私の嫌ひな女 《芥川龍之介未電子化掌品抄》
私の嫌ひな女――アンケート「私の嫌ひな女」に対する芥川龍之介の回答――
[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年十月発行の雑誌『婦人公論』に掲載された。底本は岩波版旧全集(本作は総ルビ)を用いたが、読みは一切省略した。敢て若い読者のために付け加えておくと「誰彼」は「たれかれ」、「差扣へて」は「さしひかへて」と読む。底本後記には「私の嫌ひな女」を『大見出し』とあって、更に『芥川の文に表題はない』と記しているから、これが同雑誌の特集、諸家アンケートの中の一つであったことを示唆しており、また勉誠出版平成一二(二〇〇〇)年刊の「芥川龍之介作品事典」では末尾の『アンケート一覧』に載せていることから、以上のような副題を附した。この内容、多くの読者(特に芥川好きの女性)は聊か鼻白むかも知れぬ内容であるが、彼が最後に愛した片山廣子への思いなどから推せば、芥川は実にまことに素直に、まっとうな答えをしているのだと言えるであろう。ただ、これがアンケートへの回答ではなく、もっと芥川龍之介に『莫迦と云ふ語の内容を詳しく説明する時間と紙數と』を与えていたならば、もっと芥川という個の核心に迫れ得る面白いものになっていたとは思う(少なくとも芥川龍之介をファンとする諸女性の嫌悪を幾分かは和らげ得たとは思われる)。因みに芥川龍之介には、これとは真逆の「僕の好きな女」(大正九(一九二〇)年十月発行の雑誌『夫人倶樂部』創刊号に掲載)があるので、それも併せてお読みになられたい(リンク先は私のテクスト)。]
私の嫌ひな女
要するに莫迦な女は嫌ひです。殊に利巧だと心得てゐる莫迦な女は手がつけられません。歷史上に殘つてゐるやうな女はどうせ皆莫迦ぢやない人だから、この場合ちよいと例にはなり兼ねます。それから又現代の婦人になると、誰彼と活字にして莫迦の標本にするのは甚失禮だから、これも同じく差扣へて置きませう。兎に角、夫人たると令孃たるとを問はず、要するに莫迦な女は嫌ひです。唯、莫迦と云ふ語の内容を詳しく説明する時間と紙數とに乏しいのは、遺憾ながら仕方がありません。