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2012/08/25

耳嚢 巻之五 水戸の醫師異人に逢ふ事

 水戸の醫師異人に逢ふ事

 

 水戸城下にて原玄養と一同(いつとう)、當時行(おこなは)れ流行なせる醫師の、名は聞違(たが)ひけるが、彼醫者の悴にて、是又療治を出精して在町(ざいまち)を駈歩行(かけありき)て療治をなしけるが、或日途中にて老たる山伏に逢しが、其許(そこもと)は醫業に精を入給ふ事なれば、明後日彼町の裏川原へ何時に罷越待(まかりこしまち)給ふべし、我等傳授いたし候事ありと言ける故、承知の旨挨拶して立別れけるが、一向知る人にも無之、名所(などころ)も聞ざれば如何せんと宿元へ歸り咄しけるに、夫は怪敷事也、いか成失(なるしつ)あらんも難計(はかりがたし)とて親妻子も止めける故、期に至りても行ざりしが、又明けの日途中にて彼山伏に逢し故、何故約束を違ひしやと申ける故しかじかの事故と斷りしに、又明け夜は必川原へ來り給へと期を約し立別れし故、宿元へ歸りてしかじかの事と語りて今宵は是非罷るべきと言ひしを、兩親其外親族など打寄、夫は俗にいふ天狗などゝいふものならん、かまへて無用也といさめ止めしかど、彼醫師何分不得心の趣故、其夜は兩親及び親族打寄て不寢(ふしん)抔して止めけるが、深更にも及び頻に睡(ねぶり)を催す頃、彼醫師密に眼合(まあひ)を忍び出て約束の河原に至りければ、山伏待居て五寸計(ばかり)の桐の新らしき小箱を與へける故持歸りければ、家内にては所々尋て立騷ぎ居し事故、大に悦びて如何成事也と尋れど、彼山伏人にかたる事なかれと切に諫ける事故くわしき譯も語らず。扨又箱の内に藥法を認(したため)し小さき書物あり。其奇效(きかう)尤(もつとも)と思はざるもあれど、右の内丸藥の一方を試に調合なしけるに、不思議なる哉(かな)、右丸藥を求めんとて近國近在より夥しく尋來りて、右藥を買求ける事誠に門前に市をなし、僅の間に數萬の德付けるが、其外の藥法ども見しが格別の奇法とも思われねば、絶て信仰の心もなく過(すぎ)しが、右は正二月の比の事也しに、三月とやらん近所へ療治に出しが、湯を立ける故入り給へと彼亭主の馳走に任せ、懷中物と一同彼箱入の書物も座敷に殘し置しに、勝手より火事出來て早くも彼懷中物差置し場所へ火移り、一毫(いちがう)も不殘(のこらず)焦土と成し故、彼醫師右の奇物を惜しみ火災の場所を搜しけるに、不思議に右桐の箱土瓦の間に殘り居し故、嬉しくも早々取上見しに、箱はふたみ共に別條なけれど、合口(あひくち)の透(すき)より火氣入り候樣子にて、箱の内の奇書は燒失けると也。右箱を頃日(けいじつ)江戸表水府(すいふ)の屋敷へ持參して、見し者ありけると人の語りける。寛政八年の春夏の事なるべし。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。著名な医師のその同僚のその倅という設定は、如何にもな古典的都市伝説のパターンである。なお、私には風呂を勧められる場面が今一つリアルでないと感じられたので、翻案した箇所があることをお断りしておく。

・「原玄養」原南陽(宝暦三(一七五三)年~文政三(一八二〇)年)の誤り。彼は名を昌克、通称玄与と称したので、この「玄与(げんよ)」を「南陽(なんよう)」の音と混同して勝手に漢字を当てたものであろう。水戸藩医昌術の子として水戸に生まれ、父について学んだ後、京都へ赴いて古医方や産術等を修得、安永四(一七七五)年、帰郷して江戸南町(小石川)に居住した。医書の字句や常則に拘泥せず、臨機応変の治療をすることで知られた。御側医から、享和二(一八〇二)年には表医師肝煎となった。著作に「叢桂偶記」「叢桂亭医事小言」「経穴彙解」、軍陣医書(軍医の戦場医術心得)の嚆矢として知られる「戦陣奇方砦草(せんじんきほうとりでぐさ)」や鼠咬毒について論じた「瘈狗傷考(けいくしょうこう)』など多数(以上は主に「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。但し、お分かり頂いているとは思うが、本話の主人公は、この原南陽では、ない。あくまで『原南陽の同僚医師某の倅某』が主人公の医師である。お間違えのなきように。

・「裏川原」村の周縁に位置し、民俗社会に於ける異界や異人(被差別民を含む。だからホカイビトたる流浪の旅芸人は河原や橋の下に停留して河原乞食と呼ばれた)との通路でもあった。

・「絶て信仰の心もなく過しが」とあるが、彼は箱ごと本書を常に携帯していたことが最後のシチュエーションから分かる。それは恐らく、「肌身離さず持って他言するなかれ」といった山伏の禁止の呪言があったからと推測される。本書を霊験の書とは認識していなかったものの、例の当たった丸薬一つの処方で、どこかで『いい金蔓』と考えて、惜しんででもいたのではなかったか? それこそが本書の喪失と関係があるように私には思われる。さらに問題は、恐らく次の本書喪失のシーンで彼が箱入りの本書を座敷に置き、有意に離れた場所の風呂へ入ったことも問題ではなかったか? 彼はこの桐の箱に入れたまま、湯殿へ持ってゆくべきであった(恐らく自宅ではそうしていた)。つい、いい加減に放置したことが、『いい金蔓』という邪悪な意識とともに(そう考えると風呂を勧められるこの患者の屋敷は相当な金持ちに読める。この頃、主人公の医師は丸薬のヒットで初心を忘れ、貧者の医療なんどをおろそかにしていたようにも私には読めるのである)本奇書の所持者としての資格を彼が失う原因になったものと考えられる。即ち、私は、この如何にも唐突な出火と屋敷の全焼も、偶然ではなく、不思議な奇書喪失とひっ包めて、かの山伏、若しくは奇書そのものが持っている意志によって引き起こされた確信犯の必然であったととるのである。

・「江戸表水府の屋敷」小石川門外にあった水戸藩江戸上屋敷。現在の後楽園が跡地。

・「寛政八年」西暦一七九六年。底本の鈴木棠三氏の解説によれば本巻の執筆内容の下限は寛政九(一七九七)年春である。一年余り前の比較的新しい都市伝説であった。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 水戸の医師異人に逢う事

 

 水戸城下の知られた医師原南陽の同僚で、同じように当代に名が知れ渡るほど、名医の誉れが御座った医師の――『名医』と申しおいて失礼乍ら、姓名を聞き漏らして御座るが――まあよろし、また、その人本人ではなくて――その医師の、倅、の話で御座る。

 彼もまた、医術修業に精出して、在野を駆け巡っては、貧富を問わず、病める者の治療に勤しんで御座った。

 ある日、そうした往診の途中、一人の老いたる山伏に出逢(お)うたが、その者が彼に面と向かうと、

「――其処許(そこもと)が日頃より医業に精進されておらるること、これ、重畳(ちょうじょう)――明後日、この町の裏の河原へ、×時(どき)に参られ、お待ち頂きたい。――我ら、伝授致したき儀、これ、御座る――」

と申す故、承知の旨、挨拶して立ち別れたものの、一向に知らぬ御仁にて、名も住所も聞かずに過ぎた故、自邸へ帰ってから、

「……という妙なことが御座ったのですが……これ、如何致いたらよろしいもので御座いましょう……。」

と家人に相談致いた。

「いや! それは怪しきことじゃ! 如何なる難儀に逢(お)うとも限らぬ! 捨て置くに若くはない!」

と、親はもとより妻子まで、口を極めて止(とど)めた故、その期日となっても出向かずに過ぎた。

 すると、その翌日、往診の途次、またしても、かの山伏に出逢(お)うた。

「――何故(なにゆえ)に約束を違(たが)えたのじゃ?――」

ときつく質された。後ろめたくも御座った故、正直に訳を述べて、破約の許しを乞うた。すると、

「――そのような気遣いは無用のことじゃ。安心なさるるがよい。――ともかくも――明日の夜には、必ず、先の河原へ参られよ。――」

と、またしても期を約して立ち別れた。

 さればこそ、用心して自宅へ戻っても平生と変わらぬ風を装って家人には何も告げず、翌朝になってから、

「……という次第なれば、今宵は如何にしても参ろうと存ずる。」

と告げた。

 すると、またしても両親その他、近在に住まう親族までもがうち寄って参り、

「……いや! それは俗に言う天狗なんどという『あやかし』の類いに違いない! 決して逢(お)うては、ならぬ!」

と一同口を酸っぱくして頻りに諫めたけれども、この度は、かの医師、いっかな、納得致いたようには見えずあったればこそ、両親その他親族一同うち寄って談合の上、寝ずの番なんどまで致いて、かの者の外出を止(とど)めんと致いた。

 ところが、深更にも及び、見張りの者の頻りに眠気を催した頃合い、かの医師は隙を見て家(や)を忍び出でて、約束の河原へと至った。

 そこにはかの山伏が待っており、携えて御座った五寸ばかりの桐の新しき小箱を彼に与えて別れた。

 屋敷に戻ってみれば、家内は彼の失踪に上へ下への大騒ぎで御座った故、彼の無事な姿を見ると、皆、大喜び。而して、

「……して、一体、何が御座った?」

と質いたが、彼は、

「……かの山伏に……『一切語ることなかれ』と切(せち)に諫められて御座いますれば……」

と、口を濁し、詳しいことは――何が語られたかも、桐の箱のことも、はたまた、その箱の中に何があったかも――一切を語ろうとはしなかった。……

 

 さて、実は、この箱の内には薬の処方――しかし悉く聴いたこともない奇妙なる処方――を認(したた)めた小さき書物が入っていたのである。

 その奇体な調合と薬効についての叙述は、彼の既存の知識から推しても、とても効果がありそうにも思えぬ『まやかし』としか思えぬものが多かったが、その中に書かれていたある丸薬の処方を、試みに調合なして、とある患者に処方してみたところ――いや、これ、不思議なるかな!――即効完治の絶妙の丸薬で――あれよあれよと言う間に――この丸薬を求めんがため、かの医師の元へは、近在近国より夥しい者どもが列を成して尋ね来ることとなり、これ、門前に市をなすが如し――という有様――ほんの一時の間(ま)に、数万金の利を手に入れた。

 但し、その奇書に書かれた他の処方なども見てはみたものの、やはり、格別の奇法とも思われず、効験も如何にも怪しいもの故、彼の触手は動かず、かの丸薬一つを、瓢箪から駒の見(め)っけ物(もん)と心得て、全く以て、霊験によって得た医書なんどといった崇敬の念は、これっぽちも持たずに日はうち過ぎた。……

 

 さても以上の出来事は、その年の――寛政八年の正月から二月頃へかけてのことであったが、その三月とやらのこと、近所に往診に出でた折り、療治を終えると、患者であった主人より、

「拙宅にて丁度、風呂を沸かしました故、不浄なる病める我らにお触れになったればこそ、どうぞ、お入りになって清められたがよろしゅう御座る。」

と誘われるまま、懐中の物と一緒に、かの箱入の書物も表座敷に残しておいて入湯致いたところが、突如、勝手より出火、瞬く間に、かの懐中の物をさしおいてあった座敷へと燃え広がり、その屋敷は、あっという間に毫毛(ごうもう)も残らぬ焦土と化してしまったのであった。

 裸同然で逃げ出したものの、医師は幸いにして怪我一つしなかったのだが、翌日、かの奇書を惜しみ、火事場の、かの座敷辺りと思しい場所を捜してみたところ、不思議なことに、かの桐の箱は土瓦の間に無傷で残っていた。歓喜して即座に取り上げてみたところ、箱は確かに蓋・身ともに別条なくあったものの、その蓋と身のごく僅かな隙間からか、火が入(い)ったものかと思われ、箱の中の奇書は、完全に焼失して灰となっていた――との由に御座る。……

……また、何でも、かの医師、この箱を、最近になって江戸表の水戸藩上屋敷へ持参致いたとか……また、その箱の実物を実際に実見致いた者がおるとか……

 

 以上は、知れる人々が語って御座った話を纏めたもので御座る。この事件は寛政八年の春から初夏にかけての出来事であったようである。

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