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2012/09/27

耳嚢 巻之五 ぜんそく奇藥の事

 ぜんそく奇藥の事

 

 予が許へ來る伊丹祐庵(いたみゆうあん)といへる醫師は、壯年の時痰強(たんつよく)ぜんそくにて殊の外難儀せし由を語りしに、六旬餘の翁なるが今痰症とも不見(みえざる)故尋ければ、不思議の奇藥にて今は誠に快全せし由語りし故、切に其奇藥を尋ければ、右の快驗に付可笑(をか)しき咄し有とて、右藥劑を傳授旁(かたがた)物語りけるは、友庵は信州の産にて、壯年に江戸表へ出、町宅をなして知音もなければ瘦身にて暮しけるが、かのぜんそく起りて度々難儀せしに、或人忍肉(にんにく)外三味を煉詰(ねりつめ)て用ゆれば妙の由語りし故、右四味を買調(かひととの)ひ、病のいとまに煉詰て、傳授せる人の申せしは、壺に入(いれ)て三日程土中に埋置(うめおく)事の由故、左(さ)なさんとせしが、ぜんそく強く起りし時は梁へ繩を懸て體を結(ゆ)ひ臥(ふせ)り候程の事故、半ば壺へ入れて殘り少々なめて味ひしに、其甘き事甚しければ、彼是して茶碗に壹つ餘もなめけるに、右藥に醉(ゑひ)しや、心身朦朧として前後もしらず其儘倒れ居たりしを、近所の者大屋など立集りて、本性を失ひしとて水を顏へ懸け又は呼活(よびいけ)などせし樣子にて、漸心付(やうやうこころづき)見れば何か大勢集りて尋し故、しかじかの事と語りければ、左にはあるまじ氣の違ひたるならんと殊の外いぶかりしを漸々申諭(まうしさとし)してければ、立集りし内に醫師抔もありて、埒もなき藥法を聞て危ふき事など笑ひて歸りけるが、右藥法の品々は委敷(くはしく)も語らざれば左もあるべし。友庵が醫案には、にんにく玉子の類は脾胃(ひい)をあたゝめ、一向よる所なき藥とも思われず。既に友庵は右以來ぜんそくの愁ひを知らず。其後右藥を拵置(こしらへおき)て人にも與へけるに、度々巧驗(かうげん)もいちじるく、勞症に似たる痰病人をも快驗せし事有と語りける故、其藥法を切に求めければ、

  にんにく  砂糖  三年味噌  右三味二百目宛

  かしは鳥の玉子二十  味りん酒三升

右をねりつめ、壺に入て土中に埋むる事三日にして貯へ置事也とかたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。二つ前の「黑燒屋の事」の民間薬方譚と連関。この薬、かなりの効果が実際にあったのに違いない。本話での若き日の祐庵は医者ではない。とすれば、この喘息薬が大当たりを得て、そこから彼は医術を学んだものと考えられるからである。しかし、根岸の喘息にはどうだっのか。私は効かなかったのではないかと推測している。それは、本薬が偽物であったというより、以前に考察したように、根岸の喘息が真正の喘息ではなく、何らかの他の病因によるものであったと考えられるからである。

・「伊丹祐庵」不詳。本文中には後文で「友庵」と二箇所で出るが(訳では最初の「祐庵」で通した)、何れもここまでの「耳嚢」には登場したことがない、新しいニュース・ソースである。それにしても根岸の知人には医師が頗る多い。勿論、彼自身の持病(ここまでの「耳嚢」の記載から根岸には痔と疝気(せんき)及びその疝気に由来すると考えられる喘息様の症状があったことが窺われる)に関係することとは思わるが、そのプラグマティックな動機以外に、本質的に医術への強い興味を持っていたことが窺われる。

・「六旬餘」六十余歳。

・「友庵は信州の産にて」ママ。底本ではこのずっと後の「友庵が醫案には」の部分にママ傍注が附くが、ここに附すべきもの。

・「思われず」ママ。

・「かしは鳥の玉子二十」「かしは鳥」は羽色が茶褐色又は褐色の日本在来種のキジ目キジ科ヤケイ属セキショクヤケイ属亜種 Gallus gallus domesticus のニワトリ。黄鶏。または、その肉を言うが、転じて一般の鶏肉をも言う。この薬の効能を期待するならば、ちゃんとかしわ羽色のニワトリの卵を用いるがよかろう。これは単なる想像なのであるが、この薬、もしかすると、卵に対するアレルギー性喘息の、毒を以って毒を制すタイプの薬物ではあるまいか? そもそもこれらの調合品で雑菌が混入して腐敗しない限り、「茶碗に壹つ餘もなめけるに、右藥に醉しや、心身朦朧として前後もしらず其儘倒れ居たりし」というような意識障害を惹起するような代物には見えないからである。識者の御教授を乞うものである。

・「呼活(よびいけ)」これはプラグマティックな効果以外に、魂呼(たまよ)び・魂呼(たまよば)いの効果を求めるものである。即ち、意識喪失や瀕死の者若しくは死亡直後の者の名を呼ぶことで、離れてゆこうとする魂を呼び戻す再生儀礼の一種である。枕頭や屋根の上、井戸の底に向かって(黄泉の国に通じると考えられた)大声で呼ばうのである。最も素敵なこれを見るなら黒澤明の「赤ひげ」を見るに若くはない。私はあのシーンを二十歳の時に映画館で見て、図らずも落涙してしまった。これについては既に、  鄙姥冥途へ至り立歸りし事 又は 僕が俳優木之元亮が好きな理由で述べている。是非、参照されたい。

・「脾胃」脾臓と胃腸。漢方で消化器系の内臓器の総称。

・「二百目」二〇〇匁(もんめ)。一匁は 三・七五六五二グラムであるから、七五一・三〇四グラム。これこの三品だけでニキロを超え、それに鶏卵二〇個と味醂三升となると、これはもう薬壺ではなく、大甕の類でなくては収まらない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 喘息の奇薬の事

 

 私の元へしばしば参る伊丹祐庵と申す医師が、

「……我ら、若き日は痰咳(たんせき)激しく、重き喘息の症状に、殊の外、難儀致いて御座った。……」

と語ったが、六十余歳の翁乍ら、今は、これ、痰咳の症状、一切見受けられぬ故、

「……今は、少しもそのような様子、お見受け致さぬが?……」

と訊ねたところ、

「……そうさ、これ、不思議の奇薬によって、今は、まっこと、全快致て御座る。……」

と申した故、私も疝気の折りの、喘息には苦しめられておった故、

「……どうか、その奇薬なるもの、お教え下さらぬか?……」

と切(せち)願ったところ、

「……この快方全治に至った経緯に就きましては……可笑しな話が、これ、御座いまして、のぅ……」

と、かの薬剤を伝授方々、次のような話を物語って御座った。……

 

……我らは信州の産にて、壮年の頃、江戸表へと出で、町屋住まいをなして、親しい者も御座らねば、独り身にて暮らしおりましが、かの喘息、これ、度々起りまして、の、しょっちゅう難儀致いて御座ったじゃ。……

……そんなある日、とお人より、

「――大蒜(にんにく)の他、三味(み)を練り詰めて用いれば、絶妙に効いて御座る。」

と、聞きましたれば、その都合四種のものを買い調え、病いの軽き折り、練り詰めてみました。その伝授して呉れた御仁の申すには、

「――それを壺に入れて三日ほど、土中に埋めておくことが肝心じゃ。――」

とのことで御座った故、そう致さんつもりで御座ったが、ここに、また発作が参りまして、の……

……いやもう、我らのその喘息の発作たるや、酷(ひど)い折りには――屋内の梁へ繩を掛け渡いて、体をきつーく結んで、やっと横にはなれる――という有様で御座った……その、惨(むご)い発作が、練り詰めた直後に参りまして、の……

……そこで、調剤した半ばを壺に入れ、残りの半分を、少し嘗めてみました……ところが……これ、想像だに致さぬほどの、甘さ! 指で一掬(すく)い致いては、ペロリ……また、掬うては、ペロリ……今少し、ペロペロリ……またまた今少し、ペロペロペロリ……と、嘗めて御座ったところが……結局、茶碗に一杯余りも嘗めて仕舞(しも)うたので御座る。……

……ところが……

……これ暫く致すと……かの薬に酔うて仕舞(しもう)たものか……心身朦朧と致いて参って……前後も分かたず相い成って……そのまま……昏倒致いて、仕舞(しもう)たので御座る。……

……そこへ偶々、近所の者が参って、大家なんども寄り集まり、

「――こりゃ大変(てえへん)だ! すっかり気を失っちまってるぜえ!」

と大騒ぎと相い成り、顔へ水を掛けらるるやら、大声で呼びかけるらるるやら……ようよう正気づいて……周りを見渡して見れば……これ、長屋の者は申すに及ばず、雲霞の如き人だかりとなって御座った故……ともかくも、かくかくしかじかのこと、と言い訳致いたので御座るが、

「……ンなもん、嘗めて気を失っちまうなんて法は、ねえぜ! 大方、気が違っちまったんじゃねえかッ?!……」

と、もう、いっかな、収まらずに御座った。……

……我らも幾分、気分がよくなって参りました故、冷静に繰り返し訳を話しまして、かの残った半分の壺の薬なんども、ちらりと、これ、見せまして、縷々理を正して説きましたところが……たち集まっておった中(うち)に一人、医師なんどが居り、碌に薬も見ず、

「……そんな、埒(らち)もない薬に手を出し……危ない、危ない……」

なんどと笑(わろ)うて御座った故、それを汐(しお)に皆の衆も帰って行きまして御座る。……

……我ら、実はその折りにても……これ、その調合に用いましたところの、品々に就きましては……これ、委細語らずにおりました故、かくもあっさりと皆の衆の散って参ったも、これ道理で御座る。……

 

 以上が祐庵の話で御座った。

 祐庵が私に伝授して呉れた処方効能に拠れば、その材料の内に「大蒜」「鶏卵」が含まれており、これらは寛保調剤の生薬として脾胃(ひい)を温める効能が認められており、全く根拠のない怪しい薬とも思われない。事実、既に祐庵は、この時以来、喘息に悩まされることがなくなったのである。

 その後、この薬を拵えて常備し、同じような喘息持ちの他人にも与えたところ、度々著しい効果を見せ、肺結核に類似した、痰を多く吐出するような病人をも全快させたことがあると祐庵は語って御座った故、以上の談話を聴き及んだ折りに、その薬法を切(せち)求めたという訳である。

〔処方〕

  大蒜

  砂糖

  三年熟成の味噌

    ――以上三種を二百目宛

  かしわ鶏の卵二十個

  味醂酒三升

 これらを総て合わせて練り詰め、壺に入れて、土中に埋めること三日を経て後、貯えおくことが可能とる薬剤が完成する、とのことで御座った。

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