耳嚢 巻之四 怪病の事
怪病の事
清水の家老を勤し永井主膳正(しゆぜんのかみ)は、大久保内膳など近親也しが、同人妹にて、御奉公などして主膳方に寄宿してありしが、或日急病の由爲知(しらせ)來る故早速罷越(まかりこし)しけるに、外に子細はなし。病氣はさして熱強(つよき)といへるにもなけれども、夜具衣類其外座敷の邊水だらけにて、いか樣井戸へ落しや又は池などへはまりしやうなる事故、當人ヘ承しに、一向前後不覺由也。傍廻(そばまは)り家内の者へも聞しが一向井戸は勿論池抔へ入りし事もなしといゝしが、今に不審不晴(はれず)と語りし也。
□やぶちゃん注
○前項連関:女性の奇病で「怪妊の事」と連関。発熱による発汗で寝具がぐしょぐしょになるというのはままあることながら、根岸が書き留めるほどだから、これはもう、閨内がびしょびしょになっているとしか考えられない。全身から多量の水分が排出される奇病というのも、私の小学校の頃の少年雑誌の超常現象・奇病の読み物じゃあるまいし……そもそも兄が附き人や家中の者に聞き質した際、本当に彼女が何らかの病気であったなら、病態の遷移、室内が浸水する状況を断片的にでも語り得るはずなのに、一抹もそうした描写がないのも何かおかしくないか?……そうすると……考え得るのは一つしかない……詐病である……奇病の詐病である……こんな気味の悪い病気は、奉公人としては願い下げである。私が主人なら、ゆっくり養生するがよい、と言って体よく里へ帰す……本話ではその辺りが語られないが、私はこの大久保の妹は里に下がったと考える……さすればその真相は――彼女は永井主膳正方から何らかの理由があって下がりたかったのではなかったか?――その確実な方途としてこの『奇病水浸し』を演じたのではなかったか?……下がりたかった理由……それは高い確率で奉公の日常にある……奉公人の間のこと、かも知れない……いや、主人永井主膳正との、何かであったのかも知れぬ……いいや、もしかすると、永井主膳正が家老である清水徳川家当主との間に、何かが、あったのでは? と考えるのは無礼で御座ろうかの?……(次注参照)
・「清水」清水徳川家。御三卿の一つ。第九代将軍家重次男重好(延享二(一七四五)年~寛政七(一七九五)年)を家祖とするが、重好には嗣子がなかったため、空席となり、領地・家屋敷は一時的に幕府に収公されている。収公は将軍吉宗の遺志に背くものであったため、一橋徳川家第二代当主治済(はるさだ/はるなり)は老中松平信明らに強く抗議している。その後、第十一代将軍家斉(治済の長男)五男の敦之助が、寛政一〇(一七九八)年にわずか数え年三歳で継承するも翌年夭折、再び清水徳川家は当主空席となり、文化二(一八〇五)年になって異母弟の斉順(なりゆき)が継いでいる。従って本執筆時の寛政九(一七九七)年当時は当主不在であった。本話は初代重好の晩年時の話と考えるべきであろう。……してみると、この継子のない清水重好……何となく……臭ってこないか?
・「永井主膳正」永井武氏(元禄六(一六九三)年~明和八(一七七一)年)。大番・御小納戸を経て、宝暦二(一七五二)年に西丸御広屋敷御用人、同七年には清水重好の守役に任ぜられ、後、清水家家老となった。
・「大久保内膳」大久保忠寅(生没年不詳)。役職については寛政二(一七九〇)年勘定吟味役、同六年御小納戸頭を兼ね、同九年に兼役を解く、と底本の鈴木氏の注にあり、「卷之五」の「毒蝶の事」などを見ると寛政九(一七九七)年当時、勘定奉行であった根岸との接点が見える。永井武氏との縁戚関係は不詳ながら、次の話ではその死を看取っていることから、強い縁戚関係にあることは確実。
・「爲知(しらせ)」は底本のルビ。
■やぶちゃん現代語訳
怪病の事
清水家の家老を勤めて御座った永井主膳正武氏(しゅぜんのかみたけうじ)殿は、私も懇意にして御座る大久保内膳武寅(ないぜんたけとら)殿などとは近親に当たられる。
この武寅殿の妹ごは、清水家に御奉公致し、永井家に寄宿して御座ったが、ある日のこと、その妹ごが急病の由、知らせが参った。武寅殿、急ぎ永井家屋敷へと罷り越したが……
……いや、妹の様子は、これ、どうという感じにても、御座らないだ。
……病気、と言うなら……確かに熱は御座ったれど……これもまあ、さして高いというわけにても御座らぬ。
……ところが……その……妹の臥して御座る夜具や衣類やその他もろもろのものが……いや、妹のおる閨の、その座敷中が……これ
――水浸し――
……で御座ったのじゃ。
……言うなら、井戸へ転落したか、池へとどっぷり浸かり込んだ者を、たった今、引き揚げたといった有様故、当人へも、
「……これは如何なことじゃ? お前は誤って井戸へ落ちたか、はたまた、池なんどへでも、はまり込んだのか?」
と訊ねて御座ったところが、
「……一向……何がどうなったやら……妾(わらわ)には、これ、全く覚えが、御座りませぬ……」
と言うばかりで埒開かず……妹お附きの者やら、永井家御家中の者へも聞き質いたれど……
……一向、井戸は勿論のこと、池なんどへも落入ったなんどということ、これ、御座らぬとの由じゃった。
……いや、まっこと……今に至るまでも……不審、これ、晴れ申さぬ……。
とは、武寅殿の直談で御座る。
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