耳嚢 巻之五 怪異の事
怪異の事
下總國關宿(せきやど)に大木の松杉ありしが、享保の頃とかや、一夜のうちに二本の木を梢へに結び合せ置しと也。俗にいふ天狗などいへる者のなしけるにや。今に殘りあると彼城主に勤し者の物語り也。
□やぶちゃん注
○前項連関:虫から松杉へ異類怪異譚で連関。所謂、白居易の「長恨歌」で知られる、連理の枝、連理木である。二本の樹木の枝若しくは一本の樹木の分かれた枝が再び癒着結合したものも言う。自然界においては少なからず見られる現象で、比翼の鳥のようにあり得ない現象ではない。特に一つの枝が他の枝と連なって癒着し、綺麗な木目が生じたものが祥瑞として縁結び・夫婦和合の信仰対象となってきた。同木及び近接した同種間ではしばしば起こり、単に支え合う形で繋がって見えるケースも含め、各地で霊木とされる。異なった品種間でも起こるが、このケースのようにマツ目マツ科マツ Pinus の類とマツ目とは言うもののヒノキ科スギ亜科スギ属である Cryptomeria japonica とが、しかも一夜のうちに連理化するというのはあり得ない。天狗ではない、ことを好む何者かが、人為的に柔らかな小枝を正に「結び合せ置」いた、それが枯れ腐らずに、両木ともに成長し、互いの枝の間の間隙が枯葉や砂埃によって充塡されて、連理状に見えて残ったものと考えられる。勿論、そうした現象が自然的に発生することもあり得ないとは言えない(しばしば伝わる石割松の方が、石から松が生えたようで現象的に見れば、昔の人にはもっと奇異であったろう)。ただの悪戯というより、それが客寄せとなれば、当時の経済効果は計り知れない。土地の人々が一様にグルとなって行った企略であった――などと考えると、想像される前後のシチュエーションも楽しめるではないか。なお、本話は呪(まじな)い系の記載を除くと、「耳嚢」の中でも極めてあっさりと書き成したところの、奇譚の最短話と言ってよいであろう。
・「下總國關宿」関宿町(せきやどまち)。千葉県の最北に位置し、旧東葛飾郡に属していた。町の北端は利根川と江戸川の分流点に近く(利根川水系の治水と水運を目的に江戸初期に行われた利根川東遷事業によるもの)、水運の要衝として栄えた。平成一五(二〇〇三)年に野田市に編入。
・「城主」関宿藩の城主は話柄の享保当時から幕末まで久世氏。根岸のニュース・ソースで旗本の勘定奉行・関東郡代の久世広民は名前から見て(久世家当主は歴代「広」の字を名に含む)、この久世家一族と考えてよく、本話の採録もそのルートである可能性が高いように思われる。
■やぶちゃん現代語訳
怪異の事
下総国関宿(せきやど)に、大木の松と杉が並んで生えて御座った。
享保の頃とか――一夜のうちに両木の宙天高くあった二本の梢が――これ、結び合わされて御座った由。
これ、俗に言うところの天狗なんどと申す者の、その仕業ででも御座ったものか。……
「今もそのままに残って御座る。」
とは、かの関宿藩城主久世殿へ仕えた者の、語った話にて御座る。