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2012/10/11

耳嚢 巻之五 天野勘左衞門方古鏡の事

 天野勘左衞門方古鏡の事

 

 小日向(こひなた)に天野勘左衞門といへる御旗本の家古き丸鏡有しが、唐の玄宗皇帝の鏡なる由申傳(まうしつた)へけるが、予が許へ來れる人も右の鏡を見し由。いかにも古物と見へて鐡色(かないろ)に常ならざれど、形は通途(つうと)の丸鏡にて革の家に入りて服紗(ふくさ)に包、いかにも大切に祕藏するよし。右に付(つき)勘左衞門語りけるは、右鏡玄宗の所持といふも不慥(たしかならず)、しかれ共年古き品には無相違(さうゐなく)、祖父とやらん曾祖父とやらんの代に、鏡面曇りある故、懷(ふところ)にして下町邊江戸表あらゆる鏡屋持行(もちゆき)て研(とぎ)を申付(まうしつけ)しに、是は古き鏡故金味(かなあぢ)も不知(しれず)、研難(とぎがた)しとて斷(ことわり)ける故、詮方なく持歸りて門前を通る鏡研(かがみとぎ)などを呼て研を求(もとむ)れど何(いづ)れも斷りて不研(とがざ)しが、或年壹人の老鏡研を呼入(よびいれ)て右の鏡を見せしに、暫く詠(なが)めて先々(まづまづ)元の如く入置(いれおき)給へとて、手洗ひ口すゝぎて扨(さて)右の鏡を得(とく)と見て、是は古き鏡也(なり)、我等六拾年來かゝる鏡を此鏡共に見る事二度也、定て此鏡を研(とが)んといふ者あらじ、我等は親は江戸にて鄽(みせ)を出し相應にくらしけるが、不仕合(ふしあはせ)にて今は落魄(らくはく)せしが、いとけなき時かゝる鏡を親なる者研(とぎ)し時咄しける事あれば某(それがし)は研得(とぎう)べし、され共(ども)家寶を我宿に持歸らんもいかゞなり、又渡し返し給ふべき樣もなければ、一七日(いちしちにち)潔齋して爰に來りて研可申(とぎまうすべし)、朝夕の食事は與へ給へといひし故、其約を成せしに、七日過て齋濟しとて來りて、主人の古き麻上下(あさがみしも)をかりて、扨(さて)一室に入て鏡を都合三日にて研上(とぎあげ)しに、實(げ)にも淸明光潔にして誠に可貴樣成(たふとぶべきさまなる)故、主じも悦びて價ひ謝禮を成さんと言しが、曾て不求之(これをもとめず)。我等幸ひにかゝる古物を研得(とぎえ)しは職分の譽れ也(なり)、謝禮を受ては却(かへつ)て恐れあれば、右細工中の古麻上下を給はるべし、子孫の光輝になさんといふ故、その乞ひに任せけると也。其時の儘にて今に研(とぎ)し事なしとかたりけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:骨董連関。

・「小日向」現在の東京都文京区小日向。茗荷谷の南。

・「天野勘左衞門」天野昌淳(まさきよ)。底本の鈴木氏注に、『宝暦五年(十七歳)祖父の遺跡(四五〇石)を相続。明和三年西城御小性組の番士となる』とある。これにより彼の生年は元文四(一七三九)年となり、執筆推定の寛政九(一七九七)年当時生きていれば満五十八歳である。

・「革の家」底本の鈴木氏注に『革製の箱。』とある。但し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版には『革の袋』とあって、この方が自然で、筆写の際、「嚢」の崩し字を「家」と誤読したもののように思われる。訳は袋を採った。

・「鏡面曇りある」ガラスに銀鍍金(めっき)を施した現在の鏡と異なり、当時の鏡は青銅の一面の上に水銀を鍍金した反射面を利用するもので、暫くすると錆が生じて直に曇ってしまった。

・「研(とぎ)」は底本のルビ。

・「金味(かなあぢ)」は底本のルビ。金属の材質・性質。

・「鏡研」鏡研ぎ(鍍金のし直し)をする行商の職人。三谷一馬「江戸商売図絵」(中央公論社一九九五年刊)の「鏡研ぎ」のよれば、『この職人は殆ど加賀出身の老人で、専ら寒中に来たといいます。鏡を磨くときは柘榴の汁を使ったそうです』とある。その細かな研ぎの方法については、個人のHP「大宝天社絵馬」の中の「柄鏡と髪飾り」に(コンマを読点に代え、改行を繫げた)、『まず、表面を細かい砥石で研ぎ、朴炭で磨き上げてから、水銀とすずの合金に砥の粉、焼きみょうばん、梅酢などの有機酸をまぜたものを塗って蒿(ヨモギ)でこすりつける。最後に柔らかい美濃紙で磨き上げると、青銅の表面は新しい水銀メッキ層で覆われ、再び金属光沢の輝きを取り戻すのである』とある。「朴炭」は「ほおずみ」と読み、双子葉植物綱モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ Magnolia obovata を原材とした木炭、均質なため、銀・銅・漆器などの研磨に用いられる。三谷氏の柘榴はこの解説の『梅酢などの有機酸をまぜたもの』に相当しよう(の個人ブログに絵本「彩画職人部類」(天明四年橘珉江画)の絵があり、また株式会社「クリナップ」の公式HPの江戸散策」には「江戸名所図会 四谷内藤新駅」(部分)の鏡研ぎの絵がある)。

・「得(とく)」は底本のルビ。

・「又渡し返し給ふべき樣もなければ」訳で最も困った部分である。まず「又」とあるから、前の鏡を預かることに関連するのであれば、これは研ぎのために預かった鏡を研ぎ終えて「渡し返す」の意以外にはない。しかし、「渡し返す」動作の主体は研ぎ師本人であり、尊敬の補助動詞「給ふ」はおかしい。この動作主体は旧主天野であることは動かない。さればここは本来、「渡し返させ給ふ」という使役表現であったのではなかろうか? 旅商いのどこの馬の骨とも分からぬ鏡研ぎに、お目出度くも家宝の鏡を預け置いて、仕上げて「渡し返」させるまで、何の心配もしないということはない、だから預けることはない、という意味で意訳しておいた。大方の識者の御意見を乞うものである。

・「一七日」七日間。

・「實にも淸明光潔にして……」底本は「爰にも」であるが、「ここにも」では文脈上、おかしい。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『実(げ)にも』とあって、これならおかしくない。筆写の際、「實」の崩し字を「爰」と誤読したもののように思われるので、特に本文を「實」に変えた。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 天野勘左衛門方にある家伝の古鏡の事

 

 小日向(こひなた)の天野勘左衛門殿と申される御旗本の家に古い丸鏡が御座る。

 唐の玄宗皇帝所持の鏡と伝えられておるが、私の元へ来る知人も、この鏡を実見致いたとのこと。

 如何にも古物(こぶつ)と見えて金属の色は尋常ではないものの、形は普通の丸鏡で、革の袋に入れ、それを更に袱紗(ふくさ)に包み、如何にも大切に秘蔵なされておらるる由。

 この鏡について、勘左衛門殿が話されたことには……

 

……この鏡、玄宗皇帝の所持しておったと申すものの、これ、確かな話にては御座らぬ。然れども、余程古き品であることは、これ、相違御座らぬ……

……祖父の、いや、曾祖父とやらの代に、鏡面に曇りが出た故、懐ろに入れて下町、江戸表の、ありとあらゆる鏡屋へと持ち込んで、研(と)ぎ呉るるよう申し付けたところ、

「……これは……古き鏡なれば、材質もようは分からず……とてものことに、研ぐこと、これ、出来難(がと)う御座いますれば……」

と何処(いずこ)も断る故、詮方なく持ち帰って、その後は、門前を通る鏡研ぎなんどを呼び入れ、研がせんと致いたが、何(いず)れも、同じ理由にて断わられ、研ぐこと、これ出来申さず……

……ところが、ある年、一人の老鏡研ぎを見かけて呼び入れ、この鏡を見せたところが――暫くの間――凝っと、眺めて御座ったが、

「……まずまず、元の如く、一度御仕舞下され。……」

と申すと、かの老人、手水(ちょうず)を借り、手を洗い、口を漱ぎ終えると、

「――さても――」

と、改めて鏡を取り出だいて、これ、じっくりと検分致いて御座った……

……そうして、やおら語り出すことには、

「……これは、まっこと、古き鏡にて御座る。……我ら、この六十年来……かかる名物を見るは、これで二度目のことにて御座る。……定めて……これを研がんと申した者は、これ、御座いますまい。……我ら……親は、江戸にて鏡研ぎの店を出いて……相応に暮らいて御座ったれど……今は落魄(らくはく)致いておりまするが……我ら、幼き折り、かかる鏡を親なる者の研いだ時の話を、これ、訊いて記憶に残って御座ればこそ……我らこと、この鏡、研ぎ得ようと存ずる。……されども、御家宝を我が旅宿に持ち帰ると申すも如何(いかが)なものか、また、我ら流浪(るろう)の旅商いの身なれば、安心して預けおかれ、返却させるなさるというお目出度い仕儀も、これ、お考えにはなりますまい……されば、七日の間、潔斎(けっさい)致いて、こちらさまに参り、こちらさまにて研がせて頂きまする。研ぎに入(い)って後の朝夕の食事だけは、これ、ご用意下さいますよう、お願い申し上げまする。……」

と申した故、かくの如く約しおいた……

……七日過ぎて、

「潔斎、これ、済み申した。」

とて老人が来たり、我ら旧主の古き麻裃(かみしも)を借りて、さても、屋敷の一室に籠って研ぎに入(い)って御座った……

……それよりきっかり三日の後、老研ぎ師は、この鏡を研ぎ上げて御座った。

 研ぎ上がった鏡は、ほれ、この通り、実に清明光潔にして、まっこと、貴き伝家の宝鏡と呼ぶに相応しき様なればこそ、我らが旧主も大悦び致いて、

「謝礼は、これ、望むだけ、取らそうぞ!」

と申したところ、老研ぎ師は、

「……いえ、これ、戴きませぬ。」

と申す。そうして、

「……我らこと、幸いにしてかかる古物の鏡を研ぎ得たことは、研ぎ師として、これ以上の誉れ、これ、御座ない。……謝礼を戴いては、これ、却って畏れ多きことなれば……そうさ、かの細工の間、お借り致いた、この麻裃、これを、賜りとう存ずる。……これを以って我ら、これ、名宝の古鏡(こきょう)を研ぎ上げたる、子孫代々への光輝と致さん、と存ずる。……」

と申したそうじゃ。我ら旧主、その乞いに任せ、その麻裃を褒美として与えて御座った……

 

「……その時、研いだ儘(まま)にて、我らが当主となってからは、一度として研いだことは、これ、御座らぬ。」

と、天野殿御自身、語られたとのことで御座る。

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