生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(3)フナクイムシ
海中には材木に穴を穿つてその中に隱れる貝もある。岩に孔をあけるのとは違ひ、人の造つた棧橋や船底の木を孔だらけにするのであるから、なかなか損害が大きい。日本で風流な住宅の周圍の塀に用ゐる船板には、表面に蜿曲した長い凹みが澤山に見えるが、これが皆、「船食ひ貝」〔フナクイムシ〕の仕業であつて、このために船は廢物となり、板のみが後に利用せられてゐるので居る。大抵の二枚貝は、「はまぐり」でも「あさり」でも「かき」でも「しゞみ」でも、殼を閉ぢれば柔い肉は全部その内に收まるが、「船食ひ貝」だけは、普通の貝とは違ひ、體は「みみず」のやうな細長い形で殆ど全部露出し、殼は左右とも極めて小さく、僅に體の前端を被ふに過ぎぬ。幼時は水中を游いで居るが、材木の表面に付著すると直にこれに孔を穿つて入り込み、段々隧道を延してその内面に薄い石灰質の壁を造り、自身はその内部に隱れて、たゞ體の後端だけを材木の表面に出して居る。多くの二枚貝には體の後端に二本の管が竝んであつて、殼を開いて居る間は絶えずその一本から水を吸ひ入れ、他の一本から水を吐き出してゐるが、吸ひ入れられる水の中にはいつも微細な藻類などが浮んで居るから、貝はこれを食つて生きて居ることが出來る。「船喰ひ貝」の生活もかやうな具合で材木の中に隱れては居るが、體の後端を表面まで出して居る所から考へると、やはり水とともに微細な餌を吸ひ込んで食ふのであらう。今では大きな船は皆鋼鐵で造るから、この貝のために受ける損害は非常に減じたが、昔の木造船の蒙つた害は實に甚しいものであつた。それ故この貝には「船の恐れ」といふ意味の學名が附けてある。
[船食ひ貝害 船食ひ貝]
[やぶちゃん注:「蜿曲」「ゑんきよく(えんきょく)」と読み、幾重にも折れ曲がっているさま、くねくねしているさまを言う
「船食ひ貝」現在の船食虫(ふなくいむし)、二枚貝綱異歯亜綱ニオガイ上科フナクイムシ科 Teredinidae に属する海産の貝類を指す呼称(貝類であるから標準和名は丘先生のようにフナクイガイとするべきであったとは私は思う)。実はこれは「第三章 生活難 六 泥土を嚥むもの」の注に既出なのであるが、そこで丘先生は『港の棧橋の棒杭などは「わらじむし」に似た小さな蟲』として、節足動物門甲殻亜門軟甲綱等脚(ワラジムシ)目有扇(コツブムシ)亜目スナホリムシ科 Cirolanidae のスナホリムシ類を「船食蟲」(フナクイムシ)として示されておられ、それについての疑義を私が掲げた部分であるから、再注しておく。本邦産フナクイムシは十一属二十二種を数えるが、中でも
Teredo 属がよく見られる。殻は球状で殻頭は小さな三角形を呈し、そこと殻体前部との間には細い肋があり、その上部は鋸歯状となっている。殻体と殼翼とは喰い違っており、殻頂からは棒状の突起も出ている。石灰質の棲管を作り、主として木材に穿孔、木造船や海辺に設置された木造建築物などに甚大な被害を与える。軟体部は非常に細長く、穿孔口の水管の出る部分に栓の役割を持つ尾栓があって、これが種によって矢羽・麦穂状などの多様な形態を示すため、それが分類の目安とされる。ウィキの「フナクイムシ」には『水管が細長く発達しているため、蠕虫(ぜんちゅう)状の姿をしているが、二枚の貝殻が体の前面にある。貝殻は木に穴を空けるために使われ、独特の形状になって』おり、『その生態は独特で、海中の木材を食べて穴を空けてしまう。木材の穴を空けた部分には薄い石灰質の膜を張りつけ巣穴にする。巣穴は外に口が空いており、ここから水管を出して水の出し入れをする。
危険を感じたときは、水管を引っ込めて尾栓で蓋をすれば何日も生きのびることができる』。『木のセルロースを特殊な器官「デエー腺」(gland of Deshayes)中のバクテリアによって消化することができる』とある。
「板のみが後に利用せられてゐるので居る」ママ。「居る」は「ある」の誤植であろう。
『「船の恐れ」という意味の學名』代表種の一種であるフナクイムシ
Teredo navalis japonica の学名は、ラテン語で“Teredo”は「穴をあけるもの」、“navalis”は「船舶の」の意である。他の一般的な四種の学名も見て見たが、「船の恐れ」の意のものを見出すことは出来ない。失礼ながら丘先生は“teredo”の綴りを、「怖がらす」の意の“terreo”と見誤ったものではあるまいか? 識者の御教授を乞うものである。]


