耳囊 卷之四 怪妊の事 又は 江戸の哀しいピノコ
怪妊の事
松平姓にて麻布邊の寄合の家來、娘ありしが、いつの此よりか懷妊して只ならぬ樣子也しが、其性質(たち)隱し男抔有べき人物にあらず、父母の側を朝暮立(たち)はなれず、心をよすると思ふ男もなければ、家内大に怪みて右の娘に色々尋問(たづねとひ)しに、いさゝか覺なしと神にかけ佛に誓ひて申けるが、寬政八年の四月は臨月に當りしが、近き此は腹中にて何か物いふ樣成(やうなる)樣子にて、其言語などわかたずといへども、彼娘が腹中の物音は相違なしと人の語りしが、程なく出產もなしなばいかなるものや産れけんと、人々の怪しみ語りしを爰に記ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:怪異譚連関。本話が事実(出産までが)とすれば、まず普通なら
●家内の者との密通(父親との近親相姦を含む)
を考えるであろうが(後半の叙述からは想像妊娠は考えにくい)、どうも『腹中の物音』というのが気になってくる。この箇所に限るなら、一つは所謂、
●意識的詐欺の心霊現象としての思春期の少女に多い腹話術による似非霊言
という解釈が挙げられるが、ここに彼女の妊娠が時事実であるとするならば、より厳密に言えば、
●未婚妊娠という不道徳な結果に対する呵責から生じたストレスによる神経症やノイローゼを主因とした、半意識的(若しくは非意識的)詐欺としての腹話術による詐術を伴う非社会的行動
とも言えようか。いや、一つの見方は前提に戻って実は、
★妊娠ではない
という観点に立ち戻るなら、
●難治性の便秘によって腹部が膨満、更に大腸がそのために鳴って(私はIBS(大腸症候群)であるが、時に驚くべき音を立てて腹が鳴る)それが人語の様に聴こえる
可能性が疑えるかも知れない(便秘の場合に腹が鳴るかどうかは私自身が便秘の経験がないために分からぬが、便秘で妊娠したように以上に腹部の膨満は起こる。法医学書で、重度の便秘のために腸閉塞を起こして密室の自室で亡くなった死亡直後の、若い女性の検死資料を実際に見たことがあるが、腹部が妊娠したように膨れていた)。
そもそもが叙述の最後は、出産した子供が、死産だったのか、普通に生まれて成長したのかが明記されていない。いや、出産自体がなかった可能性もある。故に、
×全くの流言飛語
でしかなかった、とも勿論、言えるわけであるが、地域と主家の姓名まで明らかにしている噂話というのは、全くのモデルなしとは思われない。そこでまた考えられるのは、出産(若しくはと目された現象)によって、娘からひりだされたものが、今言ったような実は子供ではなく、
・多量のカチカチになった固形便
であったという(前述のように死に至る場合もあるから)不謹慎ではあるが、一種の筒井康隆的オチであったという顛末、いや、全くネガティヴに採るなら、
・悲惨な奇形児であったために処置された
可能性などが考えられる。
ただ私はやはり気になるのである。『腹中の物音』である。私はそこに最後の、もう一つの可能性、
●一卵性双胎の両児が癒合した非対称性二重体(寄生性二重体)――畸形嚢腫
であった可能性をも挙げておきたいのである。彼女の体の中に、彼女の姉か妹がいたのである。これは医学的にも実際にあることはご存じだろう。そう解釈すると、貞節な箱入り娘で性交や性的虐待(実際の性行為を行なっていなくても、擬似的性行為が続けられた結果、妹に妊娠させてしまったという海外での近親相姦ケースを披見したことがある)の事実が認められない本話の細部の不可解さが、払拭されるように思われる。
――そうして、私が本話からそれを連想した動機が何かを、もう、分かっている方もおられるであろう。そう、その通り、
☆ピノコ
である。手塚治虫先生の名作「ブラック・ジャック」の、あのピノコである(私はアトムで育った人間である。アトムに育てられた人間である。生涯に「先生」と心から呼べる人が私にいるとすれば、それは間違いなくこの方を嚆矢とするのである)。第十二話「畸形嚢腫」で、その姉の体内からテレパシーでブラック・ジャックに語り掛け、生存を要求するピノコである。……『腹中の物音』……これこそ実は
●異形のものとして闇に葬られた『江戸の薄幸のピノコ』
だったのでは、あったのではあるまいか?……
・「寄合」原則的には三千石以上一万石以下の上級旗本で無役者の家格。但し、それ以下であっても六位以上役職にあって何事もなく勤め上げた者も含まれた。旗本寄合席とも言うが「寄合」が正式名称である。
■やぶちゃん現代語訳
奇怪な懐妊の事
松平姓を名乗って麻布辺りに住んで御座った寄合の方の、その家来に娘が一人あった。
この娘が、こともあろうに、誰も知らぬうちに忽ち懐妊、その腹の膨れゆくを見れば、これ、誰もが紛うことなき、と端(はた)にても噂致いておったのじゃが……
……この娘、これまた、その人柄から言うても、秘かに関係するような男がおるといった人品の者にては、これなく……
……また、父母の傍(そば)から一時たりとも離れたことも、これ御座なく……
……いや、そもそもがじゃ、妊娠の最も疑われるような――心時めかしておると言うた――身をも許さんとするような真犯人の男がある――とも、これ、とんとまあ、思われぬ体(てい)の娘なれば……
……家内(いえうち)にも大いに怪しみ、嘆き、憤り、父親(てておや)は娘を面前に引き据え、殊の外、厳しく強うに、問い質いて御座ったのじゃが、
「――神かけて! 仏に誓(ちこ)うても! 聊かも、これ、覚え――御座りませぬ!――」
と、娘もまた、気丈にきっぱりと、身の潔白を訴えて御座った。……
……寛政八年の四月には臨月を迎えるとの噂で御座ったが……その、臨月も近(ちこ)うなったこの頃の噂では、
「……いや、何と、腹の中から……何かが、奇体に……ものを言うような様子で御座って、の……尤も、それが何を言うておるかは、これ、判然とは致さぬ。とは言え……これ、確かに、その娘の……その腹中から……響ききたる物音に、これ、相違御座らぬのじゃて!……」
とは、私の知れる人の直談で御座る。
この娘、指折り数えてみても、もう、程のう、出産を迎えんものと存ずるが……さて、一体、如何なる『もの』が生まれ来るものか……とは、頻りに人々の怪しみ噂致すことにて御座る故、とり敢えず、ここに記しおくことと致いた。
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