耳嚢 巻之五 幽靈なきとも難申事
幽靈なきとも難申事
予が許へ來る栗原何某といへる者、小日向(こひなた)に住居して近隣の御旗本へ常に立入(たちい)りしが、分て懇意に奧迄行(ゆき)しが、壹人の子息ありて其年五歳に成しが、至て愛らしき生れ故、栗原甚だ寵して行通(ゆきかよ)ふ時は土産など携へ至りしが、暫く音信(おとづれ)ざりし所、右屋敷今晩は是非に來(きたる)べしと申越(まうしこし)ける故、玄關より上(あが)りて勝手の方廊下へ行しに、彼小兒例の通り出て栗原が袖を引勝手の方へ行しに、勝手の方に何かしめやかに屏風など立(たて)ありし故、病人にてもありしやと何心なく通りしに、主人出て兼て不便がりし倅(せがれ)五歳に成りしが、疱瘡(はうさう)にて相果しと語られければ、驚(おどろき)しのみにもあらずこわけ立しと、直に右栗原語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:似非幽霊から真正幽霊へ幽霊繋がりで、三つ前の「天野勘左衞門方古鏡の事」が「小日向」で舞台が連関。先の「幽霊」話柄は私には今一つ後味の悪いものであったが、逆にこの子供の霊は(話者が怖がってはいるが)何か哀しくも、しみじみとする。私は子どもの霊が好きだ。
・「幸十郎」「卷之四」の「疱瘡神狆に恐れし事」の条に『軍書を讀て世の中を咄し歩行(ありく)栗原幸十郎と言る浪人』と初出する根岸のニュース・ソースと同一人物であろう。しかも語りの話柄が疱瘡(天然痘)でも連関している。本巻でも既に「麩踏萬引を見出す事」「在方の者心得違に人の害を引出さんとせし事」に登場している。
・「疱瘡」「卷之三」の「高利を借すもの殘忍なる事」の「疱瘡」の私の注を参照。
・「こわけ立し」「こわげ立ちし」で、慄っとして立ち竦むこと。
■やぶちゃん現代語訳
幽霊など実在しないとも申し難き事
私の元へしばしば参る栗原何某という者、これ、小日向(こひなた)に住まいがあり、近隣の御旗本の屋敷へも出入り致し、分けても殊に奥向きへも立ち入って、御当主の御家族とも懇意に致いて御座った。……
……その御当主には御子息があられ、当年とって五歳になって御座ったが、至って愛らしき姿なれば、我らも、よう、可愛がりましての、行き通う折り折りには、きっと、この子(こお)がために、土産なんど携えて参りました。……
……我ら、こちら様とはここ暫くの間、御無沙汰致いておりましたところが、ある日のこと、かの御屋敷より、
「今晩は是非来られたし。」
との仰せが寄越されました故、お訪ね申して、玄関よりお声掛け致いた上、勝手知ったる御屋敷で御座いましたから、そのまま御勝手方への廊下を歩いておりました。
……と……
……かの子(こお)が何処からとものう、走り出でて参り、我らの袖を引きながら、頻りに御勝手方へと引き連れて参ります。引かれるままに勝手方の入口まで参りましたところ――子(こお)は、そのままそこへ走り入って姿が見えずなりましたが――御勝手方は、何やらん、しめやかに屏風などが引き廻して御座って、しーんと静まっておりました故、
『……これは、誰ぞ、病人にても御座るものか……』
と思うておりました、その折り、奥方より御主人が出でて参られ、
「……栗原殿……かねてより貴殿の可愛がって下された、かの倅……五歳にて御座ったが……疱瘡(ほうそう)にて……これ……相い果て申した……」
と語られましたればこそ……
「……我ら……驚きしのみならず……正直、怖気立(おぞけだ)つて御座いました……」
とは、直(じか)に、かの栗原の語った話で御座る。
« 牡丹三句 畑耕一 | トップページ | 鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 五大堂/梶原屋敷/馬冷場/持氏屋敷/佐々木屋敷 »