母と義母と / ブログ・アクセス410000突破 / スペシャル・プレゼント予告
木曜の朝に亡くなった義母蓮臺淨喜大姉(俗名長谷川喜久子)の通夜と葬儀は翌日が友引であったため、この土日に行われた。
僕の僕の母との別れは――たった4時間余りであった。――亡くなった母に病院で逢ったのが朝の6時過ぎ、午前10時半、僕が依頼した慶応大学医学部の献体の引き取りに来た車で去ってゆく母を、父と僕と妻と看護婦さん一人の4人だけで見送ったのだった。
僕と僕の義母との別れは、既に名古屋は瑞穂区にある実家に戻っていた義母と対面したのが10月25日の午前10:00、名古屋の八事斎場で拾骨を終えたのが4:30――実に丸3日と6時間余りであった。――私は長女の婿であることから、喪主である義父の次の座らされ、妻は足が悪いために茶汲みから受付(家族葬であったために30人弱しか弔問は来なかったが故に通夜も葬儀も僕一人で受付香奠計算もした)まで、文字通り、八面六臂の働きをせずんばならずであった訳である。
それは――あらゆる点で――すこぶる対照的且つ相互に印象的であったと言える。
しかし、今、それについて語ろうとは思わない。
思わないが――しかし――まず、普通の人が経験することの稀なるところの――二人の「母」の「送り」を僕はしたのだ――ということだけは言っておこう。
告別は人を変える――
事実、僕は母との別れを境に文章まで変わった(と教え子は言う)――
さて――義母との別れは僕に何を「齎して呉れる」でのあろう……楽しみである……
*
先程、一足先に僕だけが鎌倉へ戻った。
たまたま今日のついさっき、
2012年10月29日の14:06に
“The Picture of Dorian Gray: Sans Souci”
を見た方(これは僕の幼稚園時代の写真だ。義母が天国からアクセスしたのだろうか?)、あなたが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、410000丁度のアクセス者でした。
既に記念テクスト(というより、特殊プロジェクトの始動用部分テクスト)は用意してある。
これより公開作業にとりかかりたいのだが、アリスの右眼が炎症を起こしているので、動物病院に連れて行き、久し振りに散歩に連れ出す。暫く、お待ちあれ。
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また――その公開後に、とある飛び切りの美人の写真を紹介したいとも思っている――乞うご期待!
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