耳嚢 巻之五 戲歌にて狸妖を退し由の事
戲歌にて狸妖を退し由の事
京都にて隱逸を事とせる縫庵といへる者、隱宅の庭に狸ならん折々腹鼓(はらつづみ)など打(うつ)音しければ、縫庵琴を引寄(ひきよせ)て右鼓に合せて彈じける、一首のざれ歌を詠(よめ)る、
やよやたぬまし鼓うて琴ひかん我琴ひかばまし鼓うて
其程近きに住(すめ)る加茂の社司(しやし)に信賴といへるありしが、
ほうしよくたぬ鼓うてわたつみのおきな琴ひけ我笛ふかん
かく詠吟なしければ、其後は狸の鼓うつ事止みけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。妖狸譚を絡ませた和歌技芸譚。狸は人を驚かすことを目的として奇態な音(おと)の腹鼓を打つ。ところが、かくも人がそれを良き音(ね)と喜んで、逆に催促されてしまえば、狸公、これ、腹鼓を打つ気も失せる、というオチである。面白い掌品である。
・「やよやたぬまし鼓うて琴ひかん我琴ひかばまし鼓うて」分かり易く書き直すと、
やよや狸(たぬ)汝(まし)鼓打て琴弾かん我(われ)琴弾かば汝(まし)鼓打て
で、「やよや」は感動詞で、対人の呼びかけを意味する感動詞「やよ」(囃子(はやし)の掛け声「やれ!」の意とも本歌では重複する)の強調形、「まし」は同等かそれ以下の対人・対称に対して言う二人称で、「いまし」「みまし」などとも言い、古語の中でもかなり古い形である。
――♪ヤンヤレヤ♪ やあ! 狸(たぬ)公! お前は鼓打て! 我れら、琴弾こう! 我れら琴弾かば、お前は鼓打て! ♪ヤンヤレヤ♪――
・「加茂」上賀茂・下賀茂神社。なお、後注を参照のこと。
・「社司」神主。
・「ほうしよくたぬ鼓うてわたつみのおきな琴ひけ我笛ふかん」一見、初句の意味が不明であるが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を見ると、
拍子よくたぬ鼓うてわたつみのおきな琴ひけ我笛ふかん
とあって意味が分かる。「拍子」は歴史的仮名遣では一般には「ひやうし」であるが、それ以外に「はうし」(発音「ほうし」)とも表記する。更に分かり易く書き直すと、
拍子良く狸(たぬ)鼓打て海神(わたつみ)の翁(おきな)琴弾け我笛吹かん
となる。「海神の翁」とはエビのこと。「海老」を「海の老(人)」(古歌に用例あり)とし、それを更に風雅に言い換えたもので、ここでは隠棲の縫庵翁を福神エビスに譬えて言祝いだものであろう。
――♪ヤンヤレヤ♪ 狸(たぬ)公! お前は拍子良く! 鼓を打てや! 海神(わたつみ)の翁(おきな)は、やれ! 琴弾け! 我、笛吹かん! ♪ヤンヤレヤ♪――
ここでこの歌を詠んだのは賀茂神社の神主となっているが、ウィキの「事代主」(「ことしろぬし」と読む)によれば、全国の鴨(賀茂・加茂など)と名の付く神社の名前の由来は、この事代主を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)にルーツがあるとされ、更に同解説に事代主『託宣神のほか、国譲り神話において釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、海の神、商業の神としても信仰されている。七福神の中のえびすが大鯛を小脇に抱え釣竿を持っているのは、国譲り神話におけるこのエピソードによるものである』とあり、そうした意味での連関が、この歌には隠されているようにも見える。
■やぶちゃん現代語訳
戯れ歌で狸妖を退けたという話の事
京都にて隠逸をこととする縫庵とか申す者、その隠棲致いておる庵(いおり)の庭に、どうも狸の仕業ならんか、折り折り、奇態なる腹鼓(はらつづみ)なんどを打てる音(おと)の致いたれば、縫庵、ある夜、琴を引き寄せて、またぞろ聴こえて参った腹鼓に合わせて弾じつつ、一首の歌を詠んだ。
やよやたぬまし鼓うて琴ひかん我琴ひかばまし鼓うて
――それにまた――近所に住まう加茂神社の神主に信賴といか申す者が御座ったが――彼が応じ、
ほうしよくたぬ鼓うてわたつみのおきな琴ひけ我笛ふかん
と詠吟致いたところが、その後は狸が腹鼓を打つこと、これ、止んだ、とのことにて御座る。