参って御座るものじゃ。……
……大猷院家光様が品川にお成りの砌り、東海寺にて御昼食の御膳をお召し上がりになられましたが、
「何ぞ、これ、珍しきものを、献ずるよう。」
とのお好みにて、沢庵禪師は、
「――禅刹なれば、何も珍しきものはこれ、御座らぬ――お口に合いますものかどうか――当寺伝来の貯え漬けの、香の物なればこれ、御座る。」
と、その香の物を沢庵より直々に献じ申し上げたところ、
……ポリ……ポリリ……ポリポリポリ……
「……これは、何と! 美味ではないか!……沢庵!……これは、『貯え漬け』では、なかろう! 『沢庵漬』、じゃ!」
と、殊の外、御賞美遊ばされた故――只今、東海寺代官役を致いておられる橋本安左衛門殿の御先祖が――翌日より毎日、御城御台所方へ――寺に御座った青貝細工の、献上には聊か粗末なる塗りの重箱にこの、『沢庵漬』、を入れて持ち参り、お納め申し上げて御座った由にて御座るとのこと。……
……今に、安左衛門殿の橋本家には、家伝の重宝と致いて、この重箱が、御座る由に御座る。……
……と、かの老僧が語って御座った。
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