懷爐二句 畑耕一
懷爐ほこほこ漫畫シネマのよくうごく
[やぶちゃん注:サイト「KINO BALÁZS archives」(キノ・バラージュ アーカイヴ)の「日本漫画映画発達史」のページによれば、本邦で初めてアニメーションが公開されたのは明治末期で、フランス人のエミール・コールが制作した短編シリーズ「凸坊新画帖」を嚆矢とする。この人気に目をつけた天然色活動写真株式会社(通称・天活)が下川凹天(おうてん)なる人物に漫画映画を製作させ、「凸凹新画帖・わんぱく小僧の巻」を製作(大正六(一九一七)年)、これが日本最初の国産アニメーションといわれる(一部の記載が明瞭さを欠くが以上のように当該ページを私は読んだ)。その後、影絵映画「お蝶夫人の幻想」(昭和一五(一九四〇)年、傑作として名高い「くもとちゅうりっぷ」(昭和六(一九四一)年)、戦争のプロパガンダ映画でもあった「桃太郎の海鷲」(昭和七(一九四二)年)などが挙げられているが、本句集の刊行が昭和六年であることを考えると、前者のフランス版「凸坊新画帖」か国産「凸凹新画帖・わんばく小僧の巻」若しくはその模倣作の可能性が高いか。畑は後に松竹キネマ企画部長となっている。]
胃と錢のにほうて來たる懷爐かな
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