生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 三 防ぐこと~(1)
三 防ぐこと
逃げも隱もせずして敵を防ぐものの中には、攻撃用の武器を用ゐて對抗するものと、單に受動的の防禦裝置のみによつて、敵をして斷念せしめるものとがあるが、こゝには攻撃用の武器を用ゐるものの例は一切省いて、たゞ純粹の防禦裝置による場合を幾つか掲げて見よう。
まづ敵の攻撃を居ながら防ぐ普通の方法は、堅固な甲冑を以て身を包むことである。これは、貝類では一般に行はれて居る方法で、卷貝でも二枚貝も、多くは敵に遇へば直に殼を閉ぢるだけで、その他には何らの手段をも取らず、たゞ敵が斷念して去るのを根氣よく待つて居る。「たにし」や「しゞみ」のやうな薄い貝殼でも彼等の日常出遭ふ敵に對しは相應に有功であるが、「さざえ」・「はまぐり」などになると殼は頗る堅固で、我々でも道具なしには到底これを開くことも破ることも出來ぬ。更に琉球(沖繩)や小笠原島など熱帶の海に産する、夜光貝とか「しやこ」とかいふ大形の貝類では、介殼が頗る厚いから、防禦の力もそれに準じて十分である。夜光貝は「さざえ」の類に屬するが、往々人間の頭位の大さに達し、介殼が厚くて堅く、且眞珠樣の美しい光澤があるから、種々の細工に用ゐられる。また「しやこ」は「はまぐり」と同じく二枚貝であるが、大きなものは長さが一米餘もあり、重さが二百瓩にも達する。殼の厚さは二〇糎もあつて純白で緻密であるから、裝飾品を製するには最も適當である。それ故、昔から七寶の一に數へられ、珊瑚の柱、硨礫(しやこ)の屋根と相竝べて龍宮の歌に謠はれる。佛國パリのサン、シュルピスの寺では、この介殼を手水鉢に應用してゐる。
[やぶちゃん注:「夜光貝」腹足綱古腹足目ニシキウズ超科サザエ科リュウテン属ルナティカ(Lunatica)亜属ヤコウガイ Turbo(Lunatica) marmoratus。本和名に「夜光貝」は実は当て字であって、本来は「屋久貝」(屋久島の貝)であったとされる。ウィキの「ヤコウガイ」にも『ヤコウガイは本来「ヤクガイ(屋久貝)」と呼称されていたようである。奄美群島の地域名称は、「ヤクゲー」、「ヤッコゲ」、沖縄・先島諸島での地域名称は「ヤクゲー」、「ヤクンガイ」であり古称の名残を感じさせる。ヤクガイのあて字の一つに「夜光貝」があり、ここから「ヤコウガイ」という読みが生じた可能性もある』と記す。以下、形状・生態及び文化史を当該ウィキから引用しておく(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した)。『インド太平洋のサンゴ礁域に生息する大型の巻貝である。重厚な殻の裏側に真珠層があり、古くから螺鈿細工の材料として利用されてきた。その名前から、夜に光ると思われることがあるが、貝自体は発光しない』。『ヤコウガイはリュウテンサザエ科で最大の貝である。成体の重さは二キログラムを超え、直径一五~2二〇センチメートルほどに成長する。殻は開口部の大きさに比して螺塔が低い。数列の竜骨突起が発達するが、連続せずに瘤状に分離することもある。殻表面は滑らかで、個体によっては成長肋が目立つ。殻表全体は暗緑色を呈し、赤茶色の斑点を有している。殻の内側は青色から金色を帯びた真珠光沢である。他のサザエの仲間同様、石灰化した厚手の蓋を持つ』。『熱帯から亜熱帯域のインド~太平洋区に分布する。日本近海では屋久島・種子島以南のあたたかい海域に生息する。生息域は水深三〇メートル以浅の比較的浅い水路や岩のくぼみであり、砂泥質の海底には認められない。基本的に夜行性で、餌は海藻など。雌雄の判別は外見からは不可能である。繁殖活動は冬場を除き一年中みられ、大潮の前後におこなわれる。メスが緑色の卵子を、オスは白い精子を放出する。稚貝は三年で七〇ミリメートルほどに成長する』。『軟体部は刺身や煮物として食用にされる。ただし非常に硬いので調理には圧力釜などが必要である。焼き物にはむかない。貝殻は古くは螺鈿の材料として重宝され、産業的多産地としてはフィリピン諸島、アンダマン諸島、ニコバル諸島などがあり、日本では奄美群島、沖縄諸島、先島諸島が産地として知られる』。『ヤコウガイは、先史時代からすでに食用として軟体部が利用されている。ヤコウガイはその美しさゆえ古くから工芸品に使われており、平螺鈿背八角鏡など、正倉院の宝物にも螺鈿として用いられている。ヤコウガイから加工できる螺鈿素材は最大で五センチメートル×一五センチメートルほどになり、温帯・亜寒帯域で捕獲できる螺鈿素材の貝よりもはるかに大きいパーツが取れる利点から珍重された。また、土盛マツノト遺跡、用見崎遺跡、小湊フワガネク遺跡(いずれも奄美市)などといった六~八世紀の遺跡からヤコウガイが大量に出土している。こうした大量出土の遺跡のほとんどは奄美大島北部に集中しているが、その貝殻の量は先史時代の遺跡と比べ圧倒的に多いため単なる食料残滓の廃棄とは考えにくく、加えて貝殻集積の周辺部分より貝匙の破片も出土していることから、貝殻は原料確保としての集積の可能性が考えられる。あるいは、平安時代以降、ヤコウガイは、螺鈿や酒盃などとして、日本本土で多く消費されているが、その供給地としての役割をこれらの遺跡付近の地域が果たしていたことも考えられる』とある。
「しやこ」二枚貝綱異歯亜綱ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ亜科
Tridacninae のシャゴウガイ属 Hippopus 及びシャコガイ属 Tridacna に属する二枚貝類の総称。シャゴウガイ属
Hippopus のヒッポプスとはギリシア語で「馬」を意味する“ippos”と「足」の意の“poys”の合成で、貝の形状を馬の足のヒズメに見立てたものであろう。またシャコガイ属 Tridacna の方はギリシア語の「3」を意味する“tria”と「嚙む」の意の“dakyō”で、殻の波状形状と辺縁部の嚙み合わせ部分に着目した命名と思われる(以上の学名由来は荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水棲無脊椎動物」の「シャコガイ」の項を参考にした)。以下、ウィキの「シャコガイ」から引用する(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した)。『熱帯~亜熱帯海域の珊瑚礁の浅海に生息し、二枚貝の中で最も大型となる種であるオオジャコガイを含む。外套膜の組織に渦鞭毛藻類の褐虫藻が共生し、生活に必要な栄養素の多くを褐虫藻の光合成に依存している』(熱帯や亜熱帯のクラゲ・イソギンチャク・造礁サンゴ類等の海産無脊椎動物と細胞内共生する褐虫藻“zooxanthella”(ゾーザンテラ)としては、Symbiodinium spp.やAmphidinium spp. 及び Gymnodinium spp. などが知られる)。『貝殻は扇形で、太い五本の放射肋が波状に湾曲し、光沢のある純白色で厚い。最も大型のオオシャコガイ(英語版)は、殻長二メートル近く、重量二〇〇キログラムを超えることがある』。『サンゴ礁の海域に生息し、生時には海底で上を向いて殻を半ば開き、その間にふくらんだ外套膜を見せている。この部分に褐虫藻を持ち、光合成を行わせている。移動することはなく、海底にごろりと転がっているか、サンゴの隙間に入りこんでいる』。肉は食用となり、特に沖縄地方では刺身にして普通に食用とし(私は好物である)、古くから殻は置物や水盤などに用いられた(私の小学校の庭ではこれを池にして金魚が飼われていた)。分布は『太平洋の中西部とインド洋の珊瑚礁。オオシャコガイはその分布地の北の限界が日本であり、八重島諸島で小柄な個体が僅かながら生息している。しかしながら海水温が高かった約七〇〇〇~四三〇〇年前までは沖縄各地に分布し、現在でも当時の貝殻が沢山発見されている。その中にはギネス級の貝殻も見つかっている』。私たちが幼少の頃の学習漫画にはしばしば、海中のシャコガイに足を挟まれて溺れて死ぬというおどろおどろしい図柄が載っていたものだったが、これは誤伝であって有り得ない話である(今でも私の世代の中にはこれがトラウマになっていて恐怖のシャコガイが頭から離れない者が必ずいるはずである)。ウィキではそこも忘れずに『「人食い貝」の俗説』の項を設けて以下のように記載しているのが嬉しい。『シャコガイに関する知識や情報が乏しかった頃、例えば一九六〇年代頃まで、特にオオシャコガイについては、海中にもぐった人間が開いた貝殻の間に手足を入れると、急に殻を閉じて水面に上がれなくして殺してしまうとか、殺した人間を食べてしまう「人食い貝」であると言われていた。しかし実際には閉じないか、閉じ方が緩慢で、そのようなことはない』のだ。安心されよ。
「佛國パリのサン、シュルピスの寺」パリ六区にあるカトリック教会“Église Saint-Sulpice”(サン=シュルピス教会)。創建の命は一六四六年にルイ十三世の王妃アンヌ・ドートリッシュによるが、完成は困難を極めた。]