望むこと二つ 《芥川龍之介未電子化掌品抄》
望むこと二つ――アンケート「私がもし生まれかはるならば」に対する芥川龍之介の回答――
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年三月発行の『文章倶楽部』に「私がもし生まれかはるならば」という大見出しの元に諸家アンケートとして表記の題で冒頭に掲載された(保昌正夫「文章俱楽部総目次・執筆者索引」によれば、外に葛西善蔵「健全な人間に」・小川未明「私の延長」・川路柳虹「地球の最後迄」・白鳥省吾「現在の自分を滓として生れる」・福田正夫「大樹のやうな性格の持主に」が載る)。底本は岩波版旧全集を用いた。副題は底本に従わず私が附した。]
望むこと二つ
もし現在の自分の個性をそのまゝ持つて生れかはるとすれば、先づ矢張り人間に生れかはりたい。唯もう少し、頭が良くて、肉體が丈夫で、男振りが好い人間に生れかはりたい。生れる場所は、成るべく金のある家に生れて一生食ふ爲に働かずともいゝやうにしたい。あまり大金持の家に生れるとすると、却つて苦んだり戰つたりしない爲めに、健全に發達しないと云ふ説もあるけれど、僕の個性をそのまゝ持つてゐれば、その點は大丈夫だから、矢張り大金持の方が好都合である。
その外に僕は、かう云ふことを考へてゐる。と云ふのは、もし本當に生れかはるものとすれば、人間より下等な馬か牛に生れかはる。そして何か惡いことをして死ぬ。さうすると、神だか佛だか知らないけれども、兎に角、さう云ふものが僕を、馬や牛よりも下等な雀か鳥にするだらう。それが又惡いことをして死ぬと、今度は、魚か蛇にするだらうと思ふ。それ、が又惡いことをして死ぬと、今度は蝶々とか蚯蚓とか云ふものにするだらうと思ふ。それが又惡いことをして死ぬと、今度は松の樹や苔などになるだらうと思ふ。それが又惡いことをして死ぬと、今度は、バクテリヤになるだらうと思ふ。そのバクテリヤが惡いことをして死んだ時に、神だか佛だか何かさういふ知らないものが、一體僕を何にする了簡だらうと思ふと、ちよつと馬や牛に生れかはつて、順々に惡いことをして、死んで行つてみたいやうな氣もする。
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