耳嚢 巻之五 守護の歌の事
守護の歌の事
加茂の長明、禁理(きんり)へ守護を奉りける時、守護はいかなるわけにて其奇特(きどく)ありやと御尋ありし時、
守りせは己もしらじおやまだに弓もてたてるかゝし也けり
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。二つ前の「戲歌にて狸妖を退し由の事」と滑稽和歌技芸譚で直連関し、同話のに登場する神主である賀茂神社でも繋がる。にしても都市伝説(噂話)が多い中、珍しい六〇〇年前の鎌裏時代の話柄である。
・「守護」神社のお守り・護符・守り札のこと。
・「鴨長明」(久寿二(一一五五)年~建保四(一二一六)年)は賀茂御祖神社(下賀茂神社)の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれたが、望んでいた同神社内にある河合社(ただすのやしろ)の禰宜につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされたため、後に出家して蓮胤とを名乗った(出家遁世の動機は琵琶の師の亡くなった後、禁曲を演奏したことが告発されたためとも言われる)。位階は従五位下(以上はウィキの「鴨長明」による)。
・「禁理」底本には右に『(禁裏)』と傍注する。
・「奇特」神仏の持っている超自然の霊力。霊験。この意の場合は「きどく」と読んで「きとく」(優れている、珍しいの意)とは読まないのが通例。
・「守りせは己もしらじおやまだに弓もてたてるかゝし也けり」分かり易く書き直すと、
守りせば己(おのれ)も知らじ小山田に弓持(も)て立てる案山子(かかし)なりけり
で、「己も知らじ」は掛詞で、護符が何から守ってくれるかは私もよう分からぬの意と、山田の案山子は何を自分が守っているかは分からぬの意を掛ける。
……何を守るかとおしゃるか? これは、我らも存ぜぬ――それは――丁度、山田の只中に弓矢を持って立つ案山子そのものであったのじゃったのぅ――何を守るかは存ぜぬ故にこそ――何もかも堅固に守って御座るのじゃ……
これは長明より百年後代の鎌倉後期の臨済僧、仏国禅師高峰顕日(こうほうけんにち 仁治二(一二四一)年- 正和五(一三一六)年)の以下の歌によく似ている。
心ありて守(も)るとなけれど小山田に徒(いたず)らならぬ案山子なりけり
この歌は恐らく、
――心があって守るという訳ではない――その山田の只中の案山子でも――その威厳を以て鳥獣を去らせる――これは無為に見えながら妙法を致いておる――心の面に現わるることなくして――無念無想の境地に案山子は――「在る」のであったのぅ――
といった公案みたようなものであろう。長明に本歌の記録がなければ、本話柄はこの仏国禅師の和歌に基づく後の創作と思われる(長明の和歌を精査したわけではないので確かなことは言えない)。高峰顕日は後嵯峨天皇第二皇子。康元元(一二五六)年に出家後、兀庵普寧(ごったんふねい)・無学祖元に師事、下野国那須雲巌寺開山。南浦紹明とともに天下の二甘露門と称され、幕府執権北条貞時・高時父子の帰依を受けて鎌倉の万寿寺・浄妙寺・浄智寺・建長寺住持を歴任、門下に夢窓疎石などの俊才を輩出、関東における禅林の主流を形成した(以上の事蹟はウィキの「高峰顕日」に拠った)。
なお、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、
守りとは己(おのれ)も知らじ小(お)山田に弓もて立てる案山子(かがし)也(なり)けり
の形で載る。
■やぶちゃん現代語訳
守り札の歌の事
鴨長明が宮中へ御守護の札を奉った際、
「『守護』とは如何な意味にておじゃる?――何から守り――何の奇特(きどく)があると――申すのじゃ?」
とお尋ねがあった。それに長明が応えた歌、
守りせは己もしらじおやまだに弓もてたてるかゝし也けり