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2012/10/01

耳嚢 巻之五 修驗忿恚執着の事

 修驗忿恚執着の事

 

 是も牛込邊の町家の輕き者の母、夏に成て夜具を質入(しちいれ)せしを、冬來りて取出し着て臥(ふせ)りしに、右※(よぎ)を着し一睡(ひとねぶ)りなせば、祖母々々(ばばばば)暖かなるやと聲をなしける故大に驚て質屋へ至り、しかじかの事也、子細あるべきと尋ければ、右※は未(いまだ)質に取り候儘にて藏へ入置(いれおき)、是迄人に貸べき樣もなければ、質屋におゐて何の子細もなし、手前を得(とく)と詮議し見給へと言ひし故、子共又は心安き者にも語りて、色々心障りの事もありやと考(かんがへ)けれど別儀なし。彼(かの)婆風與(ふと)思ひ出しは、右質物受出(うけいだし)せし頃、表へ修驗(しゆげん)一人來りて手の内を乞ひしが、用事取込(とりこみ)其上乞ひやうも無禮なれば、手の隙(ひま)なきと答へて等閑(いたづら)に過(すぎ)し事あり。是等も恨むべき趣意と思はれずと語りければ、老人のいへるは、全(まつたく)それ成(なる)べし、彼(かの)修驗は又來(く)るべき也(や)、日毎に此邊を徘徊なす由答ければ、重(かさね)て來らば少々の手の内を施し、茶など振舞(ふるまひ)心よく挨拶して歸し給へと教ける間、翌日果して右山伏通りけるを彼(かの)婆呼込(よびこみ)て、此間は取込候事ありてあらあらしく斷りしがゆるし給へ、茶にても給(たべ)候へと念頃にいひて手の内を施しければ、此間はあらあらしき答故手の内をも乞ざりしが、扨々一面にては人の心は知れざると、四方山(よもやま)の物語りして立分れぬ。其後は彼※の怪も絶てなかりしとかや。

[やぶちゃん字注:「※」=「衤」+「廣」。]

 

□やぶちゃん注

○前項連関:僧の金執心由来の霊現象から、修験者遺恨由来の幻術めいた怪異で直連関。舞台も現在の同じ新宿区の中でも直近(神楽坂を中に挟んで北の方に改代町、南に牛込。だから冒頭「是も」と始まる)。この怪異はなかなか興味深く、「幻術めいた」と書いたものの、これは実は修験者が意識的に行った幻術という気が、私はしていないのである。これは一種の超能力者であったこの修験者の、無意識的な憎悪のエネルギが作用した現象であるように思われる。そうでないと、エンディングの如何にも気持ちのよい修験者の台詞にネガティヴなものが残って話柄としてはすっきりしなくなるからである(少なくともそうした見え透いた知らんぷりの修験者というコンセプトは私の趣味ではない)。なお、冒頭の布団から人語が聞こえるという怪異は頻繁に見られる。本話とはコンセプトが全く異なるが、一読忘れ難い作品は、小泉八雲の「知られざる日本の面影」に所収する「鳥取の蒲団の話」であろう。以下に、ウィキの「鳥取のふとんの話」の「物語」より、梗概を示しておく。

◎参考:小泉八雲「鳥取の蒲団の話」梗概(行頭一字空けを行い、アラビア数字を漢数字に代えた)

   《引用開始》

 鳥取の町に小さな宿屋が開業し、一人の旅商人の男が初めての客として泊まったが、深夜ふとんの中から聞こえてくる「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」という子どもの声に目を覚まし、幽霊だと主人に訴えた。主人はそんな話を相手にしなかったが、その後も宿泊客があるたびに同じような怪異が起き、とうとう宿屋の主人もふとんがしゃべる声を聞いた。主人がその原因を調べようとふとんの購入先を当たってみると、次のような悲しい話が明らかになった。

 そのふとんは、元は鳥取の町はずれにある小さな貸屋の家主のものだった。その貸屋には、貧しい夫婦と二人の小さな男の子の家族が住んでいたが、夫婦は子どもを残して相次いで死んでしまった。二人の兄弟は家財道具や両親の残した着物を売り払いながら何とか暮らしてきたが、ついに一枚の薄いふとんを残して売るものがなくなってしまった。大寒の日、兄弟はふとんにくるまり、「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」と寒さに震えていた。やがて冷酷な家主がやってきて家賃の代わりにふとんを奪い取り、兄弟を雪の中に追い出してしまった。かわいそうな兄弟は行くあてもなく、少しでも雪をしのごうと、追い出された家の軒先に入って二人で抱き合いながら眠ってしまった。神様は二人の体に新しい真っ白なふとんをかけておやりになった。もう寒いことも怖いことも感じなかった。しばらく後に二人は見つかり、千手観音堂の墓地に葬られた。

 この話を聞いて哀れに思った宿屋の主人は、ふとんを寺に持って行き、かわいそうな二人の兄弟を供養してもらった。それからというもの、ふとんがものをしゃべることはなくなったという。

   《引用終了》

・「修驗忿恚」「しゆげんふんい(しゅげんふんい)」と読む。「忿恚」は怒り、いきどおること。忿怒(ふんぬ)・瞋恚(しんい)に同じ。

・「右※(よぎ)」(「※」=「衤」+「廣」)は夜着。ルビは底本のもの。この時代は着物の形をした大形の掛け布団である。「かいまき」とも言う。

・「得(とく)と」ルビは底本のもの。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 修験者の忿怒の執心恐るべき事

 

 この話も牛込辺に起った話なる由。

 町家の、軽い身分の者の母が、夏に冬の夜具を質入れ致いて御座ったが、冬に至ればこそ請け出して横になり、その夜着(よぎ)を着て、一眠り致いたところが、その夜着が、老母の耳に、

「……婆サマ……婆サマ……暖(アッタ)カイカ?……」

という声を発した。

 老母は、吃驚仰天、即座に、かの質屋へと駆け込み、

「……んなことがあったのじゃ! これ、屹度、仔細がある!」

と、如何にも質入れ致いて御座った店の管理に曰くのあるが如、申したればこそ、

「あん夜着は、の! 質に取ったが、そのまんま! 蔵へ仕舞い置いといたんじゃ! これまで人に貸すてなことも、これ、なく、それどころか、指一本、触れなんだわ! なればこそ、店(うち)で何ぞあった、てなことは、ないわい! お前さん、お前さんの方こそ、とくと詮議なされたが、よ、ろ、し、か、ろ!」

と追い返されて御座った。

 老母はしょんぼり家へ帰ると、己(おの)が子(こお)やら、近所の親しい者やらへも、この声の怪異を語った。彼らは、

「……何ぞ、その夜着に纏わってじゃ……昔の曰く因縁など……気になって御座ったことなんどは、これ御座らぬか?……」

と水を向けても、別段、これ、ただの何でもない、夜着でしか御座らなんだ。

 ところが、そんな話の中、老母が、ふと思い出したことが御座った。

「……この質物(しちぐさ)を請け出だいて宅へ戻った折りのことじゃ……表へ修験者体(しゅげんじゃてい)の者が一人来たって、銭を乞うた。……丁度、用向きの取り込んでおった上に、その験者(げんざ)の乞い様(よう)も、これ、如何にも横柄で無礼であった故、『お前さんなんぞ、相手にしてる暇(ひま)は、ないね!』とピシャリと言うて、そのまま、追い払ったんじゃ。……じゃが……幾ら何でも……そんなことを、これ、遺恨となすとも、思われんがのぅ……」

と呟いた。ところが、これを聴いた場に御座った馴染みの老人は、

「――それじゃ! 全くそれに違い御座らぬ!……さあて、その修験、その後も来るかの?」

と訊く。老母が、

「……あ、ああ、毎日のようにこの辺りをうろついとるが……」

と答えると、老人、

「――次にまた来たらば、少しばかり布施を施し、茶なんど振る舞(も)うて快く挨拶致いた上で、帰すがよいぞ!」

と教えた。

 折りも折り、その翌日のこと、果たしてその山伏が老母の家の前を通りかかった故、老人に言われた通り、家内へと呼び込み、

「……このあいだは……そのぅ、取り込んで御座いました故、はしたなくも荒々しき断わりを申しましたが、どうか一つ、お許し下さいませ。……さっさ、一つ茶でも――どうぞ――」

と、如何にも慇懃に言うて、幾たりかの布施をも施して御座ったところ、山伏は、

「……今日は――過日、荒々しきお答えにて断られた故――布施を乞わんとは致さずおりましたが……いや、ハッハッ! さてさて、人と申すものは、これ、一面にては、その心、なかなかに分からぬものにて御座るのぅ。……」

とすっかり打ち解けた様子と相い成り、老母と四方山話に花咲かせて、立ち別れて御座った。

 それからというもの、かの夜着の怪も絶えてなくなったと申すことで御座る。

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