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2012/08/20

耳嚢 巻之四 忠信天助を獲る事

本話は99話。後、1話で「卷之四」を完成する。



 忠信天助を獲る事

 

 或る御旗本の勝手不廻(ふまは)りにて、寛政の比(ころ)公儀の御貸附金を借りて急用を賄ひしが、同辰の年右御返納金とて知行より金三拾兩借て、其納期日迄仕廻置(しまはしおき)しを、盜賊入て盜取れ誠に當惑の由、所々才覺をなし知行へも申遣しけれど、兼て不勝手の事なれば可調(ととのふべき)樣もなく、家内愁ひもだへしに、程無(ほどなく)期日も來りしにいかにとも詮方なし。然るに彼許(かのもと)に幼(をさなき)より勤めて、右主人の影を以(もつて)、今は組付の同心とやらん輕き御家人有りしが、此事を聞て色々心を碎き相談もなしけれど詮方なく立戻りて、夫婦も恩義有(ある)元主人の難澁(なんじふ)、誠に一命をかけても此難義を救はんと色々工夫して、今年十五六才になれる娘あれば、渠(かれ)を賣りて此急難を救はんと、夫婦相談の上娘に語りしに、娘も誠有(まことある)心にや其心に隨ふ儘、心安き町人を賴てしかじかの譯かたりしが、これも其志のあはれを感(かんじ)ぬれど詮方なければ、渠がしれる女衒(ぜげん)淺草邊にあれば、是へ連行て相談せんとて、三人打連れて女衒の元へ至りてしかじかの譯かたりしに、鬼神も哀とや思ひけん、氣の毒成事なれ、然し請人(うけにん)人主(ひとぬし)其外其許々(もともと)を糺して、しかとしたる書付もとらざれば望に任せかたし、急ぐ事とて其職分の掟(おきて)あればとて、急に埒明(らちあき)候事とも見へざりしが、其席に居合せし町人躰(てい)の者、それは氣の毒成事也、某(それがし)心當りあれば深川八幡前迄來り給へと言(いふ)故、聊(いささか)力を得て右町人に附て娘を連、八幡前一ツの住家(すみか)へ立寄しに、苦しからざる住居にて年頃三十計(ばかり)の男ありて、委細の始末を聞、夫は氣の毒成事也、急に金子入用を達せんとても、何方(いづかた)にても請(うけ)ごふ者有べからず、我等引受て世話可致(いたすべし)、然し證文もなくては難成(なりがたし)とて、彼召連し女衒へも談じて預り候趣の書付いたし、右娘子は預り可申迚(まうすべしとて)、簞笥(たんす)やうの内より金三十兩出して與へければ、いづれ才覺の調ひし事を歡びて、厚く禮謝して右の許を立出しが、さるにてもあまりたやすく出來し事の疑しさに、若(もし)似せ金にてはなきやと右町邊の兩替屋へ立寄り、右金子を貮朱判(にしゆばん)歩判(ぶばん)に兩替なし給はるべしと賴しかば、番頭ふうの者右の金を改めて驚きたる躰(てい)にて、傍の者にも見せ何か不審の躰故、若(もし)如何成(いかなる)金にもありや、譯有事哉(わけあることや)と尋ければ、聊(いささか)此金に怪しき事不審成(なる)事もなけれど、此金子は何方より御手に入りしや承り度(たし)とて念頃(ねんごろ)に尋し故、隱すべきにあらねばしかじかの事也と初終(はじめおはり)をかたりければ、右番頭手を打て左こそあるべき事、右深川の若き人は何を隱さん此家の息子なれど、放埒不束(はうらつふつつか)にて舊離(きふり)して今勘當(かんだう)の身なれど、折節内々よりの無心合力(むしんかふりよく)あまたゝびの事也、よからぬ身持なれば、御娘子も慰ものとして果(はて)はいか成(なる)所へか賣渡(うりわたし)なん、此方より御志を感じ金子は御用立可申(まうすべき)間、此金子は早々御返し有て娘子を連戻り給へ、此金も昨日合力を乞ひし故與へたる金也と咄しける故、大に悦び忝(かたじけなき)由厚く禮を述(のべ)て早速深川へ立戻り彼金子を返し、いなみけれど娘を無理に請取(うけとり)連歸り、主(あるじ)用を足して娘にも愁ひをかけざるは、誠に天の加護ならんと人のかたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。久々の長めの話柄である。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版には底本附註として『主人のために娘を売り、その金の出所詮議からめでたい結末に至ること、類話多し。』とあるが、こういう話が盛んに語られるのは、実は、身売りし、苦界へと落ちて、儚くなっていった無数の女の悲劇があったからこそである。話柄のハッピー・エンドの、その彼方の真実の闇をこそ見据えなければなるまい。

・「獲る」は「うる」と読む。

・「同辰の年」寛政八(一七九六)年丙辰(ひのえたつ)。

・「組付の同心」常備兵力として旗本を編制した部隊である五番方(小姓・書院番・新番・大番・小十人)といった組配下の同心。

・「女衒」女性を遊廓に売る際の仲介斡旋業者。中世の「人買い」に発し、江戸時代になると「人買い」「口入れ」「桂庵」(けいあん。「慶庵」とも書く)といった周旋業者がこれを兼ねてもいたが、特に関東で娼妓を周旋する者を女衒と俗称した。語源は定かでないが、女の容姿を見極めるの意の「女見(じょけん)」から転訛したものとも言われる。今も秘かに続く人身売買ブローカーで、誘拐同様の犯罪行為にも手を染めて暴利を極めた者も多かった。江戸幕府は誘拐や人身売買を禁止してはいたものの、本話直近の寛政五(一七九三)年には女衒渡世の禁止を発令するも直ぐに廃令とし、女衒の請判(うけはん:保証印。)の禁止と吉原内居住を義務付けたに留まった。以上は平凡社「世界大百科事典」を主に参照したが、ウィキ「女衒」には『江戸時代も中頃までは遊郭に対する取り締まりが緩慢で、悪徳女衒の検束はあまり行われなかったらしい』とあり、老中松平定信の時、寛政七(一七九五)年の吉原規定証文作成励行の以前、寛政四年五月、『女衒禁止令ともいうべき法文を発布、これを以て女衒を単に遊女奉公の口入れにとどめ、証書の加印を廃止し、廓内に居住させ名主がこれを監督するという条件で許可を得て存続させた。その一方で加印のある証書は遊女の親族にあらため、女衒の慣習上の権利を剥奪したらしい』と記し、やや記載内容にずれがある。いずれにせよ、本話柄は時期的にはそれから四年後のことで、女衒の取り締まりが表面上厳しかった時期と読め、女衒の台詞にも、その辺りの不如意な制約による処理の難しさが語られているのが、如何にもリアルである。直ウィキは以下、『しかしこのような取締令も一時しのぎに過ぎず、すでに廓内外に根を張っていた女衒は法の網をかいくぐって悪事を尽くし、天保年間には新吉原関係の女衒だけでも廓外の浅草田町や山谷付近に十四、五軒の女衒が家を構えた。その中でも山谷の近江屋三八なる者は十余人の子分を使って各地方の玉出しと結託し、婦女を誘拐。また自ら各地を奔走し、その結果身売りさせた遊女は数百人にのぼったと』され、『江戸城下の女衒は、現在の東京都の台東区と荒川区をまたにかける山谷地区に多く点在していた』とある(引用に際し、アラビア数字を漢数字に代えた)。

・「請人」広く奉公人の保証人をいう。

・「人主」保証人である請人戸時代と並んで奉公人の身元を保証した連帯保証人。通常の奉公人の場合は父兄や親類がなった。

・「深川八幡」現在の江東区富岡にある東京都最大の八幡社富岡八幡宮の別名。建久年間(一一九〇年~一一九九年)に源頼朝が勧請した富岡八幡宮(現在の横浜市金沢区富岡に所在)の直系分社。日本最大の神輿・水かけ祭りや大相撲発祥の地として知られる。

・「置文」約款の類いを認(したた)めた証書。

・「若(もし)」は底本のルビ。

・「右町邊」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『石町(こくちょう)辺』とある。それだと現在の東京都中央区の日本橋本石町周辺を指す。

・「貮朱判」銀貨。明和南鐐(なんりょう)二朱判と思われる。以下、ウィキの「南鐐二朱銀」によれば、良質の銀貨で『形状は長方形で、表面には「以南鐐八片換小判一兩」と明記されている。「南鐐」とは「南挺」とも呼ばれ、良質の灰吹銀、すなわち純銀という意味であり、実際に南鐐二朱銀の純度は』九八%で『当時としては極めて高いものであった』とある。

・「歩判」金貨。一歩金と二歩金の総称。一歩金は『形状は長方形。表面には、上部に扇枠に五三の桐紋、中部に「一分」の文字、下部に五三の桐紋が刻印されている。一方、裏面には「光次」の署名と花押が刻印されている。これは鋳造を請け負っていた金座の後藤光次の印である。なお、鋳造年代・種類によっては右上部に鋳造時期を示す年代印が刻印されて』おり、額面は一分で、一両の四分の一、四朱に相当する(以上はウィキの「一歩金」の記載)。二歩金は『形状は長方形短冊形である。表面には、上部に扇枠に五三の桐紋、中部に「二分」の文字、 下部に五三の桐紋が刻印されている。裏面には「光次」の署名と花押が、種類によっては右上部に鋳造時期を示す年代印が刻印されて』おり、額面は二分で、一両の二分の一、また八朱に相当する(以上はウィキの「一歩金」の記載)。これらの記載によって、三十両をこれらで両替した時のイメージが出来よう。

・「舊離」「久離」とも書く。不身持ちのために別居又は失踪した子弟に対し、親や目上の親族が連帯責任を免れるために親族関係を断絶すること。「欠け落ち久離」とも。

・「勘當」親が子の所業を懲らすために親子の縁を絶つこと。武士は管轄の奉行所へ、町人は町奉行所へ登録した。この登録のない私的なものは「内証勘当」と言った。「追い出し久離」とも。広義には主従・師弟関係を絶つことにも用いた。

・「合力」「耳嚢」では既出でしばしば用いられるが、金銭や物品を与えて助けることをいう。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 忠信の天の助けを得る事

 

 とある御旗本、手元不如意にて――近時、寛政の頃のことで御座る――御公儀の御貸付金を借りて急場を凌いで御座ったが、寛政八年丙辰(ひのえたつ)の年、その御返納金として所領から金三十両を借り、その返納の期日まで保管致いて御座ったところが、盗賊が押し入り、丸々盗み取られ、かの御旗本、途方に暮れて御座ったと申す。

 あちこちに借金を頼んでは、知行地へもその訳を言い遣わして窮状を訴えたが、かねてよりの窮迫なれば、鐚(びた)一文調えようも、これ御座なく、家中は苦悶の只中に陥っておったが、程無(の)う、返済の期日も迫ったに、如何ともしようがない。

 ところがここに、かの御当家に幼きころより勤めて、その主人のお蔭を以て、今は組付きの同心とやらになった、身分の低い御家人が御座ったが、この主家の事態を聞くに、いろいろと心を砕き、何かと主人の相談にも乗って方途を練ってはみたものの、これ、如何ともし難き儀と相い成って御座った。

 この同心は妻子持ちで御座ったが、

「……恩義ある元主人の難渋……これ、まっこと、一命に懸けても、この難儀、救わずんばならず!……」

と、いろいろと思案工夫致したが――遂に――彼らに今年十五、六才になる娘があったれば、

「……この娘を……売って……この急場を救わんとぞ思う……」

と夫婦相談の上、娘にこのことを語って聞かせた。

 すると、娘も武家の子としての誠心故か、その父の苦渋の思いに、黙って従って御座った。

 そこで親しいとある町人を頼って、しかじかの訳を語ったところが、この者も、かの同心の覚悟と娘の哀れに感じ入った。……なれど、やはり如何ともしようがない。

 「……我らが知れる女衒(ぜげん)が浅草辺りに居りますれば、そこへ連れ行きて、まずは相談致いてみましょうぞ……。」

とて、かの同心と娘に町人、三人うち連れて、その女衒の元へ参り、しかじかの訳を語って御座った。

 すると、鬼神の如き生業(なりわい)の、その女衒にても、哀れと思うたものか、

「……気の毒なことなれど……昨今は、請人(うけにん)や人主(ひとぬし)を定め、その外、相手の身元なんどを細かに調べ尽くした上、しっかとした正式な証文をも、これ、事前に準備致さねばならず……お望みを叶えること、これ、難しゅう御座る。……急がずんばならざる趣き、これ、重々分かっては御座るが……我らが、この女衒の職分にても、内々の様々な掟が御座っての……直近にては、これ……」

と、とてものことに即座に埒のあくようにも見えぬ様子。……

 すると、女衒の仲間内と思しい、その場に居合わせた町人体(てい)の者が、

「……そいつぁ、気の毒な話じゃねぇか。……おう! 儂(あっし)に心当たりがある!一つ、これから深川八幡宮前まで来てくんない!」

と申した。

 そこで、聊かその言葉に力を得、今度は、その別な町人体の者について、娘を連れ、八幡前にある一つ家(や)へと参った。かの女衒も一緒で御座った。

 そこは如何にも小綺麗な家で、年の頃三十ばかりの男が住んでおった。

 その男は、同心から委細顛末を聴くと、

「……それは実に気の毒なことで御座る。しかし、お話を伺うに……失礼ながら、急にかような額の金子(きんす)を、これ、用立てんとさるるも……いや、何方(いづかた)にても……請け負うて呉れよう者は、これ、御座るまい。……分かり申した。我ら、これ、お引き受け致し、お世話致しましょうほどに……しかし、証文も、これ、なくてはまずう御座るな……。」

と、その男、かの同行して来た女衒と、何やらん相談の上、面前にて、娘を確かに預かった旨の書付をものした。

「……さても。この御娘子、確かにお預かり申しました。……」

そう言うと、男は小洒落た簞笥風の内より、金三十両を出して同心に渡した。

 一同いずれも、算段の成ったを歓んで、厚く礼を謝して、男の許を辞した。……

……が……同心は一人となってとぼとぼと行くうち、ふと、

『……それにしても……あまりに容易く仕舞わしたものじゃ……』

との、疑いが心に射した。

『……もしや!……これ……偽金にては、あるまいか?!……』

と思うや、その近場に御座った両替屋に立ち寄り、

「……この金子を、二朱判(にしゅばん)と歩判(ぶばん)に両替して下されい。……」

と頼んだ。

――すると――案の定――番頭風の者が、この金子を仔細に改め――如何にも驚いて御座る様子である。……

――傍らにいる店の者にもその小判を見せては――何か不審を抱いている様子……

 同心は、てっきり

『やはり! 贋金かッ!』

と思い、

「……もし!……何ぞ、『おかしな金子』にても御座るか?! 何ぞ『不審なるところ』の……これ、御座るかッ?!……」

と訊き質いたところ、

「……い、いえ……聊かもこの金子に、これ、怪しいところも、不審なるところも御座いませぬ。……なれど、失礼ながら……この金子は……何方(いづかた)より御手に入れなさったもので御座いましょうや?……よろしければ、承りたく存じますので……はい……。」

と、番頭が如何にも丁重に尋ねた故、

『……我らがことにあらず、主家の窮状を救わんがための仕儀なればこそ、隠さねばならぬことにても、これ、御座ないことじゃ……』

と決して、しかじかのことにて、と一部始終を語って御座った。

 すると、その番頭、

――ポン!――

と手を打ち、

「――やはり! そうで御座いましたか!

……いえ、実は……その深川の若い御仁と申されますは……何を隠そう、この家(や)の息子で御座います。……なれど、放埒にして不束(ふつつか)の極みなれば、御主人様、旧離の上……今はもう、勘当の身の上にて御座います。……が……御主人様には内緒ながら……折節、こっそりと、我らが店内(みせうち)へと無心に参ること、これ、数多たび、御座いまする。……いや!……そういったよからぬ身持ちの者にて御座いますればこそ……お侍様の御娘子も……これ、慰みものと致いた上……果ては如何なるところへと売り渡さぬとも限りませぬ!……一つここは……手前どもも、お侍様の御主家への厚き志しに感じ入って御座いますればこそ……そのご入用の金子、これ、手前どもでご用立て申し上げまする故……この金子は早々にお返しあって、急ぎ、御娘子を連れ戻しなさいませ!……へえ、この金も……実は昨日、金をせびりに参った故、与えましたところの金子、そのままの包みにて、御座いますればこそ……。」

と告げた。

――ここに――新たなまっとうなる三十両を手にした同心、大いに悦んで、

「――忝(かたじけ)いッ!」

と厚く礼を述べるや、早速に深川へととって返し、かのドラ息子に金子をたたき返し、如何にも鼻の下を長(なご)うして渋っておる男から、無理矢理、かの証文を取り返した上、娘を連れ帰った。

 これにて、かの主家入用にも足り、娘にも苦界の愁いをかけずに済んだは、これ、まことに天の御加護があったもので御座ろうと、人々は語り合ったと申す。

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