生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (序)
第五章 食はれぬ法
生物界の活動が大部分は餌を食ふためである以上は、どの種族のどの個體でも、食はれぬ術に秀でたものでなければ生命は保たれぬ。今日生存する六十餘萬種の動物を見るに、皆何らか敵に食はれぬための方法を具へて居る。しかし餌を捕へて食ふ側の方法も進歩して居るから、なかなか安心しては居られず、食ふ方法と食はれぬ方法との競爭に勝つたもののみが、よく天壽を全うすることが出來るのである。動物が敵の攻撃に對して身を護る方法は實に種々雜多で、これだけを集めて書いても大部な書物になる位故、こゝには一々詳しいことを記述するわけには行かぬが、その方法の相異なつたもの若干を擧げ、各々二、三の實例によつてこれを説明して置かう。
[やぶちゃん注:「今日生存する六十餘萬種の動物」流石に百年経っているから三倍近く増えている。現在、生物分類学上(以下、分かりきった数字の頭の「約」を省略する)、
種名を持つ動物種 一七五万種
とされ、未発見のものを含めて推定試算すると、地球上の
全生物種総数 三〇〇〇万~五〇〇〇万種
人によっては、控えめに見ても
全生物種総数 一億種
に達するとも言われる。例えば、種名を持つ動物種一七五万種とする個人のHP「宇宙船地球号のゆくへ」の「生物多様性」の記載を見ると、
昆虫類 七五万一〇〇〇種
多細胞植物約 二四万八〇〇〇種
昆虫を除く節足動物 一二万三〇〇〇種
軟体動物 五万種
真菌類 四万六〇〇〇種
とある。但し、この記述で気になるのは『現在までに発見され、命名されているのは』一七五万種である、という謂いである。これは当然、膨大な化石種を含むと考えられる。地球の歴史にとってみれば、また、自然現象や人類のために毎日のように滅亡してゆく種(*)があることを考えれば、化石種も現生種も大した差はないとも言えはしよう。
(*一日に平均して一〇〇種が絶滅している(一時間で四・六種とする主張もあり、これだと一日一一〇種になる)とまことしやかに言われるが、これについては私はあまり根拠のある数値であるとは思っていない。これは環境学者ノーマン・マイヤーズの「沈みゆく箱舟」(岩波現代選書一九八一年刊)に基づくもので、恐竜時代には約一〇〇〇年に一種、二〇世紀前半は毎年約一種の割合で生物種は絶滅していたが、一九七五年頃には毎年約一〇〇〇種が絶滅し、今世紀最後の二十五年間で一〇〇万種、平均して毎年四万種が絶滅するという統計的推定からの、単純逆算である。であれば、単純計算すると「我々の命名した知られる種」の内の二種弱が毎日絶滅していることになり、年間、「我々の命名した種」は少なくとも七三〇種以下三六五種以上が年間で絶滅し、刊行された一九八一年以降、凡そ二〇年間で加速分も含めれば(凡そ種の保護は追いついていないはずだから)、一万種以上の「我々に知られた一般的な種」が絶滅報告されていなくてはならない計算になる。私が言いたいのは、そのような報告が実際に事実としてあり、それを我々が日常的に知って驚愕しているかどうかである(新種発見の増加率は、有意なものとはみなせないとしてである)。生物種の絶滅は確かに加速しているし、種の保護は急務ではある。しかし、それをこのような数字で恐懼し、神経症的に自然保護を声高に叫ぶ以前に、私はヒト自身が、チェレンコフの業火や人為的単純環境の増加によって、それこそ多様性を失って、ヒトという種自身が滅亡の危機にあることを真剣に恐懼することの方が、より重要であるように思われてならない。)
しかし、やはり気にならないか? 化石種を除いた現生生物の種数が摑みたいというのは純粋な「子供」の欲求である。私はその点で子供でありたい。そこで、「学研サイエンスキッズ」(こういう場合、子供向けサイトの方がこちらの需要に合った情報を伝えてくれるものである)の「動物は何種類くらいいるの」の答えを見よう。
動物種総数 一〇〇万種
とし、
鳥類 九〇〇〇種
魚類 二万三〇〇〇種
哺乳類 五〇〇〇種
両生類 二〇〇〇種
爬虫類 五〇〇〇種
で、以上の
脊椎動物総数 四万四〇〇〇種
とする。以下、無脊椎動物は
節足動物 八〇万種
軟体動物 一一万種
腔腸動物 一万種
原生動物 三万種
等とし、
植物 三〇万種
とウイルス・細菌菌類総てを含めた、
全生物種数 五〇〇万種以上
と提示している。ここで最後に再び、別なアカデミックな最新記事データを見ておくと、「科学ニュースの森」の二〇一一年八月二十五日附記事「地球上の生物種数」によれば、現在、発見されているだけで、
生物総数 一二〇万種以上
とあり、数値から見てこれは動物の種数を言っているとしか思われず、キッズ・データの確かさを裏打ちする(管見したところではどうも一〇〇万種から一五〇万種というのが学者の相場らしい)。因みに、この記事では、ハワイ大学とカナダにあるダルハウジー大学の共同研究チームによる生物の分類階級間の相関関係の研究により、地球上の
全真核生物総数 八七〇万種
とし、内
陸産総数 六五〇万種
海産総数 二二〇万種
と予測されたとあり、これによって現在陸産真核生物の八六%、海産のそれの九一%の生物種が未発見であるとある。こちらはかつての予測の一億に近づいた数値ではある。
以上、これらの数値のいづれが正しいと思われるかは、読者の判断に任せたい。ともかくも私には子供向けの答えの方が、化石種を含まない数として、また、納得出来るしっくりくる数として「ある」とだけは言っておきたい。]
こゝに一寸斷つて置くべきことは、動物が自ら身を護る方法でも、餌を捕へて食ふ方法でも、一種毎にその相手とするものは略々定まつて居て、決してすべてのものに對して同等に有功といふわけには行かぬといふことである。例へば堅い殼を被つて身を守るにしても、多數の敵はこれで防ぐことが出來るが、その殼をも破り得る程に力の強い敵、またはその殼を溶す程の強い劇藥を分泌する敵に遇つては到底協わぬ。しからば如何に強い敵が來ても、これを防ぎ得べき厚い殼を具へたらば宜しからうと考へるかも知らぬが、それでは普通の敵を防ぐためには厚過ぎて不便である。如何なる器官でも、これを造つて維持して行くには必ず資料を要する。そして器官が大きければ大きい程、これに要する資料も多いから必要以上に殼を厚くすることは、即ち滋養分を浪費することに當る。極めて稀に出遇ふ特殊の強敵をも脱ぎ得んがために、日常莫大な滋養分を浪費するのと、普通の敵を防ぐに有功なる程度に止めて滋養分を節約し、剩餘を生殖の方面に向けるのとでは、いづれが策の得たるものであるかは問題であるが、多くの場合には後の方が割が宜しい。かやうな關係から大抵の動物では、その護身の方法には一定の標準があつて、相手と見做す敵動物は略々定まつてある。こゝに述べる食はれぬ方法といふのも、各動物の標準とする敵に對して有功ならば、それで目的に協つたものと見なさねばならぬ。
[やぶちゃん注:「協はぬ」は「かなはぬ」と訓ずるが、「協う」の「かなう」は「合う」「合致する」「共にする」の意であって、「敵う」の「かなう」、後に打消しの語を伴って、対等の力はない、対抗出来ない、匹敵しないの意で用いるには、少なくとも私には抵抗がある。最後の「目的に協つたもの」の方は、合致するの意で自然である。]
なお一ついふべきことは、先方から攻めて來るのを待たず、當方より食つて掛るのも、 食はれぬ法の一種である。およそ如何なる武器でも、攻撃にも防御にも役に立つもので、同一の劍と鐡砲とで、敵を攻めることも味方を守ることも出來る通り、動物でも攻める裝置の具はつてあるものは、特に食はれぬためのみの方法を取るに及ばぬ。堅い甲を被つた龜は敵に遇ふごとに、頭と手足とを縮めるに反し、「すつぽん」は敵を見れば進んで嚙み付かうとする。それ故、甲は柔くても、これを襲ふ動物は却て少い。こゝには敵を攻めるのと同一の武器を用ゐて身を護る場合は一切略して述べぬこととする。
[やぶちゃん注:「すつぽん」爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポン
Pelodiscus sinensis。彼らがカメ類で唯一、柔らかい甲羅を持つ理由は、水中生活に特化したからというのが定説である。ウィキのスッポンにも『生息環境はクサガメやイシガメと似通っているが、水中生活により適応しており水中で長時間活動でき、普段は水底で自らの体色に似た泥や砂に伏せたり、柔らかい甲羅を活かして岩の隙間に隠れたりしている。これは喉の部分の毛細血管が極度に発達していてある程度水中の溶存酸素を取り入れることができるためで、大きく発達した水かきと軽量な甲羅による身軽さ、殺傷力の高い顎とすぐ噛み付く性格ともあわせ、甲羅による防御に頼らない繁栄戦略をとった彼らの特色といえる』とあり、丘先生の『「すつぽん」は敵を見れば進んで嚙み付かうとする。それ故、甲は柔らかくても、これを襲ふ動物は却て少い』という解説の正当性が裏付けられる(実は私は、攻撃的に咬みつくから、甲羅は柔らかくてよかったという、この記載に若干の疑問を持っていた)。]