ブログ390000アクセス突破記念「破られし約束 小泉八雲原作 藪野直史現代語訳」への教え子からのオード「鈴の音」
これは僕の「破られし約束 小泉八雲原作 藪野直史現代語訳」を読んだ教え子の呉れたオード――「鈴」に纏わる、所謂、心霊的なる――ちょっといい話……である……
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鈴の音 T・S生
私は幼い頃、両親に仕事があったので、日中だけ、母方の祖父母のもとに預けられておりました。そのため、祖父母にとって私は、一等かわいい特別な孫のようなものでした。
夜、何かが原因で母に叱られ閉め出されると、決まって坂を上がって数分の、その祖父母の家によく泣きながら逃げ込んだものです。
祖父は私が中学に入った年に亡くなりました。
その後も私は、まるで自分の家に帰るように頻繁に祖母を訪ね、布団を並べて眠ったものでした。
祖母は私が社会人になってからでも、顔を見るたびに、満面の笑みを湛えては、
「よく来ましたね」
と言って、嬉しそうに私の名を、呼びました。
彼女が老衰のため、自宅の畳の上で亡くなったのは、私が結婚し、子供も生まれた後のことでした。
朝、職場で訃報に接した私は、祖母の家に駆けつけました。
そして、もう何ももの言わずなってしまった、彼女の、その顔――その顏を凝っと見つめながら、私は、心の中で――詫びました。
葬儀の日取りが数日後に決まり、その小さな亡骸は、白い布に包まれ、葬儀を営む者たちの、あの手際よい仕儀によって、運び出されていきました。……
その日の夜、遅くのことです。
もう、とっくに子供たちは寝静まっておりました。
テーブルを挟んでお茶を飲み交わしながら、私と妻は、静かに向き合っておりました。
さっきから私の瞼には、今日見た祖母の、その穏やかな白い顔が、ずっと浮かんでいます。
それは恰かも、小さな鋭い棘で胸を刺されるのに似ていました。
私は、前の日に会いに行かなかったことを、悔いていました。
思い返せば、昨夜のこと、私は、不思議な深い淋しさを感じたのです。
例えば――永遠に朝が来ない夜に、異国の貨物の居並ぶ埠頭を、たった一人で彷徨っている――そんな感じのする、淋しさを。
それは、祖母の心から発する――何かの知らせ――だったのかもしれません。
これが愛する者の死を迎えねばならぬ私にとって、確かな真実であった証拠に……私は昨夜のこと、妻に、
「……何か、ものすごく……淋しい気持ちが、する。胸が締め付けられるようだよ……」
と、語りかけていたことを、思い出したのです。……
私は、その折の、全く以って尋常でない淋しさを、冷静に汲み取ることが出来ずに、ただただ、立ち竦んでおりました。……
ですから、その時の私には『罪滅ぼし』という意識が強く働いていたことをはっきりと自覚致します。
自分の妻に、祖母がどんなに大切な人だったか、そして、祖母にとって、どんなに私は特別な孫だったかを、ゆっくりと静かに、語り始めたのです。
――その瞬間でした。
……チリリリリン……
食卓の脇の、腰ほどの高さの飾り棚に、何気なく置いてあった小さな鈴が、何の前触れもなく、風もないのに、棚から床に転がり落ちて、涼しい音(ね)を、部屋に木霊させたのは……
私は流石に一瞬、身を固くしました。
ほんの少しですが、怖いと感じたことを自白します。
しかし、すぐに気を取り直しました。そうして――ありきたりではありますが、
『祖母が、来てくれたに違いない。』
と思いました――いや、そう信じたかった。……
……そうして、暗がりに、テーブルだけが明るく浮かび上がった深夜の居間を見回しながら……大切な祖母に向かって私は、心の内に、限りない謝罪と感謝の言葉を、つぶやいていたのでした。……
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