箱釣に來て宮戸座の役者かな 畑耕一
箱釣に來て宮戸座の役者かな
[やぶちゃん注:「箱釣」 は「はこづり」で、祭礼や縁日などの露店で浅い水槽の中の鯉・鮒・金魚などを紙の杓子や切れやすい鉤(かぎ)などで捕らせる、金魚掬いの類い。夏の季語。「宮戸座」現在の東京都台東区浅草三丁目、浅草公園裏にあった常設の芝居小屋。明治二〇(一八八七)年に吾妻座として開場、二九(一八九六)年、宮戸座と改称した。この座名は隅田川の古称「宮戸川」に因むとされる。山川金太郎が座主になってより隆盛、小芝居を代表する劇場となった。明治末期から大正にかけて全盛となって、主に歌舞伎芝居を上演していたが、新派の俳優による興行もあり、有名どころの俳優は宮戸座の舞台を踏まぬものはないとされたほど、四世沢村源之助・三世尾上多賀之丞など、多くの名優がここから巣立ってゆき、別名「出世小屋」と呼ばれた。大正一二(一九二三)年の関東大震災で焼失、同年一二月三一日には仮小屋で開場、昭和三(一九二八)年に再建復興したが、昭和一二(一九三七)年二月に廃座している。本句集公刊は昭和一六(一九四一)年、既に宮戸座は追憶の彼方となっている。]