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2012/09/07

耳嚢 巻之五 板橋邊緣切榎の事

 板橋邊緣切榎の事

 

 本郷邊に名も聞しが一人の醫師あり。療治も流行(はやり)て相應に暮しけるが、殘忍なる生れ質(じち)にてありし由。妻貞實なる者成りしが、彼醫師下女を愛して偕老(かいらう)の契(ちぎり)あれどあながちに妬(ねたみ)もせざりしが、日にまして下女は驕(おご)り強く、醫師も彼下女を愛する儘に家業も愚かに成て、今は病家への音信も間遠(まどほ)なれば、日に增て家風も衰へければ妻は是を歎き、幼年より世話をなして置し弟子に右の譯かたりければ、かの弟子も正直成ものにて兼て此事を歎きければ共に心をくるしめ、彼下女の宿の者へ内々了簡もあるべしと申けれど、是もしかじかの取計(とりはからひ)もなく打過ける故彌々心をくるしめしが、彼弟子風與(ふと)町方へ出し時、板橋のあたりに緣切榎(えんきりえのき)といへるあり、是を與(あた)ふればいか程の中(なか)も忽(たちまち)呉越の思ひを生(しやうず)ると聞て、醫師の妻に語りければ、何卒その榎をとり來るべしと弟子に申付、彼弟子も忍びて板橋へ至り、兎角して右榎の皮をはなし持歸りて粉になし、彼醫師並下女に進(すすめ)んと相談して、翌朝飯の折から彼醫師の好み食する羹物(あつもの)の内へ入しを、板元(いたもと)立働きて久敷(ひさしく)仕へし男是を見て大に不審し、若(もし)や毒殺の手段ならんと或ひは疑ひ或は驚き如何(いかが)せんとおもひ、手水(てうず)の水を入るゝとて庭へ廻り、密(ひそか)に主人の醫師へ語りければ大きに驚きて、扨(さて)膳に居(すは)りて羹(あつもの)には手をもふれざりしを、兼て好所(すくところ)いかなればいとゐ給ふと女房頻りにすゝむれば、彌々いなみ食せざれば、女房の言へるは、かくすゝめ申(まうす)羹(あつ)ものを忌み給ふは毒にてもあるやと疑ひ給ふらん、左ありては我身も立がたしと猶すゝめけれど、醫師は言葉あらにふせぎける故妻も彌々腹立(はらたて)、しからば毒ありと思ひ給ふならん、さあらば我等給(たべ)なんと右羹物を食(を)しけりと也。緣切榎の不思議さは彼事より彌々事破れて、彼妻は不縁事(ふえんごと)しけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:植物妖魅譚連関。展開の面白さを狙った落語の話柄という感じであるが、だったら私なら最後に、下女の方は知らずに榎の樹皮粉の入った朝餉を食って、あっという間に「殘忍なる」医師に愛想が尽きて宿下がり、その後、「殘忍なる」夫と離縁した妻は医師の元を出奔した弟子の青年医師と結ばれて医業は繁盛、本郷の屋敷に「殘忍なる」医師は孤独をかこって御座った、というオチを附けたくなるが、如何? その可能性は文中の「彼醫師並下女に進んと相談して」という箇所に現れている。呪(まじな)いの効果を確実にするために彼らは、双方に反媚薬の樹皮の粉を飲ませようとしているからである。「板元」が「手水の水を入るゝとて庭へ廻り、密に主人の醫師へ」御注進に及ぶシーンと共時的に厨房(くりや)では妻が下女の腕にまんべんなく樹皮の粉を摺り附けている――とすれば、自然、容易に話は私の思った通りに展開すると思うのであるが、如何?

 

・「偕老の契」一般に言われる、生きてはともに老いて死んでは同じ墓に葬られるの意の「偕老同穴」の契り、夫婦が仲むつまじく、契りの固いこと、夫婦約束をすることを言う語であるが、これはもう不倫に用いる以上、将来の夫婦約束などという生ぬるいものではなく、ズバリ、肉体関係を結んだことを言っている。私のようなイヤラシイ思考の持主はわざと「同穴」を言わずに「穴」の契りを結んだな、なんどと読んでしまうのであるが、実はこれは下世話な戯言で、実は「偕老」と「同穴」は、それぞれ「詩経」の異なった詩を語源とするものではある。

 また、ようく考えて見ると……縁切榎はどう使用すればどういう効果が出るのであろう? 「縁切り」が目的なら、使用者は「縁切り」したい、若しくは「縁切り」させたいと望む訳で、本人が飲んでも効果はない。すると、

 

①「縁切り」したいのに、相手が自分を愛していて、離縁を承諾しないから困っているシチュエーションでは相手に飲ませることで有効となる。

 

②本件のように、自分が当事者でなく、他社間の相思相愛関係を破壊することを目的とするなら、一方でもよいが、やはり完全を期するためには、両者に飲ませることが有効である。

 

ところが、ここに「縁」の多層性が問題化してくる。この場合の「縁」は封建社会に於いてのそれである以上、実は実際の恋愛感情ではなく、公的な婚姻関係による「縁」をこそ断ち切るという意味合いが強いと考えられる。さすれば、その実、「縁切榎」を使用する人間は、

 

③事実は夫婦間に双方向で愛情がなく、配偶者以外への恋愛感情の形成や、性格不一致・DV等によって一方が正しく合法的に離縁したいと望む場合、その相手に飲ませることで有効となる

 

という①と似て非なる使用例が多かったのではないか、と考えられる訳である。――すると実は本件の場合、全体のシチュエーションを考えてみると、夫の医師は妻を離縁する意志が実は殆んど認められないのである(恐らく世間体と実質的な二人妻の状態が彼にとっては個人的に都合がよいから)。さすれば、この場合、仮に夫にのみ飲ませた状態では③の条件が発動することとなり、夫はやはり形式上の「縁」を切るために、正妻を離縁することになろう。則ち、この話の妻の側の要求から考えた際には、実は最低、反媚薬の樹皮粉を小女に飲ませさえすれば、②の条件が当て嵌って、それで妻の希望は成就したはずなのである。……実は……この貞淑な妻も、医師の弟子も、残念ながら思慮が浅かった、と言わざるを得ないのでは、あるまいか。……

・「風與(ふと)」は底本のルビ。

・「緣切榎」中山道板橋宿旧上宿(現在の東京都板橋区本町)に現存する(但し、三代目の若木で場所も旧地からやや移動している)。底本の鈴木氏注には『この辺は旗本近藤登之助の下屋敷だった処で、二股になった大』榎であったが、『将軍の御台所になった宮様が、この傍を通って下向したが、二人までも間もなく若死にされたところから、縁切榎の異名が起』ったと記される。以下、ウィキの「板橋宿」の「縁切榎」より引用すると(アラビア数字を漢数字に代えた)、この榎は中山道の『目印として植えられていた樹齢数百年という榎』(バラ目アサ科エノキ Celtis sinensis。江戸期には街道を示す目印として一里塚などに普通に植えられた)『の大木で、枝が街道を覆うように張っていたという。その下を嫁入り・婿入りの行列が通ると必ず不縁となると信じられた不吉の名所であったがしかし、自らは離縁することも許されなかった封建時代の女性にとっては頼るべきよすがであり、陰に陽に信仰を集めた。木肌に触れたり、樹皮を茶や酒に混ぜて飲んだりすると、願いが叶えられる信じられたのである』。徳川家に降嫁した『五十宮(いそのみや)、楽宮(ささのみや)、および、和宮(かずのみや、親子内親王)の一行は、いずれもここを避けて通り、板橋本陣に入ったという。 和宮の場合、文久元年(一八六一年)四月、幕府の公武合体政策の一環として将軍家茂に輿入れすることとなり、関東下向路として中山道を通過。盛大な行列の東下に賑わいを見せるのであるが、板橋本陣(飯田家)に入る際は不吉とされる縁切榎を嫌い、前もって普請されていた迂回路を使って通過したとのことである』。『現在の榎は三代目の若木で、場所も若干移動しているが、この木に祈って男女の縁切りを願う信仰は活きている』とある。更に底本注で鈴木氏は『果ては酒飲みを下戸にする利きめまであるといわれ、また願果しに絵馬をかけるようになった』と記されるが、この下戸の呪(まじな)いというのは、恐らく当初はこっそり縁切り祈願で参った妻が、夫にばれ、言い訳で言った弁解が瓢箪から駒、という感じがしないでもない。旧木・現木の画像や詳しい解説が、「日本史史料研究会」の西光三氏の手になる「縁切霊木譚―中山道板橋宿縁切榎について」で読める。是非、お読み戴きたい。

・「是を與(あた)ふればいか程の中(なか)も忽(たちまち)呉越の思ひを生(しやうず)」の部分、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、

 是を与ふればい膠漆(こうしつ)の中も忽ち胡越(コえつ)の思ひを生(しょう)ず

とある。「膠漆の中」はニカワとウルシで強力な接着効果を持つことから、非常親密な仲を言い、「胡越の思ひ」は中国古代国家である北方の胡と南方の越が互いに遠く離れて疎遠であったことに譬えた語。「膠漆」の方がいいが、後者は極めて仲が悪い意の「呉越」の方がよい。

・「羹物」「羹」「羹もの」「熱物(あつもの)」で、魚・鳥・野菜などを入れた熱い吸い物。

・「板元」は料理場(板場)または料理人(板前)のこと。

・「居(すは)りて」は底本のルビ。

・「いとゐ給ふ」はママ。「厭(いと)ふ」であるから、正しくは「いとひ給ふ」。

・「給(たべ)なん」は底本のルビ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 板橋辺りにある縁切榎の事

 

 本郷辺りに――名も聞いておるが、あえて記さぬ――一人の医師がおる。今もおる。

 療治も上手く、繁盛致して相応に暮らして御座ったらしいが、根は残忍非道なる気質(たち)の者であったらしい。

 妻なる者は、これ、まっこと、貞淑な女であった。

 

 ところが、この医師、家内にあって下女を愛し、秘かに関係さえ持つようになっておった。

 妻は、その事実を、実はよく知っておったのだが、決して妬(ねた)み嫉(そね)みを露わにすることは、これ御座らなんだ。

 ところが、この下女、それをよいことに、日増しに驕り昂ぶり、医師は医師で、下女に溺るるあまり、家業も疎かとなって、もうその頃には、自身では病者の家(うち)へ往診することも、これ、とんとのうなってしもうたによって、日に日に家は傾いてゆくばかりで御座った。

 

 流石に妻もこれをうち嘆き、ここにあった、幼年より何かと世話致いて成人させた弟子の青年を秘かに呼び、秘めて御座った夫の所行の一切をうち明けたところが、この青年も至って真っ正直なる者にて――実は兼ねてより彼自身、師の御乱行を見て見ぬ振りを致いて参ったのであったればこそ――恩ある女主人と、手に手をとって、かくなる有様にとみに心痛めることと、相い成って御座った。

 

 とりあえず、彼の発案にて、下女の宿方の親族へ、内々、

「……何やらん、娘ごのことに付きて家内にてよからぬ噂のこれある由……若き身空なればこそ、分別、というものが大切に御座ろう。……」

と、弟子自らが注進に参ったのだが……これもまた、これといった効果の現わるることなく……ただただ、そのままに打ち過ぎて御座った。

 

 そうこうしておる内、ある、かの弟子、町方の往診先にて、ふと、

「……板橋辺りに『縁切榎(えんきりえのき)』というものがあり、剥ぎ取ったその樹皮を相手に飲ませれば――これ、どれ程親密で離れ難く愛し合(お)うておる仲の者にても――忽ちのうちに激しく憎み、たち別れたき思いを生ずる……」

という話を聴きつけた。

 

 帰って師の妻に話したところ、

「……どうか一つ、その榎を、採ってきてお呉れ!」

と青年に申し付けた。

 

 彼はその夜のうちに、忍んで板橋へと馳せ至り、何とか、かの榎の皮を引き剥がすと、それを持ち帰ることに成功した。

 

 その深夜――青年は、これを薬研で緻密な粉に加工する。……

 

 翌未明――青年と女主人は、これを如何にして医師並びにかの下女にこっそり飲ませることが可能かについて相談する。……

 

翌朝――女主人は、朝餉の羮物(あつもの)に、かの粉を秘かに仕込む。……

 

……ところが……ここに、当家に永く仕えておった板場の男が、これを見て御座った。

『……奇妙な粉……奥方の怪しげなお振る舞い……これ、若しや……毒殺?!……そ、その仕儀にては、これ、あ、あるまいかッ?!……』

と疑って内心、吃驚仰天!

『……ど、どうしたら、よかろうかッ?!……』

と思い悩んだ末に、

「……そうじゃった、……御庭の手水鉢(ちょうずばち)に、水を入れておかねばならん、な。」

と平気を装って独りごちつつ、厨房(くりや)から庭へと回ると、秘かに縁側へと御主人(おんあるじ)にお声掛け申し上げた上、今朝見た一部始終を語った。

 無論、夫も、

「な、な、何とッ!!……」

と吃驚仰天じゃ……

 

 さても――朝餉の段と相いなる。

 夫は膳に向って座ったが、羮物には手をつけようとせぬ。

 妻は、

「……かねてよりお好きな羮物……今日は如何(いかが)してお嫌いにならるる?」

と訝しんで、頻りに椀を進める。

 進められれば進めらるるほど――いよいよ夫は――否んで椀を取りも、せぬ。

 されば、妻は思わず、

「……かくもお進め申し上げております御好物の羹物を、これ、忌み嫌いなさるるは……まさか……毒にても入れ込んでおるやに、お疑いになっておられまするかッ?! そうと致しますれば――これ、我らが身も立ち難く存じまするッ!――」

と言葉もきつく詰め寄って、またしても強いて、進める。

 なれど――いっかな――返事も荒らかに――夫はまた、それを、拒む。

 されば、遂に妻の怒りが爆発する。

「――然(しか)らば、毒入りとお思いかッ?!――然(しか)れば、我らが食うてみしょうッツ!――」

と言い放つや――

かの夫の羹物の椀をぐいッと摑み――

呷るが如く――

一息に飲み干してしもうた……とのことじゃった…………

 

……はい……

……縁切榎の摩訶不思議なる効験(こうげん)は……

……これ絶大で御座る……

……この一件によって……

……いよいよ二人の仲は致命的な破局を迎えまして……

……かの夫婦は、これ、離縁致いた、とのことで御座る……。

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