僕の愛する義母長谷川喜久子の肖像 1 昭和36年9月 31歳
義母は亡くなる前日、入院後、毎日、欠かさず通っていた義父に――義父は耳が遠い上に、義母は一年前から一切の食事を点滴(四箇月前には胃婁となった)で行っていたために総入れ歯を外しており、しかもアルツハイマーであったから、その会話は殆ど聴き取れなかったのであるが――次のように別れ際に語ったという。
「もう、明日(あした)は、来んでええよ。ありがとう――」
父は、
「……あいつが『ありがとう』なんて言うたことは……今まで一度も言うたことはないのに、変やなあ――と、帰りの電車の中で思うとったで……」
と僕に語った……
*
次の写真は――僕の妻と妻の妹を産んだ後の昭和36年9月、31歳の時の金沢は東尋坊で義父の撮った義母長谷川喜久子のスナップ写真である。
僕は思わず――女優のプロマイドかと見紛うたものである――
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