耳嚢 巻之五 雷嫌ひを諫て止めし事
雷嫌ひを諫て止めし事
或人のかたりしは、誠に實儀の事なる由。至て雷を嫌ふ親友の有りしが、或日倶に酒汲て遊びし時、御身雷を嫌ひ給ふ事人に勝(まさ)れたるが、我等の異見を用ひ給はゞしかと止べしといひければ、彼人聞て、假初(かりそめ)の事ながら雷を恐るゝ事言甲斐(いふかひ)なしと思へども、雷のせん日は朝より心持惡敷(あしく)、雷鳴頻りなれば誠に心魂を失ふに似たり、武家に生れかゝる事何とも殘念なれば、いかやうの事にても異見に隨ふべしと言ひし故、左あらば御身の好給ふ酒を止め給ふべし、長く止るにも及ぶまじ、雷の鳴(なり)候迄止めて、雷いたし候時は用られよと教ければ、右教を堅く守り、暑(しよ)の強き夕べ酒呑んと思ふ時もねんじて思ひ止まりしが、雲立(くもだち)などして少し雷氣を催す空には早々雷もしよかし、一盃を樂(たのしま)んと雷氣を待つ心になりて、後は果して雷嫌ひ止(やみ)事雷好(ことかみなりずき)に成(なり)しと人の語りぬ。可笑しき事故爰に記しぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:滑稽の和歌による瓢箪から駒から、滑稽の掟による瓢箪から駒の滑稽譚連関。私はこの雷嫌いの主人公、フォビアとしての心理的側面よりも(泉鏡花の雷嫌いは富に有名で、番町の家の天井には雷よけの呪(まじな)いに玉蜀黍を吊るしていた)、「雷のせん日は朝より心持惡敷」という予兆感覚の方に興味がある。恐らく大気の気圧や電気的な変化に敏感であったに違いない。犬の雷恐怖症は実際に雷の鳴る以前から症状が見られるし、ネット上には鳴る前に髪の毛が痒くなる人がいるという記事があり、雷ではないが、私の昔の同僚の一人に、台風が近づいて来ると同時に(予報などを見ないで)不定愁訴を訴え、実際に襲来を予見出来る男がいたのを思い出す。私はこういうことは科学的にも有り得ることと思っているのである。彼には生理的な変調によって雷が予見出来た。その変調は恐らく、何とも言えない(明確に嫌悪を催すというのではないが)中程度の不快を持った生理的変異であったのであろう。序でに言えば、遙か幼少の砌に、近くで落雷を経験してそれが一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こし、永くトラウマになったのかも知れない。ところが、この友人の心理的な条件拘束によって、彼は雷を予見する時、その時感ずる生理的感覚的不快感が、今度は新たに飲酒が出来るという大きな心理的快感を引き起こすに至った。その結果として、軽い前者は打ち消され、後者が快感の経験則として残り、速やかに認識されるオペラント条件付けが行われたのである。私が言いたいのは、この場合、その『予見性』にこそオペラント条件付けの淵源があり、強化のポイントがあった点なのである。
・「早々雷もしよかし」底本は「しよ」の右に『(せよ)』と傍注する。
・「後は果して雷嫌ひ止(やみ)事雷好(ことかみなりずき)に成(なり)し」は、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『後には果して雷嫌ひ止て雷好(ずき)に成りし』とある。私は底本を、
後には果して雷嫌いが止み、こと、雷好きになった
の意で採る。即ち、「こと」は「殊」で、格別に、の意の形容動詞語幹の用法による、強調表現と採るものである。
■やぶちゃん現代語訳
雷嫌いを忠告によって療治した事
ある人の語り。
「これはまっこと、事実で御座る。……
……拙者に、大の雷嫌いの親友が御座ったのじゃが……ある日のこと、共に酒を酌み交わしながら、
「……御身の雷嫌い、これ、人後に落ちぬ嫌いようじゃが……我らの忠告を用いんとならば……これ、熄(や)むこと間違い御座らぬ。……」
と話を向け申した。すると、
「……雷なんどは、これ、一時の、つまらぬものとは、分かってはおり乍ら……いや、勿論、雷なんど恐るるは、児戯に類し、これ、如何にも不甲斐なきこととは思えども……いっかな、雷の鳴りそうな日は……これ、もう、朝より気持ちが悪うなって御座って、の……かの雷鳴が盛んに鳴り出したら、これ、もう、いかん……まっこと、心魂吹き消えてしもうような心持ちと相い成る。……武家に生まれ、かかること、これ、何とも残念無念。――なればこそ! 如何なることにても、貴殿の忠告に従わんとぞ思う!……」
と申しました故、
「されば。……御身の、頗る好み給うところの、これ。……酒。……この酒を――お止めなされい。……いやいや、永久(とわ)に止めよと申すにては、これ、御座ない。
――雷が鳴る直前までは――これ、禁酒――
……なれど、
――雷が鳴り響き、すっかり雷が鳴り熄(や)むまでは――これ、禁を解く――
……呑んでよう御座る。……」
と教えを垂れて御座った。
かの友はその後(のち)、この拙者の教えを、これ、律儀に堅く守りましての……
……そうさ、今日のように、かくも暑さ厳しき夕暮れなんどに、
『……あっ、はァ……酒が……呑みたい……』
なんどという思いが過(よ)ぎった折りにても――これ、ぐっと堪えては――思い止まる――といったことを繰り返して御座った……
……すると……そのうち……
……入道雲がむくむくと立ち登って、いささか雷の来そうな気配が空に満ちて参りますれば、これ、
『――!――早(はよ)う早う、雷も鳴れ――一杯、楽しまんとぞ思うに!――』
と――雷の気配致すを、これ、待ち望む心持ちと相い成るようになって……後には、果たして……雷嫌い――どころか――殊の外の雷好き――と相い成って、御座った。……」
と、その御仁が語った。
実に面白いこと故、ここに記しおくことと致す。

