耳嚢 巻之五 怪蟲淡と變じて身を遁るゝ事
怪蟲淡と變じて身を遁るゝ事
或人の云、蟇はいかやう成る箱の内に入れ置(おき)ても形を失ふとかたりしを、若き者集りて、一疋の蟇を箱の内へ入て夜咄(よばなし)の席の床上に置て、酒など飮みて折々彼箱に心を付居たりしが、酒も長じて心付(こころづか)ざる内に拔出(ぬけいで)しや、二間程隔し所に下女の聲して驚(おどろけ)る樣子故、いづれも彼所へ至りみれば、最所(さいしよ)の蟇ありける故、これは別なる蟇成(なる)べしとて最初の箱を見しに、いつ拔出しや箱のむなしかりければ、又々右の箱の内へ入て、此度は代る代(がは)る眼も放さず守り居しに、夜も深更に及び何れも眠(ねぶり)を催す頃、箱の緣より何か淡(あは)出けるが、次第に淡も多く成ける故、いかなるゆへならんと見る内、一團の淡みる内に動きて消(きえ)ける儘、何れも目ざめしもの共立(たち)より箱の蓋を取て見しに、蟇はいづち行けん見へず。さては淡と化して立去りしならんと、何れも驚しと予が許へ來る者のかたりぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:動物奇談直連関。ヒキガエルが泡と変じて姿を消すというのはしばしば耳にする動物奇譚で、私はこの伝承が遙かに息継ぎ、特撮映画やウルトラ・シリーズで妖怪や怪獣が泡となって消失・死滅するルーツとしてあるように思われる。ヒキガエルの話は既に「耳嚢 巻之四 蝦蟇の怪の事 附怪をなす蝦蟇は別種成事」で語られているが、根岸はどうもヒキガエルの怪異妖力に関しては信じていたらしい節がある。まあ、当時の多くの人々が信じていたのだから無理もない(以下の「蟇」の注を参照)。
・「蟲類」古くは昆虫だけではなく、人や獣や鳥類及び水族の魚介類以外の節足動物などの動物全般(想像上の動物や妖怪をも含む)かなり広範囲に総称する言葉であった。
・「蟇」は「ひき」と読む。一般にはこの語は大きな蛙を全般に指す語であるが、その実態はやはり、両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエルBufo japonicus と考えてよいと思われる。ヒキガエルは洋の東西を問わず、怪をなすものとして認識されているが(キリスト教ではしばしば悪魔や魔女の化身として現れる)、これは多分にヒキガエル科Bufonidaeの多くが持つ有毒物質が誇張拡大したものと考えてよい。知られるように、彼等は後頭部にある耳腺(ここから分泌する際には激しい噴出を示す場合があり、これが例えば「卷之四」の「三尺程先の」対象を「吸ひ引」くと言ったような口から怪しい「白い」気を吐く→白い泡の中に消える妖蟇のイメージと結びついたと私は推測している)及び背面部に散在する疣から牛乳様の粘液を分泌するが、これは強心ステロイドであるブフォトキシンなどの複数の成分や発痛作用を持つセロトニン様の神経伝達物質等を含み(漢方では本成分の強心作用があるため、漢方では耳腺から採取したこれを乾燥したものを「蟾酥(せんそ)」と呼んで生薬とする)、ブフォトキシンの主成分であるアミン系のブフォニンは粘膜から吸収されて神経系に作用し幻覚症状を起こし(これも蝦蟇の伝説の有力な原因であろう)、ステロイド系のブフォタリンは強い心機能亢進を起こす。誤って人が口経摂取した場合は口腔内の激痛・嘔吐・下痢・腹痛・頻拍に襲われ、犬などの小動物等では心臓麻痺を起して死亡する。眼に入った場合は、処置が遅れると失明の危険性もある。こうした複数の要素が「マガマガ」しい「ガマ」の妖異を生み出す元となったように思われるのである。因みに、筑波のガマの油売りで知られる「四六のガマ」は、前足が四本指で後足が六本指のニホンヒキガエルで、ここにあるような超常能力を持ったものとしてよく引き合いに出されるが、これは奇形種ではない。ニホンヒキガエルは前足後足ともに普通に五本指であるが、前足の第一指(親指)が痕跡的な骨だけで見た目が四本に見え、後足では、逆に第一指の近くに内部に骨を持った瘤(実際に番外指と呼ばれる)が六本指に見えることに由来する。
付け加えて言うならば、私はヒキガエル→「泡を吹く」→ヒキガエルに咬みついて毒成分にやられ「泡を吹く」犬を容易に連想する。当時の人々はたかが蟇とじゃれただけの犬が苦悶して泡を吹けば、驚き泡、基、慌てる。どうしたどうしたと犬に気をとられているうちに蟇は逃げおおせ、ふと気が付けば――蟇は、いない。そこには――泡を吹いて苦しむ犬がいるばかりである。――これは咬みつかれた蟇が、この「泡」に化けたのだ――と考えたとしても、私はおかしくないと思うのである。「泡」のまがまがしさは、案外、こうした異様なシーンから引き出されたものなのかも知れない。
博物学的には、葛洪の「枹朴子」(三一七年頃成立)の「第十一」に「蟾蜍(せんじょ)」として現われるのが古く(原文は中文サイトの簡体字のものを正字に加工した)、
〇原文
肉芝者、謂萬歲蟾蜍、頭上有角、頷下有丹書八字再重、以五月五日日中時取之、陰乾百日、以其左足畫地、即爲流水、帶其左手於身、辟五兵、若敵人射己者、弓弩矢皆反還自向也。
〇やぶちゃんの書き下し文
肉芝とは、萬歳の蟾蜍を謂ふ。頭上に角有り、頷下に八の字を再重せるを丹書せる有り。五月五日の日の中時を以て之を取り、陰乾(かげぼし)にすること百日、其の左足を以て地に畫すれば、即ち流水を爲し、其の左手を身に帶ぶれば、五兵を辟(さ)け、若し敵人の己れを射る者あれば、弓弩(きうど)の矢は皆、反(かへ)つて自らに還り向ふなり。
とその仙薬としての強大なパワーを叙述する(「再重」は、「八」の字を更に重ねて「八」と記したような真っ赤な模様がある、という意味であろう)。
李時珍の「本草綱目」の「蟾蜍」の項には、正に本書に現れる現象が記されている(原文は中文サイトの簡体字のものを正字に加工した)。
〇原文
縛着密室中閉之、明旦視自解者、取爲術用、能使人縛亦自解。
〇やぶちゃんの書き下し文
密室中に縛り着けて之れを閉づに、明旦、自から解くを視るは、術用を取り爲して、能く人の縛を亦、自から解かしむるなり。
とある。本話のルーツと見てよい。更に正徳二(一七一二)年頃版行された(本話が記載される九十年近く前である)寺島良安の「和漢三才図会 巻五十四 湿生類」の冒頭を飾る「蟾蜍」の最後に注して(原文は原本画像から私が起こした)、
〇原文
△按蟾蜍實靈物也予試取之在地覆桶於上壓用磐石明旦開視唯空桶耳又蟾蜍入海成眼張魚多見半變
〇書き下し文(良安の訓点に基づきつつ、私が適宜補ったもの)
△按ずるに蟾蜍は實に靈物なり。予、試みに之を取りて地に在(を)き、上に桶を覆ひて、壓(をも)しに磐石を用ゆる。明旦、開き視れば、唯だ空桶のみ。又、この蟾蜍、海に入りて眼張(めはる)魚に成る。多く半變を見る。
とある。彼はヒキガエルが海産魚であるカサゴ目メバル科メバル
Sebastes inermis に変ずるという化生説を本気で信じていた。実際、「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「眼張魚」の項には以下のようにある(〔 〕は私の注)。
めばる 正字、未だ詳らかならず。
眼張魚【俗に米波留と云ふ。】
△按ずるに、眼張魚、状、赤魚に類して、眼、大いに瞋張(みは)る。故に之を名づく。惟だ口、濶大ならず。味、【甘、平。】。赤く、緋魚に似たり。春月、五~六寸、夏秋、一尺ばかり。播州〔=播磨〕赤石〔=明石〕の赤眼張は、江戸の緋魚と共に名を得。
黑眼張魚 形、同じくして、色、赤からず、微に黑し。其の大なる者、一尺余。赤・黑二種共に蟾蜍の化する所なり。
この良安の叙述は実に実に頗る面白いのである。特に「蟾蜍」の叙述の最後の下り、『多く半變を見る』というのは、これ、条鰭綱アンコウ目カエルアンコウ科
Antennariidae のカエルアンコウ(旧名イザリウオは差別和名として亜目以下のタクソンを含めて二〇〇七年二月一日に日本魚類学会によって変更された。)を良安はそれと見間違ったのではあるまいか?(スズキ目イソギンポ科の
Istiblennius enosimae でもいいが、私はメバルの手前の異形の変異体としては断然、カエルアンコウ(何てったって「カエル」だからね!)
*
★やぶちゃんの脱線
「イザリウオ」が「カエルアンコウ」に変わったお蔭で――この、私が主張することは利を得たと言える……が……私は一言言いたい。
――では、二枚貝綱異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科バカガイ
Mactra chinensis 当然の如く、変えねばなるまい!
――「~モドキ」例えば甲殻綱十脚目異尾下目タラバガニ科イバラガニ属イバラガニモドキもとんでもない差別命名だろ?! スズキモドキ君という名前を人間は附けるか! 「マグマ大使」の人間モドキじゃあるまいし!
――スズキ目イボダイ亜目イボダイ科のボウズコンニャク
Cubiceps squamiceps なんて余りに可哀そうじゃねえか! 頭は坊主みたいに丸いが、そんな魚はごまんといるぞ! だいたいそんなに不細工でなし、癖はあるが、私は食うにとても好きな魚だ! 蒟蒻だってイボダイ亜目のハナビラウオなどと合わせて総称する「コンニャクウオ」という同族総称を安易にくっ付けただけだろうが! 本人(本魚)が日本語を解する能力があったらゼッタイ、アムネスティ・インターナショナルに提訴すると思うがね! いや……この私の発言は、植物差別和名撤廃論者から言わせれば、本物の単子葉植物オモダカ目サトイモ科コンニャク Amorphophallus konjac に対する謂われなき差別に繋がると批判されるであろう。
――それに、これで最初に附けた和名が絶対優先権を持つというルールも反故になったということが分かったから(名前を永遠に変えないことが学名が学名である最も大事な部分である。私はそれが和名にも準じられねばならないと思う。いつか日本や日本語が滅びかけた時、イザリウオとカエルアンコウは多くの日本人が別な魚だと思わないと保証出来るのか?)、生きた化石腹足綱古腹足目オキナエビス超科オキナエビスガイ科オキナエビスガイ属オキナエビスガイMikadotrochus beyrichii に特定宗教の神「戎」を名前に持たすたあ、とんでもないことだから(一神教の他宗教の信者のことを考え給え!)、別名として差別された、本種の生貝を捕獲した、私の尊敬する明治の三崎の漁師で三崎臨海実験所採集人であった青木熊吉さん所縁の「チョウジャガイ」にしよう!――明治
九(一八七七)年、以前からドイツからの依頼で探索を命じられていた新種とピンときた熊さんが捕獲後、東大に即座に持ち込み、四〇円(三〇円とも。年代も明治一〇年とも)を報奨金として貰って、「長者になったようじゃ!」と答えたことから標準和名としようとしたが、天保一五(一八四三)年の武蔵石壽「目八譜」に絵入り記載があり、和名異名となった経緯がある。「エビス」なんか目じゃねえ! やっぱ「チョウジャガイ」だべ!――いや、やっぱりダメか?! 長者は貧者を連想させるからだめだろ!
――ええい! いっそ、生物和名をぜえんぶ、『差別のない』『正しい』お名前にお変えになったら如何どす?……★
*
閑話休題。「差別和名撤廃物言」脱線支線から「蟾蜍博物史」本線に戻す。
他にも後の、根岸を超える奇談蒐集癖を持った肥前国平戸藩第九代藩主の松浦(まつら)清(号静山)の随筆集「甲子夜話」(起筆の文政四(一八二一)年一一月一七日甲子の夜から静山没の天保一二(一八四一)年までの記録)にも、彼が寺島と同様にメバルへの化生を信じていた記載(七六・一一項)、江戸下谷御徒町に住む御茶坊主の屋敷の庭の手水鉢の下から白い気が三日に亙って立ち上ったため、堀り起こしたところ大蟇が現れたから、誠に蟇は気を吐くものである(続篇二九・三項)という話、夏の夜に人魂と称して光り物が飛ぶのは実は蟾蜍が飛行しているのであり、江戸本郷丸山の福山侯の別荘で光り物を竹竿で打ち落としたところ蟾蜍であった(五・一〇項)という話が所載する(以上、「甲子夜話」を私は現物を持っているが、時間的な節約のために一九九四年柏美術出版刊の笹間良彦「図説・日本未確認生物事典」の「蟾蜍」の項にある「甲子夜話」の訳を参照して纏め、原文の確認は行っていない。暇を見つけて現認し、書き直そうと考えている。た)。【2018年8月9日変更・追記:総て「甲子夜話」で確認したが、書き直す必要を認めなかった。】
・「怪蟲淡と變じて」底本では標題の「淡」の右に『(泡)』と傍注する。
・「最所」底本では右に『(最初)』と傍注する。
・「何か淡出けるが」底本では「淡」の右に『(泡)』と傍注する。
■やぶちゃん現代語訳
怪しき虫類の泡と変じて身を遁れた事
ある人の曰く、
「……蟇(ひき)というものは如何に頑丈なる箱の内に入れおいても、きっと姿を消してしまうもので、御座る……」
と語り出した。……
……若き同輩どもが集まり、一匹の蟇を箱の内へ入れて夜咄しの席の床(ゆか)に置き、酒なんど呑みながらも、折々かの箱には気をつけておりましたが……酒杯も重なり、酔うて気づかぬうちに……これ、隙間からでも逃げ出したものか……二間ほど離れた所で、下女の声がし、何やらん、驚いている様子故、皆してそこへ駆け寄ってみると……あの……蟇が――居りました。
ある者は、
「……これは庭からでも這い上がった、別の蟇ででも御座ろう。……」
と言うので最初の箱を開けて見ました。……ところが……何時、抜け出したものやら……箱の中は――
もぬけの空。――
そこで、またしても元の箱の内へその蟇を入れて、この度は、代わる代わる目を離さずに、見守って居(お)ることに致しました。……
……夜も深更に及び、いずれの者も眠気を催す頃のこと……
……箱の縁より……
……何か、この、泡のようなものが……出始めました。……
……泡は……蠢き、膨れ上がって、一団の塊りの如(ごと)なったかと思うと……
……これ、みるみるうちに……消えました。……
その時、その場で起きておりました者どもは皆、奔り寄り、即座に、かの箱の蓋を取って、中を見ました……ところが……蟇は何処(いずこ)へ行ったものやら……またしても――
もぬけの空。――
「……さては……泡と化して立ち去ったものかッ?!……」
……と……誰もが……心底、驚きまして御座いました……。
――とは、私の元へよく訪ねて来る者が語った話で御座る。