耳嚢 巻之五 黑燒屋の事
黑燒屋の事
江戸表繁花(はんくわ)何にても用の足らざる事はなし。色々の商賣もある中に、或る人何か藥にするとて蟇の黑燒を求めけるが、寒氣の時節にて蟲も皆蟄(ちつ)して求め兼(かね)しに、兩國米澤町(ちやう)松本横町にボウトロ丹といへる看板有之。家に何にても黒燒のなき事はなし、草木鳥獸藥になるべき品、其形の儘黑燒にして商ふよし。人の爲なれば爰に記す。
□やぶちゃん注
○前項連関:二項前の「腹病の藥の事」の民間薬方譚と連関。
・「黒燒」まず、「世界大百科事典」の「くろやき【黒焼き】」のアカデミックな記載(カンマを読点に代えた)。
《引用開始》
民間薬の一種。爬虫類、昆虫類など、おもに動物を蒸焼きにして炭化させたもので、薬研(やげん)などで粉末にして用いる。中国の本草学に起源をもつとする説もあるが、《神農本草》などにはカワウソの肝やウナギの頭の焼灰を使うことは見えているものの、黒焼きは見当たらない。おそらく南方熊楠(みなかたくまぐす)の未発表稿〈守宮もて女の貞を試む〉のいうごとく、〈日本に限った俗信〉の所産かと思われる。《日葡辞書》にCuroyaqi,Vno curoyaqiが見られることから室町末期には一般化していたと思われ、後者の〈鵜の黒焼〉はのどにささった魚の骨などをとるのに用いると説明されている。漢方では黒焼きのことを霜(そう)といっている。
《引用終了》
文中に現れる南方熊楠の未発表稿「守宮もて女の貞を試む」は、幸い、私が作成・注釈したした電子テクストがある、参照されたい。所詮、怪しげな民間薬として、漢方でも正しく解析されたものではない。しかし、だからこそ、ジャーナリスティックな興味が湧く。そこで、幾つかのネット上の記載を見よう。まずは、販売サイト「びんちょうたんコム」の「黒焼きについて」の「黒焼きの可能性」の記事記載の中に『健康ファミリー』一九九八年十月号より引用された「さまざまな黒焼き」という見出しの文章のイモリの黒焼きの製造法を疑似体験しよう(改行部を総て繫げ、アラビア数字を漢数字に代えた)。
《引用開始》
昔からイモリの黒焼きを女の子に降りかけると自分に惚れてくれると言い伝えられている。イモリとはトカゲやヤモリのような爬虫類ではない。蛙と同じ仲間の両生類らしい。皮膚の表面はぬれていて水に入ったり地上にいたりする。このイモリを捕まえて黒焼きにする。黒焼きというのは串にさして炭火の上で焼き鳥を作るようにやればいいのかというと、そんな簡単にはいかない。先ず、素焼きの土器を用意する。直径一五~二〇センチの大きさがいい。上蓋、下蓋と重ね合わせられねばならない。下の土器に二〇匹位のイモリを入れる。もちろん、殺したものを用意する。上蓋をするが、上蓋のてっぺんに直径一センチ位の穴を開ける。そして、穴を塞がないようにしてあらかじめ作って用意しておいた壁土を重ね塗りする。上に穴だけの開いた丸い素焼きの甕を作る。この素焼きの甕を周りに塗った壁土が乾くまで一~二日置いておく。上に穴の開いた素焼きの甕ができたら、これを炭火の上で焼く。炭はバーベキューができるほど用意し真っ赤になるようにおこす。素焼きの壷は直接、火の上に置かず鉄の棒を竈に渡してそのうえに置く。さあ、これからが本番だ。黒焼きを作るには中の漢方・生薬を炭にしてしまっては何にもならない。蒸し焼きにすることが肝心である。そうしなければ、黒焼きの本来の薬効は期待できない。最初、二〇分位経過した頃、上の穴から真っ白な煙が出てくる。炭火の火力を調節しながら、しばらく、様子をみる。煙の色が殆どなくなりかけた頃(最初から五〇~六〇分経過)、頃合を見計らって下ろす。上にでてくる煙に火がつくとオシャカになって炭化する、炭になってしまう。竈から下ろした素焼きの壷は穴を塞ぎ、さましてから上蓋をあける。なかの黒焼きはある程度は原形を留めている。できあがつた漢方・生薬の黒焼きの粉末は黒いが炭ではない。
《引用終了》
今度は、生薬・漢方薬・精力剤の「中屋彦十郎薬局」の公式HPの「黒焼きの研究・販売」より(改行部を総て繫げた)。
《引用開始》
玄米の黒焼きは玄神として知られ昔からガンに効くといわれていた。玄米以外にもさまざまな穀物や動植物が、黒焼きにすることで、もとの物質とは異なった薬効を発揮しているからおもしろい。有名なところでは、梅干を黒焼きにすると下痢止めになるというし、昆布の黒焼きは気管支ゼンソクに効果があるといわれる。その他、髪の毛の黒焼きは止血作用、ナスの黒焼きは利尿、ノビルの黒焼きは扁桃腺炎、ウナギの黒焼きは肺結核、梅の核の黒焼きは腫れ物、といった具合である。黒焼きは、焼かれる物質によってこのように効果が違ってくる。ではなぜ違うのかとなると、どうもよくわからない。これまで、黒焼きの研究は薬学畑ではダブー視されてきた分野である。なぜなら、薬効々果の証明が困難だからである。しかし、その効果は、うまく使えばなかなかすばらしいものがある。どの病気にどの黒焼きを用いるかは、まさに長年の経験からくる統計に基づくものであったろうと思われる。なぜ効くのか、という理屈は後でついてくることになる。要は、効けばいいのだから。黒焼きをしていくと、元の物質から脂肪とタンパク質のかなりの量が失われ、多く残るのは炭水化物である。黒焼きとは、その成分のほとんどが炭水化物であり、加えて非常に少量のミネラル、ビタミンが残されたものである。こうした成分のわずかな差が、薬効々果を著しく変えるというのも、不思議といえば不思議である。だが長年の経験というのは大したもので、それぞれの疾患に対応して、これでなければという黒焼きが確かにあるようなのだ。
《引用終了》
最後に各種黒焼きの効能について、「温心堂薬局」の公式HPの「民間薬」の中の「動物薬・黒焼き・その他」をご紹介しておこう。素敵に完全なあいうえお順リスト形式にして一目瞭然。本話に登場する「蟇」、それに相当する薬草名「がま(蛙)」の項には、
生薬・薬用部位 黒焼き・乾燥品
適応 強精・強壮・癲癇・淋病・喘息・心臓病・胎毒・痔・犬や蛇の咬傷
使用量・方法 適量・煎剤・粉末
とある。これによって本話の人物の言う「病」がある程度限定出来る(「胎毒」とは漢方で幼児や子供が生得的に内在させている体毒のこと)。「適量」という表現については、常識的なところで一回に附き一~二グラムとして一日一~三回く程度の服用という流石に薬局のページだけはあって至れり尽くせりの記述。但し、そこはちゃんとした薬局のHP、以下のような「ほう!」と思われる前書きがある。その考え方には大変感心もし、共感もしたので引用しておきたい(ダブった句読点やリンク注記記号の一部を変更・除去した)。
《引用開始》
プラシーボという言葉を初めて聞いたのは、高校生の頃読んでいた心理学の本からでしたそこには偽薬と表現してあり、小麦粉や乳糖などで薬を装い投与し、人の期待効果を煽り一定の薬効をもたらすという、ヒトの心理メカニズムの考察でした。小麦粉や乳糖に騙されるなど、なんと愚かなんだ、などと考えたものです。
しかし医療の現場を転々とするうち、
薬効とプラシーボの境界が一体どこにあるのか?
またそれをどんな方法で検定するのか?
さらにきちんと検定され、認定された薬や医療技術が果たしてあるのか?
こんな疑問が沸き起こって、これは今も未解決のまま、プラシーボ程度しかないのかもしれない漢方の仕事を続けている訳です。
プラシーボという心理的治癒のメカニズムがあるなら、これは案外、天からの賜物かも知れない、ウソかホントか考えるより(それも大切な事ではありますが、)有効な利用ができれば、多くの苦痛や多くの人の悩みを、被害の少ない方法で手助けできるのではないかと思います。
これからまとめる動物薬や黒焼きなどは怪しい漢方薬のなかでも、一層怪しい隘路かも知れません。プラシーボを巡る用語に、活性プラシーボというのがあります。これはプラシーボの種類で、明らかな薬効は期待できないけど苦味のある物質など、感覚に訴える性質を持つもののほうが、小麦粉、乳糖、デンプンなどに比べ、プラシーボの発現率が高くなるという、それらの物質をいいます。良薬は口に苦し、という有名な言葉があります白い錠剤より水色や赤色の錠剤が、あるいは妙な味の顆粒が、効きそうな気がしてくるのです。
手を変え、品を変え、誇大な講釈を垂れる怪しく、危険な療法や、健康食品も、あるいは極普通にみられる医療機関での診療も、活性プラシーボの程度の差以上のものがあるのか? 疑い始めれば限がありません。
動物薬は活性プラシーボの条件を如何なくそなえています。姿、形、臭い、味、治療家の間では「奇方」として、難病の患者や、治療の方策が行き詰まった時利用されてきました。奇想天外で奇妙なほど、そこに治癒への希望とエネルギーが湧出するのです。
動物薬には、植物薬で得られない有効成分があるのかも知れません。動物の力や奇妙な生態になぞらえた、効能という気を頂くことが療法の要なのですが、気と表現できるものが、曖昧模糊とした未確認の有効成分であったり、現在の科学常識で、はかることの出来ないsomething?なのかも知れません。
これが、黒焼となるとさらにその度合いが高まります。主成分は炭素(C)、その他の成分は燃焼し尽くしている訳で、なにか残っていると仮定するなら有効成分があったという記憶、ニューサイエンスで呼ぶところの、得体の知れぬ仮説である、波動みたいなものになります。日本版ホメオパシーといわれるように、なにも有効成分がない状態なのに、その記憶という空疎な観念で治癒を促す療法です。
副作用は全くない筈です。問題は、治らない時、または通常医療ですぐに治るものにまで、副作用がナイという理由だけで利用すると、有効な治療から遠ざかり、あるいは有効な治療の機会を失い、取り返しのつかない事態を招く事もあります。それが大きな副作用であると言えなくもありません。
《引用終了》
どうです、このリストで、一つ、いろいろお試しになってみては? 病いは勿論、その方面も、これ、バッキンバッキン、間違いなし――かも知れません、ぞ……
・「米澤町」日本橋米沢町は現在の中央区東日本橋二丁目。両国橋の西の両国広小路の西南側にあり、裏手は薬研堀(埋立地)。正保(一六四四年~一六四七年)の頃には幕府の米蔵が建っていたが、元禄一一(一六九八)年の火災で焼失、その後、米蔵は築地に移り、その跡地を米沢町と称した。
・「ボウトロ丹」不詳。如何にもオランダかポルトガル語臭いが、これ、低温で焼き焦がすための炒鍋(上記引用のイモリの製法を見よ)「焙烙」(ホウラク・ホウロク)の転訛のようにも思われるが、識者の御教授を乞うものである。
■やぶちゃん現代語訳
黒焼屋の事
江戸表の繁華――花のお江戸にては、これ、何なりと、手に入(い)らぬ物は、これ、御座らぬという話。
色々の商売の御座る中にもかくも奇体な商売のある由。
ある人、何かの薬にせんがため、必死に蟇蛙(ひきがえる)の黒焼きを捜し求めて御座ったが、丁度、寒い時期でもあり、蟇の類いは、これ皆、土中に冬籠り致いた後にして、なかなか売っておる所が御座らなんだ。
ところが――それでも、これ、ちゃんと商(あきの)うておる店が御座った。
両国米沢町松本横町に『ボウトロ丹』という看板を掲げておる店が、それじゃ。
この店には、黒焼きと名の附くもので、ないものは――これ、ない。
草木・鳥獣その他諸々、薬になろうかと思わるるものは、これ、一つ残らず――まさに、その形のまんまに黒焼きにして――商うておる由。
人のためにもなろうほどに、ここに記しおく。