生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 四 成功の近道~(4) 了
以上述べた通り、宿主動物の體内へ寄生蟲が入り込むには、その動物の好んで食する餌の内に潜んで待つて居るのが最上の方便であり、餌の内に入るには、先づその餌が食物とするものの内に隱れて居るに如くはない。それ故、内部に寄生する種類の卵から生長するまでの發育の順序を調べて見ると、二度も三度も宿主を換へて、終に終局の宿主に達し、そこで始めて成熟して産卵するに至るものが頗る多い。猫の腸に入らうとするに當つて、たゞ目的なしに止まつて待つたのでは、いつ猫に食はれる機會に遇ふか殆ど望みがないが、猫の最も好む鼠の體内に入つて居れば、餘程食はれる見込みが多い。また鼠の體内に入るには鼠が好んで食ひそうな食物に混じて待つて居るより外に上策はない。恰も金持や貴人に取り入るのに、碁が好きならば碁を以て、謠が好きならば謠を以て近づくのが、最も成功の望みある早道であると理窟は變らぬ。しかし、かやうな方法は籤を引くのと同じやうな性質のもので、眞に目的を達するものは僅に一部分に過ぎず、多くは失敗に終るを免れぬ。例へば鼠の食物に混じて居なければ、鼠に食はれる機會のないことは勿論であるが、鼠の食物に混じて居たとて必ず鼠に食はれるとは限らぬ。鼠と同樣の食物を食ふ者は他に幾らもあるから、折角鼠の食物に混じて居ても、雞に食はれるかも知れず、または水に流され、風に飛ばされなどして、遂に何物にも食はれずに終るやも知れぬ。また運よく鼠に食はれてその體内に入り得たとしても、鼠が猫に食はれずして、「いたち」か狸か鷹か「ふくろ」〔フクロウ〕かに食はれたならば、寄生蟲の幼兒はそのまゝ消化せられて亡びねばならぬ。されば寄生蟲の生涯は始から終まで投機的であつて、終局の宿主の腹の内に到著するまでには幾度か幸運を重ねなければならず、成功した上は多少安樂に暮せるが、一疋を成功さるためには、何千何萬かは犧牲となつて途中に失敗せざるを得ぬから、寄生蟲は無限の繁殖力を有しながら、實際は決してその割合に增加することはない。
[やぶちゃん注:「雞」はニワトリ。――それにしても寄生虫の寄生戦略を「恰も金持や貴人に取り入るのに、碁が好きならば碁を以て、謠が好きならば謠を以て近づくのが、最も成功の望みある早道であると理窟は變らぬ」という丘先生の講義――とっても、聴いてみたかったなぁ……。]