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2012/09/01

胡瓜と戀 火野葦平

   胡瓜と戀

 

 崖の傾斜がひどかつたのか、足場がやはらかかつたのか、それとも、自分が疲弊の極に達してゐたせゐか、おそらくその三つがいつしよになつてのことであらうが、ともかく、或る日、河童は轉んで、落ちたのである。空と樹と花と草と湖と、周圍にあるものが急速に廻轉し、逆になり、横になり、縱になり、さうして、まつ暗い深い穴のやうなところに、したたかに腰の蝶番(てふつがひ)を打つてへたばつた。しばらく息ぎれがし、眼まひがして、動くことができなかつた。たたきつけられ、そして電車に轢かれた蛙のやうなぶざまな恰好(かつかう)その濕氣の多い穴の底に、眼をとぢたまま、じつとしてゐた。氣が遠くなる思ひであつたが、強ひてもはや氣力を恢復しようとも思はなかつた。このまま死んでもよい、――さういふ諦觀がいまはこころよいもののやうに、敗殘の河童の身内を逆にあたたかくするやうに思はれた。落下したことは偶然であつたが、その運命はすでに定められてあつたのだと肯定し甘受するつもりである。どうせ來る死がすこし早く來らだけだと、河童は靜かにその恩惠へ感謝するのである。

 永い旱魃(かんばつ)と飢饉(ききん)つた。すべての食糧をうしなつた河童たらは、つひには輕蔑してゐた昆蟲類までも食餌(しよくじ)にするやうになつて、墮落した。土壇場になつて獸と化するのは人間ばかりではない。すくなくとも不倫と破廉恥を戒律として、人間を哀れんでゐた河童たちも、たへがたい飢饉の試煉のまへに、やはり人間と同じ墮落の道程をふんだ。多くの者がたふれた。そして、仲間のものを奪ひあひ、仲間をたふし、つひには、仲間を食ふ者さへあらはれて、平和であつたこの森も、地獄の樣相を呈するにいたつた。建つた者は、亡靈のごとく、靑ざめ、層瘦せおとろへ、背の甲羅は剝げ、頭の皿の水もかわいた。皿の水の盡きることは死を意味する。しかし、必死の補塡(ほてん)も、すでにその源泉のものの枯渇(こかつ)のために、徒勞に終ることが多かつた。日に日に生を終る者が增した。雨を拒否する殘忍な太陽へ、恨みのまなざしを投げて、多くの河童たちが死んだ。

 かれもまた死の一歩手前にあつたのである。しかし、最後の一鮎までも生へ執着する不可解な慾望が、もはや歩行も困難なほど憔悴しきつてゐた河童を、なほも、自殺の決意からは遠ざけてゐた。もはや何度も無駄をくりかへしたにもかかはらず、もうひとつ丘を越えてゆけば、なにか食物があるのではないかと、あたかも、數萬年の昔、地層が堆積(たいせき)していつたほどの緩慢(くわんまん)な速度で、かれは地上を移動してをつたのであつた。さうして、元氣な時分ならけつして落ちる筈のないやうな傾斜面から、砂や小石ころとともに轉落したのであつた。犧牲にも慾望にも限度がある。ここにいたつて、かれももはやただひとつの可能たる死をよろこんでたぐりよせる氣にならざるを得なかつたのだ。

 河童は死なうと思つて眼をとぢた。多くの仲間たらも、こんなにして死んだのであらうと思つた。悲慘な状況になつて以來、あふ機會もうしなつてゐた女も、ひよつとしたらこんなにして、もうこの世から去つてゐたのでもあらうかと思つた。しかし、そのことすら、もう彼の感懷を動かさなかつた。たそがれて來たらしく、いよいよあたりは暗くなる。だんだん氣が遠くなつてゆくやうで、もう長いことはあるまいと、他人ごとのやうに考へてゐた。風のさやぎがかすかに耳にきこえるばかりだ。

 ところが、せつかくの彼の希望にもかかはらず、死神は好都合におとづれては來なかつた。そればかりではない。河童は疲弊困憊(こんぱい)してゐた筈であつたにもかかはらず、ふいにバネ仕掛のやうなはげしく活動的な跳躍のしかたで、穴の底に飛びおきたのである。狂氣のまなざしになつた河童はあわてふためく樣子で、うろうろとあたりを見まはしはじめた。鼻をかくつかせ、犬のやうに、そこらぢゆうを嗅ぎまはつた。絶望の表情のなかに、聲を發するほどの希望と歡喜のいろがあらはれて、彼の行動は憑(つ)かれたもののやうだつた。

「やつぱり、さうだ」

 河童は喊聲(かんせい)をあげた。あまりのよろこびのために、眼まひがして、一度はたふれた。起きなほると、穴の底を水かきのある手で掘りはじめた。そのとき、氣づいたのだが、落ちた穴の片側は自然の土手ではなくして、板片を組みあはせてつくつた壁のやうなもののうへを、土と草とが掩(おほ)つてゐたのであつた。食物の貯藏庫だ。もう疑ふことはできないと、すでに死をふきとばしてしまつ河童は、大陸を發見したコロンブスよりも歡喜にもえて、もう嘴からはだらだらと牛のやうに涎をたれた。

「胡瓜(きうり)倉だぞ」

 大好物の胡瓜のにほひをあやまる筈はない。先刻、死を覺悟して横たはつてゐた鼻に、幻のやうに、煙のやうに、重々くただよつてしみこんで來たにほひ、長い間ありつくことのなかつたために、ほとんど忘れようとしてゐたにほひ、その強烈なにほひのために、なくなつてゐた身體に突如力が湧きいで、跳躍したのであつた。そのにほひの出てくる、小さな穴を發見すると、必死の掘鑿(くつさく)をはじめたのだ。

 大して、骨の折れることではなかつた。短い時間で、驚歎すべき成果を獲得した。想像したとほり、板があつて、それが朽(く)ちてゐるのだつた。河童はその腐蝕してゐる部分に、瘦せていよいよ鋭くなつた爪をたて、これをひきはがした。破つた。さうして、やつと身體のはいれるだけの穴にすると、身體をかがめてもぐりこんだ。靑黒く衰へ、剥げかかつてゐる背や肩、足腰に、とげとげしい穴の周圍がさはつて、燒傷(やけど)のやうな痛さを感じたが、まるで胡瓜のにほひの釘ぬきで引きぬかれるやうに、その狹い入口を通過した。

 なんといふすばらしい光景か。河童はもう夢中、だつた。なかはまつ暗であつたが、夜目の利(き)く河童には、すべての状況は明白だつた。胡瓜の山だ。ふつくらとした、形と色のよい新鮮な胡瓜が、見あげる天井までも積みあげてある。何千何萬あるかわからぬ。しかし、沈着な計算などしてゐる餘裕はなかつた。異樣な狂喜の聲を發し、空腹の河童はをどりかかるやうに、手近のところの胡瓜をつかむと、ばりばりと食べだした。眼を白黑させ、咽喉をつまらせ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、……たちまち胡瓜の山を全部胃袋のなかへ移住させてしまふやうな勢だつた。しかし、犧牲や忍耐に限度があるやうに、胃袋にも限度がある。胃袋はもらろん、食道にも、口中にも、つかへるほどつめこむと、河童はがつかりしたやうに、尻餅をつき、ためいきを吐いた。それから、やつと、うれしさで、涙をながした。自分の生き得ることがわかつたのだ。

 妙なけだるさを覺え、眠氣をもよほしてくると、横になつた。天からあたへられた幸運に感謝し、わづか十分ほど前に妥協しようとした死へはげしい憎惡をたぎらせた。崖から落ちたときには、しまつたと思つたのだが、落ちなければこの幸運にめぐりあへなかつたことを考へ、死と生との別れ目のあまりの際どさに、戰慄をおぼえた。しかし、やがて滿足のうちに、この日ごろ嘗て知らなかつたこころよい熟睡に落ちた。

 それから、何日かが過ぎた。食糧のなかに埋つた河童は、こころゆくまで胡瓜をうちくらひ、めきめきと肥え太つた。別人といつてよかつた。夢のやうである。夢ではあるまいか。夢ではなかつた。たしかに現實であつた。河童の日々は、胡瓜とともに明け、胡瓜とともに暮れた。健康が恢復してくると、思考も正常になつてくる。健全な精神は健全な身體に宿る、といふのは、人間の世界ばかりではなかつた。すつかり健全になつた河童は、やがて、愛とか、正義とか、社會とか、道德とか、詩とか、いふやうな、贅澤な思想をとりもどした。すると、彼は自分の幸福の棍據について、すこしづつ疑念がわいて來た。

 いつたい、この胡瓜はたれのものだらうかと、まづ考へた。蓄積した者のあるのは明確である。自分たちの仲間だらうか? 人間だらうか? それはわからない。しかし、所有者のあることは否定できない。たとへ、これが祕密に蓄積されたものとしても、持主の存在は嚴としてある。さすれば、自分は他人の財産によつて生活してゐる寄食者である。しかも、許可を得てゐるわけでもないとすると、窃盜(せつたう)罪、横領罪にもなりかねぬ。しかし、この隱匿(いんとく)物資の所有者といふのは時日が經過してもあらはれない。忘れてゐるわけはあるまいから、もしかしたら死んだのか。だがどつちでもよい。死に瀕(ひん)してゐる者が多少の施しを受けることは當然だし、地上では多くの者が餓死しようとしてゐるのに、こんなにも多量な、出しさへすれば數ケ月は仲間が食ひつなげるほどの物資を隱しておくことは、すでに惡だ。惡漢が自分をとがめることはできない筈だ。そんならと、かれは胸を張る。もう一段おしすすめて、この物資を仲間中に配付してしまつてよいではないか。これこそ愛といふものだ。そのとき、かれの健全な精神のなかを、黒い毛ばだつた影のやうなものが通りすぎた。はつとして、かれは卑屈なごまかし笑ひをうかべ、臆病さうにあたりを見た。――そんなら、仲間をうちすて、のうのうと自分だけで胡瓜を食べ暮らしてゐるお前はなにものだ? さういふ聲がきこえたのである。河童はしかし確固たる辯護の理由を持つ。あまりの空腹、飢餓のため、正當の神經がしばらく歪められてゐたのだ、と。それにあやまりはないのである。そこで、健全な身體とともに健全にかへつたかれの精神は、キリストのやうに、愛、正義、社會、道德と、無限に擴大してゆくのであつた。

 いくら食つても食つても食ひつくせぬほど、まだ、胡瓜はある。眺めた河童は滿足して、胸を張つた。かれの賞讃すべき博愛の思想が、自分では氣づかなかつたとしても、この分量から割り出されてゐることはいふまでもない。わづかしかなかつたならば、どうであらう。ともかく自分が生きるといふことが大切、だ。それ以外の眞實はない、一切の思想は虛僞であり、感傷にすぎぬ、と考へるにいたるであらうことは、自明の理である。あらゆる思想が根本において物質的であることは、つとに辯證法の證明するところである。幸にして、胡瓜の豐富さによつて、エゴイストなることをまぬがれた河童は、救世主のやうな感動にひたされながら、入口ヘ近づいた。歡喜と賞讃もつて自分を迎へ、これまではあまり大切にはしなかつた自分の足元へ膝まづく仲間のことを考へて、おさへがたいほくそ笑みが、嘴のあたりに痛がゆい感覺をおこさせながら、うづうづとほぐれあがつてくるのを如何ともしがたかつた。

 意氣揚々と入口を出ようとした河童は、突然、驚愕の叫びを發して、立ちすくんだ。入口といつても、數日前に、自分が掘つてもぐりこんだ穴である。そのときは、無理矢理そこから身體を押しこんだのだが、いま出ようとして見ると、まつたく寸法があはないのだ。入るときは、瘦せこけてゐたためにどうにか入れたのだけれども、いまは丸々と肥え太つてゐるために、首を出すと、もう肩や胴がつかへて出られない。足から出すと、腰がつかへる。當惑した河童は、他の出口を探した。すべて頑丈な岩石づくりの倉庫で、どこにも出口はない。入つて來たところだけが、岩の間に板をはめてあつたのだ。ひろげてみようと、力をこめて岩を叩いてみたが、鋼鐡の堅さのために、手の甲が破れる始末だつた。河童はしだいに狼狽しはじめた。どこからか出られないかと、狂氣のやうにかけめぐつた。積みあげてある胡瓜全部移動させてみたが、どこもかも、堅甲な岩であつた。地もすべて岩、だつた。

「なんたることか」

 へとへとに疲れた河童は、胡瓜のなかに尻餅をついた。みづからの暗愚が、いまさらのやうに悔まれた。思慮淺くして失敗したことはこれまでもたびたびであつたのに、またしても同じ失敗をくりかへした。しかも、ただひとり岩の穴倉にとぢこめられてしまはうとは。かくなれば、これまで自分を養ひ、生命をあたへてくれた胡瓜がかへつて恨めしいのであつた。

 河童は幸福といふものについて考へた。不幸といふものについて考へた。空腹について考へ、滿腹について考へた。それから、いつか、心身ともに、奇妙な倦怠にとりつかれてゐることを悟つた。すべてから遠ざかり、ただ胡瓜とばかり暮してゐる單調な生活、右をむいても、左をむいても、胡瓜ばかり。いかに好物の胡瓜といへども、もはや形にも色にも、そして味にも食傷してゐた。永遠の胡瓜の氾濫(はんらん)。これは一種の刑罰ではなからうか。囚人へのもつとも苛酷な刑罰は、もつとも單純な仕事をあたへることだといはれる。囚人に重勞働を課し、今日は石切山の石はこび、今日は斷崖のうへの小屋がけ、今日は猛獸の出る森林の伐採とこきつかへば、囚人どもは大よろこびなのだ。二つのバケツをならべ、一つに水をみたし、片方に移させる。それをまた元へもどす。また、移す。この單調な動作を三日も續けさせたら、囚人は發狂するのである。されば、河童は明瞭に胡瓜の刑罰をうけたのだ。胡瓜は河童の精神を錯亂させようとして、そのよい形、色、味を、この穴倉のなかに富饒(ふぜう)に充滿させてゐる。

 河童は出口に行つて、何度も脱出をこころみた。無駄であつた。身體はほとんど穴の二倍である。自分の健康が恨めしく、かれは艷のよくなつた身體をくやしまぎれに引つかいた。引つかくくらゐではなにもならぬ。身體を半分に削らねば駄目だ。

「おうい、誰か來てくれえ」

 首だけ出して叫んでみたが、返事をする者はなかつた。外は眞晝らしく、太陽の光線が穴の底からさしこんではゐたが、穴の岩が厚くて、外のなにものも見ることはできなかつた。

 二三度どなつた河童は、はつとして飛びすさつた。なんのための絶叫なのか。たれが來たつてしかたはないではないか。さう氣づくと同時に、狼狽と絶望とのなかにも、狡獪(かうくわい)な計算が胸をかすめたのであつた。誰が來ても出られぬとすれば、仲間を呼ぶことは利益にならぬ。ともかく出られる工夫のつくまで、この胡瓜は自分の食糧にとつておかねばならぬ。哀れな河童は西瓜のやうに丸くなつた膝をかかへて、胡瓜のなかにうづくまつた。その顏はすこぶる深刻の狀をあらはしてゐたのに、秋風の吹きこんでくる穴の口を凝視してゐた河童は、突然、風船玉が破裂したやうに、體をゆすつて笑ひだした。鞴(ふいご)のやうに嘴を鳴らして、とめどなく笑つた。絶望のあまり、笑つてでもみなければやりきれなかつただけの話である。笑ひやむと、べつべつと唾をはきちらし、沈痛の面持で、うなだれた。

 出るための、たつた一つの方法がある――あまり長く考へずして、自然のやうに、河童はその唯一の方法といふのを氣づいてゐた。それは、昔のとほりに瘦せればよいのだ。しかし、この自明の方法の實行が、はたして可能であるか、どうか、自信を持つことができなかつた。瘦せるためには食はずに居ればよい。なんでもないことのやうであるが、その忍耐にたへられるか。飢饉といふ外部からの力で、やむなく食を奪はれ、ほとんど死の直前まで來て、やつとこの穴を拔けることができたのだ。その苦痛は言語に絶してゐた。それを二度くりかへす勇氣あるか。しかも、眼前に豐富な食糧があるのに。河童は瞑目(めいもく)して嘴を嚙んだ。運命の皮肉に、身體は不思議な怒りにふるへた。そんならここに胡瓜がある間、これ食べつくし、皆無となつてから自然にまかせて、瘦せてゆくか。それは何時のことか。河童は、もはや胡瓜の刑罰に恐怖と戰慄とをおぼえてゐた。いつときも早く、胡瓜のもとから離れたい強烈な願ひをいだいた。では、意識的に、絶食によつて瘦せるほかはない。河童はつひにさう決意して、くやしさで涙をたらした。

 たへがたい生活がはじまつた。空腹を制御した英雄の歴史が、たとへば、ガンヂーや、聖セバノスチンやが、わづかにかれを勇氣づける。何日かが經つた。かれはすこしづつ瘦せてゆくのを感じ、ときどき、穴に寸法を合はせに行

つた。はげしい空腹が襲つて來ると、猛然と食慾とのたたかひがはじまる。胡爪の魅惑的な形や、色や、にほひが、惡魔のやうに、かれを誘惑する。河童は忍耐力をうしなつて、胡瓜を嚙つた。そのことがくりかへされて、かれの悲痛な願望は達成せられる目途(もくと)を失ふもののやうだつた。

 狂暴となつた河童は、つひに最後の決意をかためた。胡瓜があるからいけないのだ。手のとどくところになければよい。そこで穴の口から捨てようとしたが、外はせまい穴の底で、豐富な胡瓜の捨て場となる資格はなかつた。かヘつて穴をふさいでしまふことになる。河童はすべてから見離されたと思ひ、ころげまはつて慟哭(どうこく)した。そして、やはり最初の決心どほり、故意の空腹、人工的飢餓の試煉に耐へようと、さらに勇猛心をふるひおこした。

 そこへ、風のごとく、かれの耳をついたものがある。聲だつた。河童は飛びあがつた。穴の口ヘ駈けつけた。うす暗い外に、のぞきこんでゐる顏があつた。嘴も、頭の皿も、頰も、ひからびはてたむざんな顏だつた。どんよりと曇つた眼にわづかな生氣があるきり、他は屍骸に異らなかつた。しかし、かれは長く見なかつた仲間を見て、動悸のために身體中が震動してゐた。

「あなたですわね」

 ささくれだつたやうに乾いてはゐたが、その聲をどうして聞きちがへよう。彼女であつた。かれの女であつた。

「君か」

 感きはまつた河童は、手をさしだした。丸々とふくらみ、血色のよいかれの手にくらべて、女の手はまるで、ひからびた唐黍の莖のやうだつた。

「あなたを探してゐました。こんなところにいらつしやらうとは。會ひたうございましたわ。何日か前に……何日前だつたか、もう死の一歩手前で、記憶もにぶつてしまつて、わからなくなりましたが、……あなたのお聲をきいたのです。どこかわからないけど、でも、あなたが生きてをられることを知つて、どんなにうれかつたか。あたしはそのお聲をたよりに、參りましたのですけれど、歩くことはできず、這ふのもやつとで、今までかかりました。……お會ひできて、うれしい。さ、そんなところにゐないで、早く出て來て下さい」

 女のよろこびにふるへる聲をきいて、かれの胸はうらひしがれた。沈痛な聲で、かれは答へた。

「僕は出ることができないのだ」

「何故? 何故? どうして、あたしのところへ來て下さらないの?」

「それが、行かれないのだ」

 何故であるか、かれにはそれを説明する勇氣がなかつた。このときになつてすら、かれの自尊心は戀人のまへに、賤しさを告白することを恥ぢたのである。

「そんなら、あたしが參りますわ」

 たまらなくなつたらしい女は、瘦せた身體を横にして、穴の口からもぐりこまうとしはじめた。

 河童はおどろいて、これを押しとどめた。

「はいるな」

「何故? 何故、おとめになるの?」

「いや、はいつてはいけない。はいつたら、お前も出られなくなる」

「出られなくなつたつていいわ、あなたと一緒なら、……」

 憔悴しつくし女は、もう鼻も利かなくなつてゐるらしく、彼女の慾望が胡瓜になく、純粹に戀人への慕情のみであることは理解できた。嗅覺の喪失がはからずも女の眞情を證明したことは、かれにとつてはよろこびといつてよかつたかも知れない。しかし、いま、神經衰弱なつてゐた河童には、そんなことよりも、もつと恐しいことの方が、頭にこびりついてゐた。

「はいるな。ここは死よりもつと恐しいところだ」

 かれは必死で、女を押しかへした。

「あなたと一緒なら、死なんて、なんでもないわ」

「そんなセンチメンタルなことをいふな。お前は知らないのだ。ここには、……空もない。太陽もない。雲もない。月もない。花もない。木もない。湖もない。酒もないのだ。……あるものは胡瓜ばかりだ」

「胡瓜?」

 女の聲がいきなり金屬板をたたいたやうにひびいた。

 男は一本の胡瓜をつかむと、穴の口からさしだした。異樣な歡喜の叫びとともに、胡瓜はもぎとられた。しやきしやきとむさぼり食ふ音がきこえた。女の命を救つた、よかつたと、かれもほつとする思ひだつた。

「もう一本」

 河童はさしだした。つぎつぎに請求され、いはれるままに出した。かぶりつき、がつがつと胡瓜を嚙る音。はじめは戀人の空腹を滿たすことに滿足したかれも、やがて、しだいに、味氣なく、ほろ苦いものを感じはじめた。死に裏づけられたための純粹な戀情が、胡瓜による生命の復元とともに、どう變化してゆきつつあるか。もう女は胡瓜にだけ用があつて、自分には用がなくなつたのではないか。

「もつと、頂戴」

 なほもさういふ女の聲に、河童は突然奇妙な嫉妬を感じて、投げようとしてた胡瓜をつかんだまま立ちすくんだ。ほどこしにも限度がある。滿腹は贅澤な思想を生む。女は自分から胡瓜を奪ひとり、ベツの男のところに持つて行つてやるのではないか。穴から出られなくなつた自分より、自由の天地にゐる他の男の方が、有用にきまつてゐる。

「もつと、頂戴よ」

 催促する女へ、かれは邪慳(じやけん)に、しかし、せつなげに叫んだ。

「もうない」

「あるわよ。わかるわ。そんな慾張りいはないで、もつと頂戴よ」

 慾張りといふ言葉は、かれの腦天を打ちくだいた。

「そんなに慾しけりや、入つて來い」

「はいるわ」

 しかし、滿腹した女の身體は、もはや、岩の穴につかへた。

 

[やぶちゃん注:「腰の蝶番」第一段落に現れる、このさり気ない描写はカッパの生態学上の、誰も知らない極めて特異な新知見である。河童には腰に蝶番があるのである。但し、これは推測するに、私には胴と下肢との間を繫ぐ内骨格由来の蝶番様組織ではなく、胴と甲羅を接続する皮膚由来の河童独特の接合組織であるように思われる。ともかくも河童生物学に新しい所見を添えて呉れた火野氏に我々は感謝をせねばならない。

「聖セバノスチン」これは恐らくは芥川龍之介誘惑」の主人公である切支丹の日本人「せばすちゃん」と思われる。生没年及び日本名不詳で伝説的日本人伝道師である。洗礼名のバスチャンのみで知られている。佐賀藩深堀領であった平山郷布巻(現・長崎市布巻町)の生まれとされ、慶長一四(一六一〇)年頃にジワンという神父の弟子となって長崎各地を伝導したが、神父は帰国すると言って失踪(ジワン神父は後に後述する「日繰り」がどうしても出来ないバスチャンのために何処からともなく帰って来て彼に日繰り仕方を教えると再び海上を歩いて消えたとも言う)、明暦三(一六五七)年の郡(こおり)崩れで、六百余人のキリシタン断罪が行われ後、浦上・外海(そとめ)地方の隠れキリシタンを指導して長く山に隠れたが、遂に捕縛され、長崎の牢で三年三箇月に亙って七十八回の拷問を受けた末、斬首されたとされる。「日繰り」とはカトリックの祝祭日を和暦に換算した教会暦のことで、呼ばれる、バスチャンが伝えたとされる長崎外海(そとめ)・五島の隠れキリシタンに伝承されたカトリックの祝祭日を和暦に換算した教会暦のことで、宮崎賢太郎著「カクレキリシタン」(長崎新聞新書)によれば、

 バスチャンは、ジョアンから教えられていた日繰り(暦)の繰り方を、納得していなかった。それで、二十一日間断食し、苦行しながら、「も一度、帰って来て教えて下さい」と祈ったところ、どこからかジワンが帰って来て、日繰りの繰り方を教えてくれた。そして、バスチャンと別れの水杯をし、海上を歩いて、遠くに去ったという。

『この日繰りを「バスチャンさまの日繰り」という。外海・五島・長崎地方のキリシタンたちが、長い迫害の中で、信仰を伝承し得た力の一つは、この日繰りであった。カレンダーは、空気や水のごとく、社会生活に不可欠なものである。「バスチャンの日繰り」が、二百五十年の弾圧の中で、信仰を毎年リズミカルに養った貢献は、まことに大きいものであった。』(片岡弥吉)

 長崎、外海、五島の潜伏キリシタンたちは、この日繰りをもとに、年間行事を維持し、障(さわ)りの日(=悪い日)を繰り出して来たのであり、信仰継承の原動力であった。

とある(以上は大魚正人氏のHP「聖母に出会った少女ベルナデッタの歌」「第1項 七世代後の栄光を予言した、日本人伝道士バスチャン」からの孫引き。大魚氏は無断リンクを拒否しておられるので、以下に引用ページのアドレスを表示しておく。

http://homepage3.nifty.com/oouo/chp8-japan_and_lourdes/sotome-nagasaki/004-brother-basuchan.htm)。]

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