生物學講話 丘淺次郎 六 泥土を嚥むもの~(2)/了
乾いた材木を食ふ蟲なども、隨分多量に食物を取らねばならぬ。簞笥の桐の木を食ふ蟲、柳行李の柳や竹を食ふ蟲なども、屢々人を困らせるものであるが、その食物は滋養を含むことが至つて少ないから、小さい蟲ながら常に食ひ續けるために、その害は存外に甚しい。かやうな蟲に食はれた簞笥や柳行李を擲くと、際限なく木材の粉が出て來るが、これは皆一度蟲の腹の中を通過した糞の乾いたものである。木造の建築に大害を及ぼす白蟻も、食物に滋養分が乏しいために多量にこれを食ふので害も頗る甚しい。港の棧橋の棒杭などは「わらじむし」に似た小さな蟲に盛んに食はれるが、これなども絶えず食ひ續けるから忽ち棒杭を孔だらけにして弱らせる。この蟲は往々海底電信の被ひ物を囓つて害を及ぼすことがあるが、常に堅い材木を食ふために強い顎を具へて居るまら、かやうなことも出來るのであろう。
[やぶちゃん注:「乾いた材木を食ふ蟲……」鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目ヒラタムシ下目ゾウムシ上科キクイムシ科(ゾウムシ科キクイムシ亜科とも)Scolytidae に属する昆虫の総称。成虫・幼虫ともに一ミリメートル前後から大きくても数ミリメートルで、木材への穿孔生活に適応して短い円筒形である。日本産は少なくとも三〇〇種以上で、『その名の通り、基本的に成虫・幼虫とも樹木の材を食べる。材の中や樹皮の下に細い巣穴を掘って生活しているが、ほとんどの種が多かれ少なかれ菌類と共生して材の栄養摂取を行っており、甚だしいものはアンブロシアビートル(養菌性昆虫)と呼ばれ、材中に掘った坑道の中に植えつけた共生菌類(アンブロシア菌)のみを食べて生活する』(参照したウィキの「キクイムシ」より引用)。アンブロシア菌は菌類子嚢菌門
Sordariomycetes 綱 Hypocreomycetidae 亜綱
Microascales 目 Ceratocystidaceae 科に属する
Ambrosiella spp.。
『港の棧橋の棒杭などは「わらじむし」に似た小さな蟲』以下の図のキャプションで「船食蟲」と示されるものは残念ながらフナクイムシではない。材木への穿孔という条件からは、丘先生は節足動物門甲殻亜門軟甲綱等脚(ワラジムシ)目有扇(コツブムシ)亜目スナホリムシ科 Cirolanidae のスナホリムシ類を掲げたつもりと考えられるが、代表的なニセスナホリムシ Cirolana harfordi japonica としてもやや形状が異なるように見受けられる。いずれにせよ、この「船食蟲」の挿図は生物学的には不適切である。何故なら、真正のフナクイムシという標準和名は、二枚貝綱異歯亜綱ニオガイ上科フナクイムシ科 Teredinidae に属する海産の貝類を指すものだからである。本邦産フナクイムシは十一属を数えるが、中でも Teredo 属がよく見られる。殻は球状で殻頭は小さな三角形を呈し、そこと殻体前部との間には細い肋があり、その上部は鋸歯状となっている。殻体と殼翼とは喰い違っており、殻頂からは棒状の突起も出ている。石灰質の棲管を作り、主として木材に穿孔、木造船や海辺に設置された木造建築物などに甚大な被害を与える。軟体部は非常に細長く、穿孔口の水管の出る部分に栓の役割を持つ尾栓があって、これが種によって矢羽・麦穂状などの多様な形態を示すため、それが分類の目安とされる。ウィキの「フナクイムシ」には『水管が細長く発達しているため、蠕虫(ぜんちゅう)状の姿をしているが、二枚の貝殻が体の前面にある。貝殻は木に穴を空けるために使われ、独特の形状になって』おり、『その生態は独特で、海中の木材を食べて穴を空けてしまう。木材の穴を空けた部分には薄い石灰質の膜を張りつけ巣穴にする。巣穴は外に口が空いており、ここから水管を出して水の出し入れをする。
危険を感じたときは、水管を引っ込めて尾栓で蓋をすれば何日も生きのびることができる』。『木のセルロースを特殊な器官「デエー腺」(gland of Deshayes)中のバクテリアによって消化することができる』とある。スナホリムシ類が木材を食害しないわけではないが、フナクイムシとは比較にならない。尚且つ、二枚目の「船食蟲の害」とする写真は、徹底的に食害された木材の一部に明らかな穿孔状の太い穴の跡が見られ、これはスナホリムシによるものではなく、明らかに真正のフナクイムシによるものとしか見えないのである。なお、この一連の疑義は私のオリジナルなもので、講談社学術文庫版(昭和五六(一九八一)年)にも一切問題にされていない。これは私には不審である。もしも私の疑義が不当であると主張される方は、是非、議論したい。お待ちしている。]
[船食蟲(廓大圖)][やぶちゃん注:キャプション誤り。前注を必ず参照のこと。]
[船食蟲の害][やぶちゃん注:前注を必ず参照のこと。]
以上述べた通り、動物の餌の種類とこれを食ふ方法とには、種々異なつたものがあるが、如何なる方法でどのやうな食物を食ふとしても、絶對に安樂といふものは決してない。滋養分に富んだ餌を食はうとすれば競爭が劇烈であり、滋養分に乏しい食物で滿足すれば日夜休まず食ふことのみ努力せねばならぬ。食物が不足なれば餓に苦しまねばならず、食物が十分にあれば盛に繁殖する結果として忽ち食物の不足が生ずる。草食すれば餌が豐な代りに他動物に襲はれる心配があり、肉食すれば餌の供給に際限があるため、繩張りの區域を定めて隣のものと對抗せねばならぬ。進んで餌を求めれば體を動かすから腹が減り、止つて餌を待てば、いつ滿腹するを得るか見定めがつかぬ。されば如何なる生物も生まれてから死ぬまで、それぞれ特殊の方法によつて餌を求め、他と劇しく競爭しながら辛うじて生命を繼續して居るのであつて、安樂に暮らせるといふ保險附の生物は一種たりともあるべき筈はない。このことは生物の生活狀態を觀察するに當つては、一刻も忘れることの出來ぬ重大な事項である。