耳嚢 巻之四 隠逸の氣性の事
既にして八十四話まで辿り着いた。残り十六話、「巻之四」も先が見えてきた。
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隠逸の氣性の事
坂和田喜六は、大猷院樣御代迄は世に徘徊せしが、其頃諸家に文武兩道の達人を吟味して、諸家に或ひは壹人或は貮人と調べありしが、其比公(おほやけ)にても專ら御許評議有て、文武の達人といへるは、坂和田喜六なるべしとの上意にて、永井家を召れ、其家來坂和田は文武の英才也、眼を懸け遣ひ候樣にとの御意故、永井も大に面目を施し、歸りて早速喜六を呼出し、今日かくかくの上意、誠に其方のかげにて家の光輝をなしぬと殊の外悦び被申(まうされ)ければ、喜六これを聞て、未練の者を斯く御褒揚(はうやう)ある事難有(ありがたき)事なりと、厚く悦びける氣色也しが、其あくる日いづちへ行きけん妻子にも不申(まうさず)、家寶を捨置(すておき)遁世なしけると也。いか成所存有るや、一時の英名あれば又偏執の誹(そし)りありて、却(かへり)て英名をおとす事あらんとの心なるや。
□やぶちゃん注
○前項連関:佐川田昌俊隠逸譚その二。流石に二匹目の泥鰌で、私には少々嫌味な感じがしてくる。にしてもここで「坂和田」とするのは、実はその無名の筆者が、実際の佐川田昌俊ではないよ、「坂和田」ってしてあるでしょ、という布石を打っているかも知れないな。
・「偏執の誹り」「偏執」はここでは、人を妬ましく思うこと、の意。妬み嫉みに起因する非難批判。
■やぶちゃん現代語訳
隠逸の気性の事
この坂和田喜六昌俊殿は、大猷院家光様の御代までは、その確かな消息が知られて御座った。
その頃、諸家に於いては文武両道の達者なる者を探しては召し抱え、こちらの甲家には一人、あちらの乙家には二人、なんどとあげつろうて御座ったが、そのこと、これ、公(おおやけ)にても評定に上り、
「文武の達人と言えるは、これ、坂和田喜六を措いて、あるまい。」
との上意により、当代の永井家当主永井尚政殿をお召しになられ、
「その方が家来坂和田は文武の英才じゃ。目を懸け遣わずがよいぞ。」
との御意なれば、尚政殿も大いに面目を施し、城中より立ち帰られた後、早速に喜六を呼び出だし、
「今日、かくなる上意を戴いた。――誠にその方のお蔭にて永井の家の光輝は、これ、彌(いや)増した! まっこと、上々じゃ!」
と、尚政殿、殊の外お悦びになられ、お褒めの言葉を懸けた。
喜六もこれを聞いて、
「――未練未熟の者を、かくもお褒め揚げ戴き、有り難きことと、存じまする――」
と、丁重に礼を申し、同じく喜悦致いて御座った様子なれど――
――その明くる日――
――一体、何処(いずこ)へ参ったものやら……妻子にも行方を告げず……家財・家宝悉く捨て置いたまま……遁世致いたとのことで、御座る。
さても、如何なる所存で御座ったものか……一時の英名あれば、また偏執の誹りもあって、却ってその英名を貶(おとし)め――ひいては主君を始めとする他の者の失望や軽蔑を招くことと相いならん、との心にても、御座ったのであろうか。……