「バルタザアル」の序 芥川龍之介
必要を感じて夕刻、テクスト化した。ネット上に存在しないようだ。但し、「バルタザアル」本文自体は僕はテクスト化していない。青空文庫版をご覧あれ。
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「バルタザアル」の序
自分も多くの靑年がするやうに、始めて筆を執つたのは西洋小説の飜譯だつた。當時第三次新思潮の同人だつた自分は、その飜譯の原文をアナトオル・フランスの短篇に求めた。「バルタザアル」の一篇がそれである。
今、新小説記者の請に應じて、自分はこの譯文を再剞劂に附する事となつたが、それにつけても思ひ出すのは、まだ無名の靑年だつた新思潮同人の昔である。その頃はたとひ如何なる大作を書いたにした所で、天下の大雜誌が我々同人の原稿を買ふ事なぞは絶對になかつた。が、今ではこの片々たる舊稿さへ、二度も日の目を見る機會を得たのである。公平か、不公平か、自分は唯往時を追懷して、苦笑を洩すより外に仕方がない。
時代は遠慮なく推移するものである。だから恐らくは自分の小説の如きも、活字にさへ容易にならない時が遲かれ早かれ來るのに相違ない。が、自分はその時もやはり現在のやうに苦笑を洩して、一切を雲煙の如く見ようと思ふ。その外に自分は時代に對する禮儀を心得てゐないからである。
生温いとも、不徹底とも、或は又煮え切らないとも、評するものは勝手に評するが好い。自分は唯その前にも、同じ苦笑の一拶を與へようと思つてゐるものである。
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「剞劂」は「きけつ」と読む。「剞」は曲がった刀、「劂」は曲がった鑿(のみ)の意で、本来は彫刻用の小さい刃物を言い、転じて版木を彫ること、上梓の謂いとなった。
……芥川龍之介よ――君の盟友の久米らの作品を普通の本屋で探すとなると――これはアクロバット並の困難さだ――でも――90年以上経っても――君の小説は磐石だ――いや――芥川龍之介という現存在は――今も僕らに『確かな』「ぼんやりした不安」を語りかけ、問い続けているではないか――僕もさしずめ――君の福音書の一人――と思っているのだ……