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2012/09/04

耳囊 卷之五 神隱しといふ類ひある事

 

 神隱しといふ類ひある事

 

 下谷德大寺前といへる所に大工ありて、渠が倅十八九歲にも成けるが、當辰の盆十四日の事なる由、葛西邊に上手の大工拵たる寺の門あるを見んとて、宿を立出しが行衞なく歸らざりし故、兩親の驚き大かたならず、近隣の知音(ちいん)を催し鉦太鼓にて尋しがしれざりしに、隣町の者江の嶋へ參詣して、社壇におゐて彼者を見懸し故、いづちへ行しや、兩親の尋搜す事も大方ならずと申ければ、葛西邊の門の細工を見んとて宿を立出しが、爰はいづくなるやと尋ける故、江の嶋なる由を申けれど甚(はなはだ)眩忘(げんばう)の樣子故、別當の方へ伴ひしかじかの樣子を語り、早速親元へ知らせ迎ひをさし越べき間、夫迄預り給はるべしと賴みて、彼者立歸りて兩親へ告し故、悦びて早速迎ひを立し由。不思議なるは彼者の伯父にて大工渡世せる親の爲には弟なる者、是も十八九歲にていづち行けん不知故、所々尋けれど是は終(つひ)に其行衞わからざりし間、一しほ此度も兩親愁ひなげきし由也。 

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:連関を感じさせない。九つ前の「貮拾年を經て歸りし者の事」と直連関。この手の神隠し物は以前の巻にもしばしば見られ、根岸の好きな話柄である。失踪間の記憶をごそり欠落させている重い部分健忘であるが、最後の叙述が気になる。彼の家系には記憶障害を引き起こす遺伝的な内因性素因がある可能性があるからである。記憶障害自体が乖離障害であるが、彼の場合、内因性乖離性同一性障害若しくは器質的な先天的脳障害の疑いを持つべきであり(失踪した伯父のケースでも全く同年の同様の症状を発症している)、だとすると、彼の失踪は今後もたびたび繰り返される虞れがあるからである。

 

・「下谷德大寺」底本には『(尊經閤本「光德寺」)』と傍注し、更に鈴木氏は注で何れも誤りで、『広徳寺が正。』とする。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では正しく『広徳寺』であり、現代語訳でも訂した。東京都台東区東浅草二丁目(浅草寺の北方)にある天文二一(一五五二)年創建とする臨済宗寺院。鈴木氏注に広徳寺門前町は『同寺南側の道路に沿った辺』りとし、ここではたまたま、この寺ではない寺の門が話題となっているが、この『広徳寺の門は寸足らずの門として有名で、』「どういうもんだ広徳寺の門だ」という言い回しが用いられるほどであったが、『関東大震災で焼失した』とある。

 

・「當辰」寛政八(一七九六)年。共時的現在時制的叙述である。

 

・「葛西邊に上手の大工拵たる寺の門ある」広義の「葛西」は武蔵国葛飾郡を指し、現在の東京都墨田区・江東区・葛飾区・江戸川区の地域を含む。現在の葛西は、もっと限定され、東京都江戸川区南部の旧東京府南葛飾郡葛西村を中心とする地を示す。岩波版の長谷川氏はこれを現在の葛飾区と採っておられる(鈴木氏は江戸川区葛西一~三丁目とする)。ならば、と人によっては寅さんで印象的な柴又帝釈天、日蓮宗経栄山題経寺(だいきょうじ)の山門を俄然思い出されるかたもあろう(私もそうであった)。しかし残念ながら、あの屋根に唐破風と千鳥破風を付し柱上の貫(ぬき)などに浮き彫りの装飾彫刻を施した名門は明治二九(一八九六)年の建立で、江戸当時はなかったのであった。

 

・「眩忘」「日本国語大辞典」に、目が眩(くら)み、正気を失うこと、とあり、例文に正に本話が引かれている。

 

・「別當の方」江島神社の総別当で宿坊であった岩本院。詳しくは私の「鎌倉攬勝考卷之十一附録」の「江島總説」及び「別當岩本院」の項を参照されたい。

 

・「鉦太鼓にて尋しが」ドラマなどでしばしば見られる光景であるが、これは神隠しや行方不明が発生した際の一種の捜索を兼ねた呪術的な儀礼であり――鉦や太鼓の音が遠くまで届いて失踪者の耳に入るという、プラグマティックな期待をも当然孕みながらも――私は失踪者を一種の離魂現象として捉え、幽体離脱という異界(失踪・神隠し)から、正常な世界に戻す(帰還させる)ための魂呼びの効果を、この音や行為は持っていたのではないかと考えるものである。私がそう考えるのはネット上の記載の中に、鉦太鼓を叩いて回るのはある特定のルートとする記載があり、それだと捜索の実用性が著しく減ずるからである。寧ろ、神主などの呪術者の占いによって示された、結界としての正当な神によって守られた道(捜索者自身のミイラ取りがミイラになるのを防ぐ役割)をイニシエーションとして通過することで、その後の捜索のための霊力を捜索者たち自身が身に着ける行為ででもあったのかも知れない。――ともかくも私はあの鉦太鼓の道中が妙に好きなのである。他の見解などあれば、識者の御教授を乞いたいものである。 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 

 神隠しという類いが実際にあるという事 

 

 下谷広徳寺前とかに大工が住んでおり、彼の倅は十八、九歳になる。

 

 今年、寛政八年の盆十四日のことであるらしい。

 

「葛西辺に、腕のいい大工が拵えた寺の門があるというんで、一つ、見に行ってくるわ。」

 

と言って、家を出て行ったきり、その儘、行方知れずとなった。

 

 両親の驚嘆、これ、一方(ひとかた)ならず、近隣の知れる人々に声を掛け、鉦太鼓を打ち鳴らしては探し回ったものの、行方は杳(よう)として知れぬ。 

 

 ところが、それから暫くして、隣町の、失踪した倅の知人が、たまたま江ノ島へ参詣した。

 

 すると――なんと、その江の島の弁天様の社壇に――ぼぅーと立ち竦んでいる――かの子倅を見出だした。

 

「……て、てめえ! 一体、何処をほっつき歩いてたんでえ?! てめえの両親(うち)は、あっちこっち捜し回って、そりゃもう、てえへんな騒ぎだったんだぜい!」

 

と質いたところ、

 

「……葛西……辺りにある……寺の門の……細工を……見ようと思うて……家(うち)を出た…………ここは…………何処(どこ)、じゃ?……」

 

と逆に訊ねる始末。思わず、

 

「……江の島に決まってんだろが!……この‼コンコンキチがッツ!!」

 

と怒鳴り散らした。

 

 ところが彼は……

 

……とろんとした目……

 

……呆けた口元は正気を失(うしの)うた、というばかりでなく……

 

……失踪しておった間の記憶も……

 

……どうも、これ……

 

……全く、ない……

 

といった風情故、とりあえず、神社の下にある別当岩本院方へと伴い、別当の僧には、しかじかの訳を語った上、

 

「……という次第で御座んす。……早速、親元へ知らせ、迎えを寄越すよう手筈致しやすんで……そのぅ、一つ、このボンクラ、それまで預かりおいて下さりやせんか?」

 

と頼みおいた。

 

 男は急遽、広徳寺門前の親元へと馳せ参じ、「倅発見」の報を告げた。

 

 両親は喜んで早速、迎えを立て、倅は無事、帰参を果たしたのであった。 

 

 最後に。

 

 ここに、今一つの、不思議が御座る。

 

 ――その神隠しに遇った倅の伯父で、大工を生業(なりわい)と致いておる彼の父親(てておや)の弟に当たる者、これも以前――全く同じ十八、九歳の折り――同じく、何処(いずこ)へ参ったものやら、これ、分からずになった――というのである。

 

 本件同様、方々探し尋ねたものの……但し、これは……遂に行方が知れぬまま……今に至っておるとのことで御座る。

 

 

 

 さればこそ、この度の倅失踪の間も、両親は内心、

 

「……この度も……また……」

 

と半ば望みを失(うしの)うて、殊の外、愁い歎いておった由に御座る。

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