「何つちが先へ死ぬだらう」
「何つちが先へ死ぬだらう」
私は其晩先生と奧さんの間に起つた疑問をひとり口の内(うち)で繰り返して見た。さうして此疑問には誰(たれ)も自信をもつて答へる事が出來ないのだと思つた。然し何方が先へ死ぬと判然(はつきり)分つてゐたならば、先生は何うするだらう。奧さんは何うするだらう。先生も奧さんも、今のやうな態度でゐるより外に仕方がないだらうと思つた。(死に近づきつゝある父を國元に控へながら、此私が何うする事も出來ないやうに)。私は人間を果敢(はか)ないものに觀じた。人間の何うする事も出來ない持つて生れた輕薄を、果敢ないものに觀じた。
(夏目漱石「こゝろ」より)
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僕は必ずふと繰り返し繰り返しこの「学生」の「私(わたくし)」の、紛れもない突きつけられた人間というものの宿命としての真理を思い出すのです――