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2012/10/13

耳嚢 巻之五 幽靈奉公の事

 

 幽靈奉公の事 

 

 紀州高野山は淸淨不怠(しやうじやうふたい)の靈場とて、女人堂(によにんだう)よりは女を禁じ、虵柳(じややなぎ)の靈は人口に會炙(くわいしや)せる事なれど、後世無慙(むざん)の惡僧ありて始祖の敎戒を犯しけるもあるや、寬政八年の頃、營士(えいし)花村何某の許に抱(かかへ)し女、至て色靑く關東の者ならざれば、傍輩の女子抔出生を尋しに、高野にて幽靈奉公といへるを勤し由。幽靈に成て凡俗を欺き、惡僧の渡世となしけると也。虛談もあるべけれど、又あるまじき事とも思はれず、爰に記しぬ。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:連関を感じさせない。落語めいた話ではあるが、短過ぎるのも手伝ってか、消化不良な上に、私なんどはどうも妙な憶測(この幽霊奉公の顛末について)をしてしまい、後味が良くない。根岸は神道尊崇で仏教系には辛いことは周知の通り。

 

・「淸淨不怠」六根清浄と同義的意味の祝詞である百体清浄太祓(ふとばらい)と、真言宗の祈禱不怠法味若しくは単に日夜(日夕)不怠の意を添えたものであろう。要は不断に身の清浄を怠らざるの結界の意である。

 

・「女人堂」高野山には高野七口と呼ばれる七つの登り口があったが、明治五(一八七二)年の女人禁制解除までは女性の立ち入りが厳しく制限され、それぞれの各登り口に女性のための参籠所が設けられた。現在は不動坂を登ったところにある一堂のみが遺跡として現存する。

 

・「虵柳の靈」「虵」は「蛇」。蛇柳は高野山の山上にある大橋(一の橋)より奥の院に至る右側の路傍の奥にあった(現在は枯死して存在せず、ガイドや地図にも所収しない)。一説に弘法大師の得度によって蛇の変じた(若しくは法力によって蛇に変じさせた)松と言われた。高野山の古い案内記によれば、この柳は、低く匍匐して蛇が臥せたのに似ていることから名づけられた、とある。調べてみると、どうもここが諸案内に載らないのは、松が枯れた以外にも、高野山の「暗部」に相当する不浄の地であるからのように推察される。「高野山霊宝館」の公式HPには、高野山で犯罪を犯した者への処刑方法として「万丈転の刑」(手足を紐で縛った上に簀巻にして谷底へ突き転がされる刑)を説明するページがあるが、罪状が軽い場合は鬢(びん)を片方だけそり落とし、そこに朱で入れ墨された上で寺領外への追放で、万丈転でも万一命拾いした者はそのまま放免となったが、逆に重罪の場合は奥之院の蛇柳付近の地中に生きたまま埋められる極刑となる、とあるのである。本記載では大いに参考になった個人のHP、上村登氏の「土佐の植物」(昭和一九(一九四四)年共立出版刊か)を電子化されたものと思われるサイト内にある「紀州高野山の蛇柳」によれば、『以前高野山で植物採集会が催された時、その指導者として私も行ったのだが、その折私は同山幹部の或る僧に向ってこの蛇柳の由来をたずねてみたら、その答えに「昔高野山の寺の内に一人の僧があって陰謀を廻らし、寺主の僧の位置を奪い自らその位に据らんと企てたことが発覚して捕えられ、後来の見せしめのためにその僧を生埋にした処があの場所で、そこへあの通り柳を植え、そして右のような事情ゆえその罪悪を示すためその柳の名も蛇柳と名づけたようだ」と語られた』とあるのも興味深い。なお、同記載によれば植物学者白井光太郎氏がここでこの柳を採取した上、ヤナギ科ヤナギ属ジャヤナギ(別名オオシロヤナギ)Salix eriocarpa に同定、和名もここで決まった。

 

・「無慙」特にこれや「無慚」と書いた場合、仏教用語として仏教の戒律を破りながら心に少しも恥じるところがないことを言う。

 

・「寛政八年」西暦一七九六年。本巻の記事下限は寛政九(一七九七)年春であるから極めてホットな『オルレアンの噂』の寛政版ということになる。

 

・「營士」岩波版長谷川氏注に柳営(将軍・幕府)の武士の謂いかとする。但し、根岸が今までの巻で用いたことのない単語である。なお、長谷川氏がかく推定する理由は次注参照。

 

・「花村何某」岩波版長谷川氏注に花村『正利(まさとし)。書院番組頭・御先鉄砲頭より寛政八年家慶付き』とある。家慶(寛政五(一七九三)年~嘉永六(一八五三)年)は江戸幕府第十二代将軍。

 

・「幽靈奉公」これは、悪僧がユウタ(幽太:幽霊の役を演じる者。)役をこの「靑白い」もってこいの女にやらせ、まず幽霊騒ぎを引き起させては、そこにやおら「高野聖」として自らが現われ、祈禱をやらかし、霊は往生致いたと称して金を巻き上げるというものであろう。本文では「高野にて」とあるが考えようによれば「高野聖」と称していただけで、おそらくは僧形の乞食僧(若しくは実際の高野聖から身を落とした者)であり、その親族ででもあったものか、女は幼き日より高野の結界外で、その者に体よく幽霊役として使役されていた、というストーリーであろう。ただ幽霊役だけで、済んでいたのなら、まだ、いいが……彼女のこれからの幸いを心より祈念するものである……。 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 幽霊奉公の事

 

 紀州高野山は清浄不怠(しょうじょうふたい)の霊場として、女人堂より先は女人を禁じ――邪悪なる大蛇さえも弘法大師の霊力によって柳と化して往生致いたと申す――かの蛇柳(じゃやなぎ)の霊なんどの霊験譚も、これ、人口に膾炙(かいしゃ)して御座れど……後世には無慙の悪僧があって、これ、始祖弘法大師の教戒を犯しながら、平気の平左にて「高野聖」を名乗り、思いも寄らぬ悪事を働いておる輩も、これ、あるのであろうか?……

 

……寛政八年の頃、将軍附きの花村某(なにがし)殿の元で雇うて御座った女、これ、異様に顔色が青白うして、言葉も関東の者にては、これ、御座らねば、朋輩(ほうばい)の女たちが郷里なんどを尋ねてみたところが、

 

「……高野山にて、幽霊奉公と申すものを、これ、勤めておりました。……」

 

と申す。

 

――幽霊奉公とは……

 

……幽霊に化けては凡俗の民を欺き、悪僧の渡世のおぞましき手伝いを致いておったとか申す。……

 

 これ、作り話にてもあろうかとは思うものの……いや……また、あり得ぬこととも思われず……ここに記しおくことと致す。

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