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2012/08/26

生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 四 成功の近道~(1)

    四 成功の近道

 

 一旦宿主動物の體内に入つた後は寄生蟲の生活は餘程安樂であるが、そこへ入り込むまでは容易なことではない。宿主動物の外部に吸ひ著くだけならば敢て困難といふ程ではないが、その腸・胃・肺・肝などの内まで入り込まうとするには、尋常一樣の手段では成功が覺束ない。如何なる動物でも、自分の體内に敵の入り來るのを防がずに居るものはなく、そのために何らか相當な仕掛けが具はつてあるから、寄生蟲は正體を現したまゝで正々堂々と表門から入り込むことは到底出來ぬ。例へば「ヂストマ」でも「さなだむし」でも蛔蟲でも、そのままの蟲形で口・鼻若しくは肛門から入つて、腸まで無事に達することは無論望まれない。尤も十二指腸蟲や、その他の若干の寄生蟲は、幼蟲時代の極めて微細なときに水の中に游いで居て、もし人が皮膚を露出してかやうな水に觸れると、直接に皮膚に潜り入つて血液・淋巴などの通路に達し、それから迂囘して腸に到るものであるが、これらの例外を除けば、大概の寄生蟲は皆口から入り込んで來る。俗に「病は口から」といふが、寄生蟲の場合には實際口から起るのが常である。しからば如何にして人に知られぬやうに口の關門を通過するかといふに、これは卵または小さな幼蟲の時代に食物などに混じて入り來るのであるが、次に二、三の例によつてその經過の筋道を述べて見よう。

[やぶちゃん注:「十二指腸蟲や、その他の若干の寄生蟲は、幼蟲時代の極めて微細なときに水の中に游いで居て、もし人が皮膚を露出してかやうな水に觸れると、直接に皮膚に潜り入つて血液・淋巴などの通路に達し、それから迂囘して腸に到るものである」第二章の「一 個體の起り」の注で記した、経皮感染する寄生虫類を指す。一部の鉤虫の一種でアフリカ・アジア・アメリカ大陸の熱帯地方にいるアメリカ線虫門有ファスミド綱円形線虫亜目円形線虫上科アメリカコウチュウ Necator americanusは経皮感染が主で、同科のズビニコウチュウ Ancylostoma deodenale (インド・中国・日本・地中海地方に棲息)も経皮感染をする場合がある。これらは肺炎や腸炎を引き起こし、人の皮膚下で幼虫移行症(皮膚の下をその幼体が移行するのを視認出来るという「エイリアン」並に慄然とする症状)を示す。腸に寄生して自家感染し、長期に及ぶ慢性的な下痢症状を呈する Strongyloides stercoralis による糞線虫(熱帯地方に広く分布し、本邦では南九州以南にみられる)症も経皮感染をする。「十二指腸蟲」という呼称は、このズビニコウチュウ Ancylostoma deodenale の別名で、偶々十二指腸で発見されたことに由来するだけで、実は小腸上部に寄生することが多いものの、その一部である十二指腸への寄生は、実際にはあまり多くない。]

Jyoutyuuyoutyuu

[「さなだむし」の幼蟲]

Mizosanada

[「みぞさなだ」の幼蟲]

 

[やぶちゃん注:「みぞさなだ」は本文の『「さけ」・「ます」の肉の間にある』条虫、注で示す日本海裂頭条虫 Diphyllobothrium nihonkaiense の幼虫である。]

 

 普通に人間の腸に寄生する「さなだむし」は三種類あるが、その中二種は相似たもので、兩方とも節は縱に長い長方形で、成熟すると一節づつ離れて出るが、ほかの一種は節の幅が廣くて縱は甚だ短く、且幾節も連續したまゝで排出される。我が國で最も多いのはこの方である。これらの「さなだむし」が人體内に入り込むのは、無論その形の甚だ小さいときであるが、前の二種の中の一種は豚肉の間に、一種は牛肉の間には挾まり、後の一種は「さけ」や「ます」などの肉の中に隱れ、いづれも肉と共に食はれて人の腸・胃に達する。豚肉の間に挾まれて居る「さなだむし」の幼兒は直徑一糎許りの卵形の嚢で、その表面の一點から内へ向つて「さなだむし」の頭が、恰も手袋の指を裏返しにした如くに裏返しになつて著いて居る。嚢の内には水があるから、かやうな嚢蟲を指に摘んで、力を加減しながら稍々強く壓すると、頭部が飛び出て「さなだむし」の頭の通りになる。嚢狀の部は後に必要のない處で、食はれる際に嚙み破られても何の差支もない。たゞ頭さへ無事で腸に到著すれば、直に吸盤を以て腸の粘膜に吸ひ著き、速に生長して一箇月の後には大きな「さなだむし」になり終る。牛肉の間に挾まつて居る方は、これよりも小さいから見逃し易いが、その構造には殆ど變りはない。また「さけ」・「ます」の肉の間にあるのは形が細長く稍々太い木綿絲の如くで、伸びれば三糎位にもなる。これらはいづれも柔い蟲で、火で熱すれば忽ち死ぬから、牛、豚肉でも魚肉でも十分に煮るか燒くかして食へば、決して「さなだむし」が生ずることはないが、とかく肉類は中央が少しく生で赤色を帶びて居る位の方が味が良いので十分に火の通らぬものを食するから、よく「さなだむし」が出來るのである。

[やぶちゃん注:「さなだむし」これも既出であるが、扁形動物門条虫綱単節条虫亜綱 Cestodaria 及び真正条虫亜綱 Eucestoda に属する寄生虫の総称である。ここで丘先生が挙げておられるのは、順に、

1 条虫綱真正条虫亜綱円葉目テニア科テニア属ムコウジョウチュウ(無鉤条虫)Taenia saginata(中間宿主:ウシ)

2 同テニア属ユウコウジョウチュウ(有鉤条虫)Taenia solium (中間宿主:ブタ)

3 真正条虫亜綱擬葉目裂頭条虫科コウセツレットウジョウチュウ(広節裂頭条虫)属ニホンカイコウセツレットウジョウチュウ(日本海裂頭条虫)Diphyllobothrium nihonkaiense(第一中間宿主:ケンミジンコ → 第二中間宿主:マス・サケ・カマス・スズキ等)

の三種である。広節裂頭条虫は永く本邦に分布するものも標準種 Diphyllobothrium latum (Linnaeus, 1758) Lühe, 1910 と同一種とされてきたが、分類学的研究によって Diphyllobothrium nihonkaienseYamane, Kamo, Bylund et Wikgren, 1986 として別種に認定された(日本寄生虫学会用語委員会「暫定新寄生虫和名表」二〇〇八年五月二二日による)。図のキャプションにある「みぞさなだ」という和名異名は「溝真田」で、彼らが宿主の腸粘膜に吸着するために用いる頭節の一対の吸溝に由来する。こちらも成虫の体長は五メートルから十メートルに達する(なお学術文庫版は「みそさなだ」と誤植している)。

「糎」は「センチメートル」と読む。]

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