耳嚢 巻之五 痔疾のたで藥妙法の事
痔疾のたで藥妙法の事
石見川(いしみかは)といへる草に、白芷(しろひぐさ)を當分に煎じ用ゆれば奇妙のよし。吉原町の妓女常に用(もちゆ)る由、吉原町などの療治をせる眼科長兵衞物語也。
□やぶちゃん注
○前項連関:恐らくこの「眼科長兵衞」、前話の話者「眼科」の医師と同一人物で話者連関としてよい。また前の「卷之四」の掉尾から二つ前の「痔疾呪(まじなひ)の事」でカミング・アウトしたように、根岸は寛政八(一七九六)年、満五十九歳でかなり重い痔を発症していた。その一連の痔療治シリーズでもある。根岸にしてはしかし、実証部分がない。あれば彼の性格から推して、間違いなく記載する。あまり効かなかったか。根岸の痔が切れ痔などではなく、内痔核などの、それも難性のものででもあったからも知れない。
・「たで藥」岩波の長谷川氏の注に、『患部を湯で蒸し温めるのに使う薬』とあり、ネット上でも双子葉植物綱タデ目タデ科 Polygonaceae の生薬を用いた調剤物について、患部を湿らせ温めるとあり、他にも皮膚の抵抗力を向上させる、スキンケアに効果があるとある。
・「石見川(いしみかは)」は底本のルビ。タデ科イヌタデ属イシミカワ
Persicaria perfoliata。蔓性一年草。和名には「石見川」「石実皮」「石膠」の字が当てられるが、何れが本来の語源かは不明(鈴木氏注には、「和漢三才図会」の折傷金瘡の要薬で骨を接ぐこと膠の如くであることから「石膠」と言ったものが「ニカワ」→「ミカワ」と訛ったとする説、「和訓栞」の河内国石見川村〔現・大阪府河内長野市内〕の産とする説を載せる)。漢名は杠板帰(コウバンキ)。東アジアに広く分布し、日本では北海道から沖縄まで全国で見られる一年草。林縁・河原・道端・休耕田などの日当たりがよくやや湿り気のある土地に生える。茎の長さは一~二メートルに達し、蔓状、葉は互生し葉柄は長く葉の裏側に附く。葉の形は三角形で淡い緑色、表面は白い粉を吹いたようになっている。さらに丸い托葉が完全に茎を囲んでおり、あたかも皿の真ん中を茎が突き抜けたようになっているのが特徴である。他の種にも類似した托葉はあるが、本種は特に大きいためによく目立つ。茎と葉柄には多数の下向きの鋭いとげ(逆刺)が生ずる。七月から十月にかけて薄緑色の花が短穂状に咲き、花後の五ミリメートルほどの果実は熟して鮮やかな藍色となり、丸い皿状の苞葉に盛られたような外観となる。この藍色に見えるものは、実は厚みを増して多肉化した萼で、それに包まれて、中に光沢のある黒色の固い実際の痩果がある。つまり、真の果実は痩果なのだが、付属する器官も含めた散布体全体としては、鳥などに啄まれて種子散布が起こる漿果のような形態をとっている。漢方では全草を乾かして解熱・止瀉・利尿などに効く生薬として利用する。蔓状の茎に生えた逆刺を引っ掛けながら、他の植物を乗り越えて葉を茂らせる雑草で、特に東アジアから移入されて近年その分布が広がりつつある北アメリカでは、その生育旺盛な様子から“Mile-a-minute weed”(一分で一マイル草)、あるいは葉の形の連想から“Devil's
tail tearthumb”(悪魔の尻尾のティアトゥーム:“tearthumb” はタデ属 Polygonum thunbergii に近縁なタデ科の草)などと呼ばれ、危険な外来植物として警戒されている(以上は、非常に優れた記載であるウィキの「イシミカワ」を大々的に参照させて頂いた)。
・「白芷(しろひぐさ)」は底本のルビ。音は「ビャクシ」。双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド属ヨロイグサ(鎧草)Angelica dahurica の根の生薬名。消炎・鎮痛・排膿・肉芽形成作用及び皮膚の掻痒感を鎮める。日本薬局方にも記載されている。血管拡張と消炎の作用から、肌を潤し、浮腫(むく)みを取るとして、古来、中国の宮廷の女性達により美容にも用いられてきた。ヨロイグサは高さ一~二メートル、茎は太く中空で、上部で枝分かれする。葉は羽状複葉。夏、白色の小花を散形に附け、外見はセリ科シシウド
Angelica pubescens に似る。分布は東シベリア・中国北東部・朝鮮半島・本州西部・九州(以上はウィキの「ビャクシ」に拠った)。
・「吉原町の妓女常に用る由」この叙述から、吉原には優位に痔に悩んでいる妓女が多かったことを示す。売春行為と痔疾、頻繁な性行為と痔との間に有意な因果関係があるとは考えられまいか(何となく、ありそうな気はするのだが)? それとも、もっと別な原因に基づく妓女の職業病であろうか? 識者の御教授を乞うものである。
■やぶちゃん現代語訳
痔疾のタデ薬妙薬の事
石見川(いしみかわ)という草に、鎧草(よろいぐさ)の根からとった白芷(ビャクシ)を等量加え、それを煎じたものを痔に用いると、驚くほど、効くという話である。吉原町の妓女なども愛用しておるとのこと、吉原町などを中心に療治をして御座る眼科医の長兵衛の話である。