生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(4)トタテグモ
「くも」類のなかには地中に孔を造つて、その中に隱れて居るものが幾種類もあるが、その中で「とたてぐも」と名づけるものは、絲を編んで孔の入口に丁度嵌るだけの圓形の開き戸をつくり、常にはこれを閉ぢて置くので外面からは孔の有り場處が少しも分らぬ。平地にも崖の處にもあつて、決して珍しいものではないが、蓋の外面にはその周圍と同樣に、赤土の處ならば赤土、苔のある處ならば苔が附けてあるから、餘程注意して見てもなかなか見出だし難い。今から最早四十年許りも前になるが、東京本郷の大學構内の池の傍で、この類の「くも」が偶然見附けられたのは、「くも」の體に寄生した菌が孔の蓋を下から押し開けて、地上へ延び出して居たからであつた。この「くも」は箱のなかに飼うて置いても、巧みに土中に孔を穿ち蓋を造るから、詳にその擧動を觀察することが出來るが、最も面白いことは戸の裏に二つ小さな凹みを造つて置き、若し何者かが來て、外から戸を開かうとすると、「くも」は内から足の爪をこれに掛けて開けさせぬやうに力を込めて引いて居る。
[やぶちゃん注:「とたてぐも」節足動物門鋏角亜門クモ上綱蛛形(クモ)綱クモ亜綱クモ目クモ亜目のカネコトタテグモ科 Antrodiaetidae 及びトタテグモ科 Ctenizidae に属する種の総称。以下、ウィキの「トタテグモ」から引用するが、その殆んどの部分が本文との関連の濃密な記載であるので、ほぼ全文を引用させて戴く(アラビア数字を漢数字に代え、記号も変更した)。『日本で最も普通の種は、キシノウエトタテグモ
Latouchia swinhoei
typica である。本州中部以南に分布し、人家周辺にも普通に生息する。コケの生えたようなところが好きである。地面に真っすぐに穴を掘るか、斜面に対してやや下向きに穴を掘る。穴は深さが約一〇センチメートル程度、内側は糸で裏打ちされる。巣穴の入り口にはちょうどそれを隠すだけの楕円形の蓋がある。蓋は上側で巣穴の裏打ちとつながっている。つながっている部分は狭く、折れ曲がるようになっていて、ちょうど蝶番のようになる。蓋は、巣穴と同じく糸でできている。そのため、裏側は真っ白だが、表側には周囲と同じような泥や苔が張り付けられているため、蓋を閉めていると、回りとの見分けがとても難しい』。『クモ本体は体長一五ミリメートルくらい。触肢が歩脚と見かけ上区別できないので十本足に見える。これは原始的なクモ類に共通する。鋏角は鎌状で、大きく発達していて、穴掘りに使用する。全身黒紫色で、腹部にはやや明るい色の矢筈(やはず)模様がある。クモは巣穴の入り口におり、虫が通りかかると、飛び出して捕まえ、巣穴に引きずり込んで食べる。大型動物が近づくと、蓋を内側から引っ張って閉じる。さらに接近すると、巣穴の奥に逃げ込む。巣穴の奥に産卵し、子供としばらくを過ごす。子供は巣穴を出てから空を飛ぶことなく、歩いて住みかを探す』。『環境省のレッドデータブックでは、「準絶滅危惧」とされる』。『両開きの扉を作るものもある。カネコトタテグモ科に属するもので、日本では本州の固有種であるカネコトタテグモがそれである。多くは苔の生えた斜面に巣穴を掘る。その巣穴の入り口は、左右に開くようになっているが、キシノウエトタテグモの場合のように、蝶番部がはっきりしている訳ではないので、あまり扉らしくは見えない。閉じている時には、中央に、縦に閉じ目がわずかに見えるが、蓋の表面は周囲と同じ苔などで覆われ、発見するのは大変困難である。北海道のエゾトタテグモも同様の巣を作る』。『キシノウエトタテグモには、冬虫夏草の一種であるクモタケがよくつく。クモタケがクモにつくと、巣穴の底で死んだクモからキノコの子実体が伸び、扉を押し上げて地上にその姿を現す。キシノウエトタテグモの巣はなかなか発見しづらいので、キノコが出現したことで、初めてクモの存在に気が付くという場合がある』(『冬虫夏草の一種であるクモタケ』とは菌界子嚢菌門核菌綱ボタンタケ目バッカクキン科
Nomuraea 属クモタケ Nomuraea atypicola。子実体は主に春から夏にかけて庭園や民家近くなどの地上に巣を作ったクモから発生する。形状は棍棒状で長さ約三~八センチメートルとなり、薄紫色の分生子に覆われる(以上はウィキの「クモタケ」に拠る)。この記載から、丘先生の記される東京大学の三四郎池と思しい場所で発見されたというのも、このキシノウエトタテグモ
Latouchia swinhoei typical
と考えられる)。]
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