耳嚢 巻之四 田鼠を追ふ呪の事
田鼠を追ふ呪の事
寛政七卯年濃州の田畑に鼠多く出て荒けると言る咄合の節、或人の曰く、田鼠を追ふ呪(まじなひ)には、糠にて鼠の形を拵(こしら)へ、板などに乘せて惡水堀(あくみづぼり)などへ流すに、田鼠(でんそ)ども右につきて行衞なくなるとかや。虛實は知らねどもかゝる事も有べきや。
□やぶちゃん注
○前項連関:連関を感じさせない。呪(まじな)いシリーズの一つ。農村での習俗として興味深い。
・「田鼠」こう書くと、アカネズミ・ハタネズミ・ヤチネズミなどの野鼠やクマネズミを指す場合があり、他にもクマネヅミの別名としても用いられるが、ここに記された習俗からは哺乳綱トガリネズミ目モグラ科 Talpidae のモグラと採っておきたい(岩波版の長谷川氏の注もモグラとする。但し、これが実際のネズミ類であると解釈出来ない根拠はない)。本邦には四属七種(更に複数の亜種を含む)が棲息する。参照したウィキの「モグラ」によれば、『古くはモグラのことを「うころもち」(宇古呂毛知:『本草和名』)と呼んでいた。また、江戸時代あたりでは「むくらもち」もしくは「もぐらもち」と呼んでいた。なお、モグラを漢字で「土龍」と記すが、これは本来ミミズのことであり(そのことは本草綱目でも確認できる)、近世以降に漢字の誤用があり、そのまま定着してしまったと考えられる』とあり、『日本各地で小正月には、「烏追い」と並んで土龍追い(もぐらおい)・土龍送り(もぐらおくり)・
土龍打(もぐらうち)などと呼ばれる「農作物を害するモグラを追い出し、五穀豊穣を祈る神事」が行われ、その集落の子どもたちが集まり、唄を歌いながら、藁を巻きつけた竹竿などで地面を叩き練り歩くものである』と記す。これ以外にも、京都・滋賀及び東北の一部など比較的広範に見られる小正月の行事の一つとして「海鼠曳き」と称するものがあり、これはモグラが嫌うとされるナマコを引き回すというものである。実物の海鼠を藁苞(わらづと)に入れ、長い繩の先に結んで曳いて歩き、「もぐらもち内にか、なまこどんのお通りだ」などと唱えるものである(実物を引き回す場合もあるが、多くは棒や束ねた藁の代替物を用いるらしい)。但し、モグラによる農作物の「食害」については、『畑にモグラのトンネルが現れた際にトンネルと接触した農作物の根が食害を受けることがあり、「モグラにかじられた」と言われる事がある。だが、モグラは動物食であるためこれは誤りで、実際に食害しているのはモグラのトンネルを利用したネズミなどによるものである』とある。田の畔を壊したり、畑地の陥没や隆起による被害は勿論、甚大であったに違いないが、嘗ての分類で食虫目とされたように、彼らはミミズや昆虫の幼虫などを主な食物としているから、「食害」に関しては、少なくとも永い冤罪であった訳である。因みに、あまり知られていない事実としてはモグラが神経毒(咬毒)を持っていることである。日常的にはモグラに咬まれるケースは稀であり、注入される量も人体に比して微量であるから、人への毒性は問題がないらしいが、小動物などはイチコロである。
・「寛政七卯年」は乙卯(きのとう)。西暦一七九五年。
・「惡水堀」水田の不要になった滞留水を流すための河川等に繋がる側溝。
■やぶちゃん現代語訳
田鼠を追い払う呪いの事
寛政七年卯年のこと、美濃国では田畑に田鼠(もぐら)が多量に発生、農地が大いに荒されたという話を致いて御座った折り、ある人の語ることには、
「……田鼠を追い払う呪(まじな)いには、米糠にて田鼠の形を拵え、板なんどにこれを乗せて、田の悪水堀(あくみずぼり)辺りから流し出だしまする――すると、田鼠どもは、その跡について、これ、すっかり、居なくなって、御座る。……」
とのこと。
真偽のほどは定かならねど、そういった事実も、これ、御座るのであろうか。