「20世紀少年」の生理的違和感の正体
実写版でもそうだった……今回、原作を読み進める中でも何かが不自然に感じる……
それは荒唐無稽なプロット、でも……如何にもなズラシを入れたキッチュなノスタルジアの非現実感、でも……浦沢のどちらかと言うと今一つ好きになれないペンのラフ・タッチ、でも……ない……
確実な違和感として……それは……あった……いや……それは単純なことなんだ……それがそもそもこの作品を面白くしているネックの部分なのだがから……
……それは
――登場人物たちが小学生の時の記憶を、殆んど、覚えていない――
……ということだ……
僕は覚えている――誰が何をし――何をしなかったか――誰が何を言い――何を言わなかったか――僕が描いたもの――感じたもの――小学校二年生の時に毎日下校の時にいじめられた奴の名前と顔――そいつらのギャング仲間――そいつらが何をいい、どんな表情で僕を笑い――あの時に――僕に何をしたかも――翻って僕が誰をどういじめたかも――いじめた相手のねめつけるような目も――僕が何を見――何を見なかったかも――誰を愛したかも――何を隠したかも――
――僕ははっきりと覚えているのだ。
忘れてしまいたいことも――覚えている。
……それだのに……この登場人物たちは……脳天気に皆、忘れているじゃないか!? そんなのあるはずないじゃん!…………
■いや、厳密に言えば、少年時代を括弧書きの「健全」の中で過ごし、相応に面白く、また、相応淋しくも、また、ある程度の心神の力の均衡の中に過ごしたところの、「健全な」ケンジを始めとした登場人物たちは、実に鮮やかに少年期の思い出を忘れている。
■ただ、「ともだち」や「サダキヨ」は逆に少年期の記憶に固執しているのであり、更にもう一つ、「健全なる」「正義の」グループの中でも「ヨシツネ」のような、謂わば相対的に被イジメ対象に近い象限の中にいる登場人物が、忘れていた「思い出」を思い出し、作品展開上のキー・パーソンとしての役割を担っている。
……そうだ……僕の違和感は……ここにあったのだ……
……僕は……おめでたくも、僕以外のあなた方も、
……少年少女期の記憶はちゃんと残している――
と思い込んでいたのだ……
ところが……
そうではないんだね……
君……
みんなは……実は……
覚えてなんか……いないんだ、ね……
一昨日のこと、僕は、精神的には健全で幸福な少女期を過ごしたのであろう妻にこのことを話してみた。
彼女は、妙な顔をした。
『そんなの、覚えてないの、当たり前』
といった風に……
いや……
そうなんだな……
だから実は私は……
ケンジより……
「ともだち」が……好きなんだろう、な………………