耳囊 卷之四 雷を嫌ふ者藥の事 / 耳囊 卷之四 根岸鎭衞 やぶちゃん注訳注 完
雷を嫌ふ者藥の事
予が一族の内に小普請組石河(いしこ)壹岐(いき)守支配有りしが、右相(あひ)支配に多門孫右衞門といへる人の家傳に、雷を嫌ふ者へ與ふる藥あり。尤(もつとも)呪法同樣の藥にて、雷のする時心穴(しんけつ)へ當(あつ)る事の由。奇怪のやう成るが、畢竟其心を定め靜(しづむ)るの藥のよし。嫌ひしものへ與ふるに驗妙ありと人もいゝける由。予が一族も彼藥貰ひしと語りしを爰にしるし置ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。二つ前の「痔疾呪の事」に続き、「卷之四」は本巻に多く見られる呪(まじな)いシリーズで大団円となった。最初の「耳へ虫の入りし事」は今の我々から見れば、立派な医学的処置であるが、当時の感覚ではこうした医療処置と呪(まじな)いの類の明確な線引きはなく、医術も広義の呪術と考えてよいから、本巻は巻頭掉尾に呪術群があって綺麗な額縁を形成していると言える。なお、本話は根岸も指摘している通り、一〇〇%典型的プラシーボである。なお、当初、話柄の中間部は、その根岸の一族の者の直接話法にして訳そうと思ったのだが、ここには実はそれを聴いた後の根岸の冷静な分析が随所に含まれているため、かえっておかしな訳になってしまうことから、断念した。
・「石河壹岐守」石河貞通(宝暦九(一七五九)年~?)は底本鈴木氏注に、『天明五年(二十七歳)家を継ぐ。四千五百二十石。寛政元年小普請支配、九年西城御小性組小性番頭。』とある。ネット上には下総小見川藩第六代藩主内田正容(うちだまさかた 寛政一二(一八〇〇)年生)なる人物の記載に、彼の父を『大身旗本で留守居役を務めた石河貞通(伊東長丘の五男)の三男として生まれる』とする(例えばウィキの「内田正容」)。同一人物と考えて間違いあるまい。「寛政譜」を見ると石河(いしこ)家は清和源氏頼親流石河冠者有光を祖とし、関ヶ原で東軍についた貞政以降は嫡流が常に「貞」を名に使用している模様である。
・「多門孫右衞門」不詳。因みに多門氏は嵯峨源氏渡辺綱を祖と称し、三河国額田郡大門に住し、大門を名乗ったが、後に多門氏に改姓したとする。二人とも姓がそれほどオーソドックスではないので、嫡流家系について示しおいた。
・「心穴」漢方で「心穴」というと、左右の掌側の中指の指先に近い方の関節中央に位置するツボをいうが、呪物を当てるには如何にもな場所である。岩波の長谷川氏の注、『心窩と同じく、みぞおちをいうか。』に従う。
■やぶちゃん現代語訳
雷を嫌う者の妙薬の事
私の一族の内に、小普請組石河(いしこ)壱岐守貞通殿御支配の者が御座るが、彼の言によれば、彼の同僚に多門孫右衛門という者がおり、その多門家に、家伝として『雷を嫌う者へ与えるに効ある薬』なるものがある由。
尤も全く古典的な呪法同様の薬で――雷が鳴っている際、その『薬』を、鳩尾(みぞおち)へ当てる――ということらしい。
如何にも奇怪(きっかい)なる話では御座るが――これ、よく効くのじゃそうな――畢竟、動揺する心持を鎮静致すところの心理的な効果を狙った類いの『薬』であろう。
雷嫌いの者へ与えると絶妙の効験(こうげん)ありと、専らの噂との由。
彼――私の一族であるかの者――も、その薬を貰ったと語ったので、ここに記しおく。
耳囊 卷之四 根岸鎭衞 やぶちゃん注訳注 完

