昇天記 火野葦平
昇天記
草の葉にまかれた生(なま)ぐさい一通の手紙を、私はひらく。
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あしへいさん。
とつぜんの手紙であなたはおどろくかも知れませんが、わたしは白魚川(しらうをがは)の底に棲んでゐる河童です。古くは、芥川龍之介さんや、小川芋錢(うせん)さん、今では、西田正秋さんや、清水昆さんや、原田種夫さんや、あなたがわれわれ河童のよき理解者であり、知己(ちき)であることは、われわれ河童仲間でも常に話題の種であり、また、うれしく思つてゐることです。そこで、いろいろとお話ししたいこともたくさんあるんですが、それはまたの機會にして、實は、今日は、あなたにわたしの書いた小説を讀んでもらひいと思つて、手紙をさしあげた次第です。われわれ河童の文章といふものは、天草の川にゐたゲタルといふものが江戸時代に創始した文體以來、少しも進歩してゐないので、あなたにはこの原稿が讀みにくいかも知れませんが、まあ、ひとつ、讀んで下さい。
[やぶちゃん注:「白魚川」不詳。江戸時代から白魚漁が盛んな福岡市の博多湾に注ぐ室見川があるが、ここか?
「西田正秋」昭和初期の美術学者。東京美術学校(現・東京芸術大学)教授。美術解剖学や人体美学を講義した。河童との関連は不詳。
「原田種夫」(明治三四(一九〇一)年~平成元(一九八九)年)は作家・詩人。福岡市生。大正末頃から詩を書き始め、詩誌『瘋癩病院』『九州詩壇』等を創刊するが、次第に小説を志向し、火野葦平らと昭和一三(一九三八)年に第二期『九州文学』を発刊。昭和一五(一九四〇)年には「風塵」が芥川賞候補、その後も「南蛮絵師」や「竹槍騒動異聞」が直木賞候補となった。後年は「西日本文壇史」「黎明期の人びと」等の九州文壇史の研究に力を注ぎ、「九州最後の文士」と呼ばれた九州文壇のリーダー的存在。
「天草の川にゐたゲタル」不詳。原典・原話伝承若しくはモデルと思しいものをご存知の方は御教授を乞うものである。芥川龍之介の「河童」の世界の名としてもありそうな感じがする。
次の表題の「小説」は底本ではポイント落ち横書きの右書きである。傍点「ヽ」は下線に代えた。]
小説「昇 天 記」
昔々のことでおぢやる。白魚川となん水の流れに、河童ども、たむろなし、くくひなし、もどろなしつつ、あまた棲んでゐたと申す。
[やぶちゃん注:「くくひなし」河童語(?)。「日本国語大辞典」に副詞「くくう」があり、鳥などの鳴き声を表す語とする。この動詞化したものか?
「もどろなし」河童語(?)。「もどろく」(斑く)という古語の動詞には「船が行き悩んで進まなくなる」の意があるが、これを他動詞化したものか?]
はやばしる流れにいでて浮(う)いつ沈(しづ)うつ、昇(のぼ)つつ降(くだ)つつ、嘴(くち)鳴らし、眼きやらせ、夜晝を分たず、戲れてをつたところで、或るとき、ひとりの河童の、仔細らしう申すは、われら、つね日頃、水の流れにあれど、陸(くが)にもあがり、陸の始終はよほど見あいた、すでに珍しう心ぎぎがることも御座ない、ただ、われら、望むことは、天空(あまぞら)の世界にのぼらんことぢや、もろもろのはなしや、書(ふみ)に、天のこと、いららしく、うちくしく、いと崇(け)高うに書きあらはいてござる、また、龍も年を經(ふ)つて位にのぼれば昇天するためし、われら河童といへど、など昇天の機の無からうずる筈はおざない、この儀はなんと、と、いへば、並ゐる河童ども、口を揃へて、その儀異議あるはない、贊成(さんしよう)贊成、と叫(をめ)き、また、なのめならず喜うだ。さうあるところで、ひとりの河童、昇天のこと、われら分別はしたれど、そのやうに目算もなう、ざつといひだいて、はたして然らば、空かける手段(てだて)はいかに、われら水にすみ、地に潛(くぐ)ることは知れど、空飛ばす術(すべ)は知らぬ、このことなくばおのおのめ昇天の儀も、種まかずして柿の生(な)るを待つと同然ぢや、とあれば、いひだいたる河童も明(あか)らめ申すこともかなはで、顏よごいて、とちめき、噤(つつく)すんだ。河原に市をないたる河童どもも、顏見合はせ、ひたすらどしめくによつて、更に效驗(かうげん)のあらうやうはおざない。この時、また、ひとりの河童、高聲(かうしやう)に叫き(をめ)きて申すは、昇天ののじみ絶ちがたけれど、空飛ばす術知らぬわれらがいかに論定(ろんぢよう)するも詮ないことでおぢやる、聞くところに依れば、千軒岳(せんげんだけ)に巣まふ河童たちは、いかがして會得したるにや、自由に飛行(ひぎやう)をなすと聞えた、これに就いてその術を習得(じゆどく)するが肝要と思ふがどうぢや。これを聞いて集るもの、ことごとくその議にまかなび、一定した。
[やぶちゃん注:「いららしく」河童語(?)。古語の動詞「いららぐ」には「鳥肌が立つ」の意があり、恐ろしいまでに、の意か?
「千軒岳」不詳。]
さうあるところで、この土地の寶生(ほうしやう)などあまた貢(みつぎ)なして、千軒岳なる河童を飛行(ひぎやう)の師に賴うだ。師の河童よう心得、それよりは夜晝を分たず、河原に群衆(ぐんじゆ)して、飛行の術を傳授することぢや。飛行のこと習はんと出で立つもの、限りもなうて、河原に市をないた。抑(そもそも)、食(たう)ぶるものからして異なるに依つて、先づ、あまたの腹下しを出だいた。そぢやいげと申す木の根の腐らいたるを三升がほども一日に嚥(の)み干すことは、え叶はいで、もはや昇天の心失せぬと、思ひさだめる河童もあつた。稱(とな)ふる呪文(じゆもん)は、ばね、おぷ、うん、ぐる、さん、みとぼ、えしてぷ、くねる、あんね、と申す。こは昇天の途次、危害を加ふる雷神を防がうずる氣配(けばい)といふことぢや。この呪文、どうして憶ゆること得せぬ河童もおぢやつたといふは、曲もないことぢや。さて、師の河童おぞがらい者にて、聲高に叫(をめ)けば山呼(さんこ)おこり、葦の鞭振らへば風おこり、なかなかに籠者(ろうしや)しやうものでもおざない。さうあるところで、あまたの河童、長月の修行の甲斐あつて、昇天の術を漸くにも習得(じゆどく)したと申す。
[やぶちゃん注:「ぞじやいげ」河童語(?)。漢方では下剤に用いる植物の根茎類は数多ある。近似するものを知れる方は御教授を乞う。
「おぞがらい」河童語(?)。恐ろしいの意の「おぞし」+酷いの意の「からし」で、恐ろしいまでにむごいがらがら声を言うか?
「籠者(ろうしや)しやうものでもおざない」「籠者」は牢に入れられている囚人を言うが、意味が通じない。後掲される用法と考え合わせると、文脈からは囚われ人のような「憐れむべき者」「あまりに哀れな者」の意であると通じるが……。河童語学者の御教授を乞う。]
されば、練習(れんじゆ)が肝要なりとて、ことさらに鋭(するど)な岩のあたりに群衆して、月の出づるを待つて飛うだ。呪文を間違へれば、われは飛行する目算なるが、ただ陸(くが)ばかりを走りぢだめく。少(すこう)し飛うだるが、中途よりべらんと落ち放いて、甲羅を打ち挫き、足を折る。昇つつ、降つつ、おひやらめき、くくひなし、叫(をめ)きあらび、その仰(ぎやう)らしいありさまは、寔譬(まことたとへ)を取るに例(ためし)もないほどであつたと申す。師の河童は高座にありて、葦を振らひ、山呼(さんこ)する高聲(かうじやう)にて、笑ひはためいてをつたといふことぢや。
[やぶちゃん注:「ぢだめく」河童語(?)。「地駄めく」で地面の上を河童らしくなく、勢いをつけて走り廻ることか?
「おひやらめき」河童語(?)。内心軽蔑しながら、表面ではおだてることを「おひゃらかす」と言うが、これと同族の語か? ようやっと飛行し、内心はひどくびくつき恐れながら、表面では嬉しそうにしている、といった謂いであろうか?]
かやうの次第によつて、いよいよ難行苦難(ぐなん)の果に、漸く飛行の途(みち)を得たれば、師の河童は千軒岳に去(い)んだ。さて、吉日を撰(えら)うで、いよい昇天することに一定した。河童ども喜びはためき、市をないて集り、どしめき、或る者は一念の叶ひたるをぎがんで、泣く者も少々ではなくおぢやつたと申す。
さて、初め昇天の儀を申しいだいたる河童の音頭をもつて飛び出だいた。それは、數も知らぬあまたの蜻蛉(せいれい)が、群ないて飛ぶに似てをつたといふことぢや。滿月のきらめく空の上に、ひゆうひゆうと鳴りはためいて、あまたの河童は、瞬きする間もなく、消えて行つたと申す。
白魚川の河原には、不甲斐あらず、呪文憶ゆることを得せぬ河童、修行(じゆぎやう)中途にて、甲羅を打ち挫(くじ)き、或ひは足を折りたる河童など、少(すこう)しゐて、友達(ともだち)の昇天するを眺め羨んでをつた。これどもの申すやうは、われらは陸(くが)にて生(しやう)を終らうずること、曲もなう、どぐめきことなれど、詮ないことなれば分別あれかし、とて、水を破りて沈うだ。
[やぶちゃん注:「どぐめき」河童語(?)。華やかに栄えた人生を送るの意の、「ときめく」の意を、「どく」(毒)で否定したものの形容詞化「どぐめし」で、人生の悲惨で哀れなさま、の意か?]
然るに、二三日を經(ふ)つた後(のち)のことでおぢやる。河原の岩に異形(いぎやう)の音を放いて落らたと思ふに、何かはよからう、忽ちに命果てた者がおぢやつた。流れの底に(ねぶ)眠らうて居つた河童、仰天し、いで立ちて觀るに、少し前に昇天した河童の一人(いちにん)ぢや。既に甲羅も潰れ、頭の皿は干(ひ)て、塀も挫けて飛うだれば、命あらうやうもおざない。その實否(じつぷ)はいかにと、怪しう思ひ居る折柄、又しても、物の落つる氣配(けばい)して、どうと落ちたものがあつた。それも、先頃昇天したる河童ぢや。これもたまらず果てた。何たる籠者(ろうじや)かと驚き入るところで、それより次々に落ちる者、數を知らぬありさまぢや。後ほど果つる者は數を減らいたが、天より歸り來る河童は、どれやうも、悉く、色靑ざめ、くばめき、ひなびき、河原に下りる時より、噤(つつく)すんで阿呆のやうにおぢやる。いかやうなことかと問ひかくるも、物敷いへる者がおざない。されば、流れの水を汲(く)うで打ちかくるに、漸くに眼をくりまき、嘴をわらかす始末ぢや。次に、一段と高聲(かうしやう)に叫(をめ)いても、何も聞えぬ始末ぢや。又、息吹き返した後に、果つるもあり、氣狂(きぐる)ひたるごとく、異形の聲を發して陸を這ひぢためくもある。流れに飛び込(こ)うで、われは河童の生(しやう)なるに、溺れて果つるもある。打ち倒れて、落ち窪うだ兩(ふた)つの眼(まなこ)ばかりぎゆるめかすもある。その慘忍のありさまは、寔(まこと)、譬(たとへ)をとるに例(ためし)もないほどであつたと申す。
[やぶちゃん注:「くばめき」河童語(?)。火に入れて焼くの「くぶ」(焼ぶ)に接尾語「~めく」がついた、火に焼かれたような、悲惨な姿になって、の意か?
「ひなびき」河童語(?)。「鄙びく」で、しょぼくなる、の意か?]
水を皿にかくれば、漸くに口を開くものがいだいたれば、仔細(しさい)をきくにかうぢや。おのおの喜び勇うで昇天はしたが、高う上るにつれて、何處まで飛うでも空ばかりで何もおざない。高う高う、うち連れて上るところで、腹は減る。寒さはいごい。それでも飛ぶうちに、夜さが明け、また日が暮れ、何日も飛うだ。なんぼ高う上つても、何もおざないのは一つぢや。されば、遂に力竭(つ)き果つる者が落らた。力の殘る者は我慢強う昇つて行つたが、いづれまで上つても、何もないのは必定(ひつぢやう)ぢや。考へもなう、不埒(ふらつ)のことをしてのけた、といふ次第でおぢやる。
[やぶちゃん注:「いごい」これは河童語というよりは、「えぐい」「えごい」などと同じく、各地に認められる「ひどい」「凄い」の意の方言かと思われる。]
されば、この時あつてから後、白魚川の眷族(けんぞく)は、飛行の術をえ憶えぬ愚の河童ばかりとなりたと申す。
―――
どうです。あしへいさん。傑作ではありませんかね。ひとつ、この「昇天記」で、芥川賞をもらつて下さい。
[やぶちゃん注:この「天草の川にゐたゲタルといふものが江戸時代に創始した文體」は、私には何やらん、非常に親しいものを覚えた。母方が九州の鹿児島の産であればこそ、私はこのゲタルの血を引いた河童族の末裔なのかも知れない。また、この文体は芥川龍之介の「奉教人の死」や「きりしとほろ上人伝」の文体との強い親和性を帯びてもおり、私はこれを大衆の前で私独特の演出を施して朗読したい強い願望を禁じ得ない。芥川龍之介も河童族の末裔であったのだ!――だからこそ私は芥川龍之介が好きなのだ――そんな深い感懐の中に――今――私はいる――]

