夏祭浪花鑑 又は 江戸のドストエフスキイ 又は 不義の義平次橋下徹
昨日の二本目は「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」。
これは梗概を語るのがなかなか難しい複雑なもので、幸い詳細の梗概がウィキペディアにあるので、そちらに丸投げして、感想のみ記す。
「釣船三婦内の段」
蓑助! 蓑助! 蓑助!
――蓑助の「お辰」がやっぱり、いぶし銀!
――蓑助の遣いの素晴らしさは存在しない衣の下の「女人の肉」を、舞台に出ている間中、感じさせ続けるという、稀有の神技にある。これは悪いけれど、未だ肉薄出来る遣い手はいない。だから、まだまだ頑張ってもらって、後続の、特に若手は彼から盗めるものを総て盗み尽くさねばだめだ。蓑助は幼少の頃から黒子の、もう望めない叩き上げた生粋の人形遣いである。研修生の世代には想像も出来ない辛苦があったと同時に、そこから体得した「技」は、純粋培養の研修派には思いもよらぬ、彼の握り獲った「女の肉体」の霊妙な演技なのだ!
「お辰」が、女だてらの、驚天動地の心意気に、火鉢の鉄弓(魚焼き用の焼き鏝)を己が美しき顏に押し当てる――その前後の「お辰」の面を見るがよい!――決心――覚悟――実行――焼灼――激痛……その表情が――変わるのだ!――蓑助ならではのドゥエンデなのだ!
「長町裏の段」(泥場)
私は思わずこれは――江戸のドストエフスキイか――と疑ったものだ!
観客は、守銭奴で冷酷無惨な義平次の執拗な団七への凌辱(いちびり)に我慢ならずなって、自分たちの日常的な儒学的世界像を(実は内心不条理を感じているところの儒学的世界像を)忘却してゆく――
さらに観客は、純粋に感覚的に、高津神社の宵宮の、背後に揺れ行くだんじりの灯りや、舞台効果を出すための三味線の演奏だけで表現するメリヤスにだんじり囃子の、その三味と鉦と太鼓のリズムに――「晴れ」としての――超常的時空間としての――「祭」――そこでは何時も「生贄」が必要だ――新たなる世界の開闢のためには「犠牲(サクリファイス)」が不可欠であることを「肉」に感ずる――のである――
……この祭り太鼓に私が思い出していたのは松本清張の「黒地の絵」であった……
そして――そうして団七の、人非人である「義父」義平次(この名も実に皮肉である)、その団七の「義父殺し」は神の名に於いて許される――のである――「殺しの美学」の完成――である
この義父の偏執的なまでの殺戮場面は――我々の中の原初的な「生」の衝動――「肉の怒り」の衝動が――むごたらしくも慄っとするほどに美しく素敵に完全に解放される瞬間――なのである。
……帰り道、僕たちの背後を歩いていた女子大生が
「……お父さん殺したあとなのに、御神輿とか来ると、団七はちゃっかり、一緒になってワッショイとかやってエンジョイしてるし……」
と話しているのが聴こえた。……僕は独り――ニヤリ――としたもんだ……
――そうして――この「殺しの美学」は裸体の全身の入れ墨に赤の下りという異常で異様な美しさによって視覚的な額縁がなされている――のである……
……僕は高倉健などの演じた任侠映画や大嫌いなビートたけしの暴力映画が大嫌いだ(先日のNHKのドキュメンタリーを見ていると健さん自身自分の演じていたあの斬った張ったが殊の外、厭だったらしい)……スプラッター系のホラーも全く興味がない(例外的にホラーSFは好むのだが)……こうした浄瑠璃の、歌舞伎の舞台も実は全く以って見たいと思わないのである……
……それは……何故か?……ズバリ、見るに堪えない汚さだからだ……歌舞伎では(妻が大昔、中学生時分に片岡孝夫で見たらしい)生泥・生水を使って、舞台が跳ねた後は役者の汚れ落としが大変らしい……そういう、キタナイのは僕は厭なのだとも言えるが……それより何より、ドル箱の映画俳優や純粋培養の歌舞伎役者の肉体なんぞは、鍛え上げた「失われた侠客」に肉体とは似ても似つかぬものだからだ(唯一、僕が憧れた侠客らしき人については「忘れ得ぬ人々21 倶利迦羅紋紋のお爺さん」で語ったことがある)……
――しかし――人形の「肉」は飽く迄――美しい――汚れても美しい――そすいて何より――役者は死ぬ真似を演ずるだけで、眼を瞑っても息をしているのだが――人形は正しく――「死ぬ」――のである――
*桐竹勘十郎の遣いは洒脱でよいのだが、期待していた特殊な頭である舅のガブは、造作が綺麗過ぎて、いちびりの悪漢の頭としての風合いを全く欠いており、ちょいと失望してしまった。
*吉田玉女は限りを知らぬパワーで邁進している。晩年の玉男では見られなかった大立ち回り――毎回毎に、見逃せぬ。
最後に。
本作は優れて美しい稀有の失われた、人と人の真の心の通い合っていた大坂の――その任侠世界――それも男女が、それぞれの人の義に生きた世界を描いた名品である。――
――この――全身入れ墨――の裸体の義人団七を伴って!――玉女よ!――文楽への助成を外しやがったあの不義の義平次橋下徹大阪市長のところへ――談判に行くが、よいぞ!