耳嚢 巻之四 氣性の者末期不思議の事
氣性の者末期不思議の事
永井家末期(まつご)に、起上りては布團の間抔搜し尋る樣子なれば、看病の者何をか尋給ふと問しに、首二つ三つ有筈也と言ひし故、婦女の類は恐れ、男子は病勞とかたり合しが、不幸の葬穴を掘しに、石地藏の首を三ツ掘出せし由聞及しと、何某の語りしを大久保側にありて、夫は外の永井なるべし、主膳正は末期迄附添居(つきそひをり)しが聞及(ききおよば)ざる事といゝし。
□やぶちゃん注
○前項連関:永井武氏と大久保忠寅絡み怪奇譚二連発。但し、これは近親者であり、事実なら当然知っているはずの大久保忠寅が頑として否認するところから、珍しく最終否認型都市伝説という異形をとる。しかし、こうした末期の脳症による幻覚現象はしばしば見られるものであり、妄想の事実はあったのだが(地蔵の話までが事実なら、寧ろ、前話の様な話を他者に語るを好む大久保ならば、この話は事実であったと、逆に追認するものと思われる)、親族でもあり、友人でもあった彼が、それを武士の名誉のため、全否定したと考える方が自然で、話柄としても面白いと思う。また、表題で「氣性の者末期不思議の事」とした根岸は、信じたかどうかは別として、実は本話が武人永井武氏の逸話としては、よい話だ、と感じたことを示しているように思われる。
・「気性」気が強い、精神がしっかりしている、と言った意味。
・「永井家」永井武氏。前話注参照。彼の逝去は明和八(一七七一)年であるから、執筆推定の寛政九(一七九七)年からは二十六年前のことになる。
・「不幸の葬穴を掘しに」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『不幸の後葬穴を掘(ほり)しに』とある。これを採る。
・「大久保」大久保忠寅。前話注参照。
■やぶちゃん現代語訳
気性のしっかりした者の末期には不思議がある事
……先の話に出た永井主膳正武氏(しゅぜんのかみたけうじ)殿は、その末期の砌、やおら起き上がって布団の間なんどを、頻りに捲り上げては、何やらん、探しあぐねて御座る様子なれば、看病の者が、
「……何を、お探しで御座いますか?……」
と訊ねたところ、
「……首が……これ、二つ三つ……あるはずじゃ……」
とおっしゃられた故、その場に御座った婦女なんどは大いに恐れ、男たちも、
「……これ、病いの疲れにても……御座ろうか……」
なんどと語り合って御座った。……
……ところが、
……御逝去の後(のち)、
……菩提寺にて墓穴(はかあな)を掘って御座ったところ、
……土の中から、
――石地蔵の
――首が
――三つ……
掘り出されて御座った。……
「……と……聞いて御座る。……」
と、さる折り、某氏が語ったので御座ったが、たまたまそこに、大久保内膳武寅(ないぜんたけとら)殿が居合わせており、大久保殿、矢庭に気色ばむと、
「――それは他の永井のことで御座ろう! 主膳正の末期には拙者も付き添い、葬送にも列して御座ったが――そのようなことは――これ――一切――聞き及んでおらぬ!」
と一蹴なされた。