生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(2)の2
[ほつすがひ]
相模灘の深い底から取れる有名な海綿に、「ほつすがひ」といふものがあるが、その硝子絲を束ねたやうな細長い柄の表面には、いつも必ず一種の珊瑚蟲が澤山に附著して居る。そしてこの珊瑚蟲は「ほつすがひ」の柄から外の處には決して居ない。今では「ほつすがひ」は一種の海綿であつて、その柄も海綿體の一部であることを誰でも知つて居るから、江の島邊の土産にも全部完全したものを賣つて居るが、昔は柄だけを拔き離し、倒に立てて植木鉢に植えたものが店に竝べてあつた。そしてその莖と見える部の表面に、「たこ」の足の疣に似た形のものが一面にあるのは、この珊瑚蟲の干からびた死骸である。また鯨の體の表面には處々に大きな「ふぢつぼ」が附著して居るが、この種類の「ふぢつぼ」は鯨の體に限つて附著し、その他の場所には決して居ないから、これも一種の共棲である。海龜の甲に著いて居る「ふぢつぼ」もいつも種類が一定して、海龜の甲より外の處には決して居ない。すべてこれらの場合には、大きな方の動物はたゞ場處を貸し、小さな方の動物はたゞ場所を借りるだけで、それ以外に別に利益を交換する如きことはないやうに見える。
[やぶちゃん注:「ほつすがひ」これは、
海綿動物門六放海綿(ガラス海綿)綱両盤亜綱両盤目ホッスガイ科ホッスガイHyalonema sieboldi
である。英名“glass-rope sponge”。柄が長く、僧侶の持つ払子(「ほっす」は唐音。獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもので、本来はインドで虫や塵などを払うのに用いた。本邦では真宗以外の高僧が用い、煩悩を払う法具)に似ていることに由来する。深海産。この根毛基底部(即ち柄の部分)には「一種の珊瑚蟲」、
刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目イマイソギンチャク亜目無足盤族 Athenaria のコンボウイソギンチャク(棍棒磯巾着)科カイメンイソギンチャク Epizoanthus fatuus が着生する。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」のホッスガイの項によれば、一八三二年、イギリスの博物学者J.E.グレイは、このホッスガイの柄に共生するイソギンチャクをホッスガイHyalonema sieboldi のポリプと誤認し、本種を軟質サンゴである花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目Gorgonacea の一種として記載してしまった。後、一八五〇年にフランスの博物学者A.ヴァランシエンヌにより本種がカイメンであり、ポリプ状のものは共生するサンゴ虫類であることを明らかにした、とあり、次のように解説されている(アラビア数字を漢数字に、ピリオドとカンマを句読点を直した)。『このホッスガイは日本にも分布する。相模湾に産するホッスガイは、明治時代の江の島の土産店でも売られていた。《動物学雑誌》第二三号(明治二三年九月)によると、これらはたいてい、延縄(はえなわ)の鉤(はり)にかかったものを商っていたという』。『B.H.チェンバレン《日本事物誌》第六版(一九三九)でも、日本の数ある美しい珍品のなかで筆頭にあげられるのが、江の島の土産物屋の店頭を飾るホッスガイだとされている』とある。私は三十五年前の七月、恋人と訪れた江の島のとある店で、美しい完品のそれを見た。あれが最後だったのであろうか。私の儚い恋と同じように――(画像は例えばこちら)。
『鯨の體の表面には處々に大きな「ふぢつぼ」が附著して居る』。これはよく映像でも目にするからご存知であろうが、本文にあるようにこの共生関係も、
哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目鯨偶蹄目Cetartiodactyla(クジラ目Cetacea:下位分類階級が未整理。)
のクジラ類や、
脊索動物門脊椎動物亜門爬虫綱双弓亜綱カメ目潜頸亜目ウミガメ上科 Chelonioidea
に属するウミガメ類(現生種は二科六属七種+一亜種)
と、
節足動物門甲殻亜門顎脚綱鞘甲(フジツボ)亜綱蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目無柄目フジツボ亜目 Balanina
に属するフジツボ類の種関係が、丘先生のおっしゃっているように厳密に特化していて、鯨だけ、海亀だけに付着するフジツボがおり、しかも特定の鯨種・特定の海亀種にのみ、特定のフジツボが付着するという特徴的な関係限定性がある。例えば、これらのフジツボは何れも、
オニフジツボ超科Coronuloidea
に属するもので、
オニフジツボ超科オニフジツボ Coronula diadema *
〔*大型種一〇センチメートルを超える個体もある。体表の表紙組織を巻き込んで、周殻の半ばは皮膚に埋没して付着する。ザトウクジラの頭部・胸ビレ・喉に付着し、また、多くの化石記録が知られている(化石サイトではかなり知られたお馴染みのようである)。因みに、このオニフジツボ Coronula diademaに付着する蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目有柄目エボシガイ亜目エボシガイ科エボシガイ属ミミエボシ Conchoderma auritum という強者の中の更なる強者もいる。〕
は、
ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科ザトウクジラ Megaptera novaeangliae
の皮膚にしか生息せず、
オニフジツボ超科ハイザラフジツボ Cryptolepas rhachianecti**
〔**コククジラの背中を覆うように多数付着する。コククジラは海底面のベントスを濾しとって食べるが、必ず右側を下に向けて採餌するため、海底面との摩擦のない左側に多くフジツボが見られる。鱗状の表面を持つ石灰質の壁を放射状に持ち、クジラの皮膚組織を摑んで皮膚深く埋没している。素手で剥離することは難しく、採取にはナイフで皮膚ごと採集する。〕
は、
ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ上科コククジラ科コククジラ(克鯨/児童鯨)Eschrichtius robustusgray
の皮膚にしか付着しない。また、ウミガメ類では、ウミガメにしか付着しないオニフジツボ超科 Coronuloidea のオニフジツボ類については、林亮太氏の「ウミガメ類・クジラ類に特有に付着するフジツボ類(オニフジツボ超科)の形態と日本での産出記録」(二〇〇九年)によって、以下のような詳細な種報告が纏まっている(日本ウミガメ協議会の「ニュースレター八一号」所載。ここからダウンロード可能。上記のハイザラフジツボも含め、以下の〔 〕内の解説文も当該論文を主に参照させて頂いている。学名を丁寧に解説されておられ、素晴らしい画像もある論文であり、是非、一読されんことを望む)。
カメフジツボ Chelonibia testudinaria ***
〔***ウミガメ類の甲羅に着生する背の低い円錐形をした、白みを帯びた淡色の大型フジツボで、直径約五~八センチメートル、殻高約三センチメートル、四大洋の熱帯から亜熱帯の海域に広く分布する。日本ではアカウミガメ・アオウミガメから採集記録がある。背甲・腹甲・縁甲板、頭部など、ウミガメの体の硬質部位に付着する。〕
サラフジツボPlatylepas hexastylos ****
〔****アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイから採集記録がある。ウミガメ体表面の硬い部位から柔らかい部位まで全身に見られる。最大でも二五ミリメートル程度。〕
デコフジツボPlatylepas decorata *****
〔*****アオウミガメ・タイマイの皮膚上に付着する。小型で一〇ミリメートルを超えない。〕
ツツフジツボCylindrolepas sinica ******
〔******アオウミガメ・タイマイに多く観察される。首周り・尾周り・腹甲板・縁甲板に見られるが、頭部・背甲・前後肢上には見られない。アオウミガメには多数の付着が見られるがアカウミガメではあまり見られない。〕
サカヅキフジツボStomatolepas praegustator *******
〔*******カウミガメ・アオウミガメに見られる。ウミガメの首周りのような柔らかい部位に付着している。楕円形。〕
フネガタフジツボStomatolepas transversa ********
〔********アオウミガメにのみ見られる。腹甲の溝、また前後肢の鱗板の溝に埋没する。サカヅキフジツボよりも更に縦長の長円形。〕
ユノミフジツボStephanolepas muricata *********
〔*********アカウミガメ・アオウミガメの前肢正面に深く埋没する。成熟個体にしばしば見られるが、甲長六〇センチメートル以下の小型のウミガメ個体からの採集記録はない。深い椀状。〕
キリカブフジツボTubicinella cheloniae **********
〔**********日本では鹿児島県屋久島に漂着したアカウミガメ背甲に複数個体が穴を開けて付着している例が観察されたほかに採集記録はない。ウミガメの背甲の骨にまで穴を開けて埋没する。輻部に複数の大きな突起を不規則に発達させ、甲羅に深く埋没している。〕
エボシフジツボXenobalanus globicipitis ***********
〔***********鯨類の背ビレ・胸ビレ・尾ビレの末端部に一列に並んで付着している。日本ではスナメリ・シャチ・カズハゴンドウ・ミナミハンドウイルカから採集記録がある。世界中の記録をまとめると十九種の鯨類から採集されており、世界最大のシロナガスクジラからも記録がある。蓋板は完全に退化して消失し、全体の形状が烏帽子型をした異形である。〕
また、ウミガメ以外でも、
爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科 Hydrophiidae のウミヘビ類
の体表面に特異的に付着するという、
ウミヘビフジツボPlatylepas ophiophilus
甲殻綱エビ目エビ亜目カニ下目ワタリガニ科ガザミ Portunus trituberculatu
の甲に付着する、
カメフジツボ属ガザミフジツボ Chelonibia patula
などがいる。
「すべてこれらの場合には、大きな方の動物はたゞ場所を貸し、小さな方の動物はたゞ場所を借りるだけで、それ以外に別に利益を交換する如きことはないやうに見える。」これらはいずれも片利共生の可能性が高い。私は片利共生と寄生の境界の曖昧性を実は好まない。クジラの皮膚に食い込んでいるオニフジツボはどう見ても、節足動物門甲殻亜門甲殻綱端脚目クジラジラミと似たり寄ったりで(あの恰好で無数に付着しているのを見るとクジラジラミは寄生虫だと叫びたくはなるが)寄生していると言うべきであろうし、ヒトがクジラやウミガメの個体識別にフジツボの付着が役立っている、それは引いては自然保護に繋がるなんどと誰かが冗談にも言おうなら、それこそ人間絶対優位のローレンツの亡霊の復活で、ますます以って気持ちが悪い。]