耳嚢 巻之五 傳へ誤りて其人の瑾をも生ずる事
傳へ誤りて其人の瑾をも生ずる事
堂上(たうしやう)にてありしや、又地下(ぢげ)也(なり)しや、箱根にての詠歌也と見せける。
雲を踏足がら箱根松杉も仰げば富士の雪の下草
とありし由をかたりし者ありけるに、予がしれる望月翁聞て、趣向面白けれ共語りし者あやまりて歌主の心も野鄙(やひ)にや落(おち)ん、行(ゆく)雲の足がら山の松杉もと上の句はよむべき也、雲を踏(ふむ)とは天狗めきておかしく、足がらといひ箱根といふも物(もの)うし、松杉と言はゞ箱根のとの文字もありたし。歌主のあやまりしか、傳へ語る人の聞たがへるかと望月翁の語りし也。
□やぶちゃん注
○前項連関:二つ前の「小がらす丸の事」のエンディングにヒッチコックみたように登場する儒学者望月翁連関。
・「瑾」は「きず」と読ませていると思われるが、これはしばしば見られる慣用誤用で「瑾」は美しい玉の意である。「瑕疵(かし)」としたいところ。
・「望月翁」「卷之四」に登場した根岸のニュース・ソースの一人で儒学者。特に詩歌に一家言持った人物で、ここはその真骨頂。
・「野鄙」は野卑に同じい。対象が下品で洗練されていない、言動が下品で賤しい。また、そのさまを言う。
・「雲を踏足がら箱根松杉も仰げば富士の雪の下草」分かり易く書き直すと、
雲を踏む足がら箱根松杉も仰げば富士の雪の下草
で、「足がら」は松材杉材の名産地として知られた地名の「足柄」に、「がら」は原因理由を示す形式名詞「から」(助詞「から」の起源とされる)で、その足ゆえに、その足で雲を踏む、の意が掛けられているように私には思われる。また「柄」には木(や草)の幹の意があるから、「柄」「松杉」「下草」は縁語としても機能していよう。
――雲を踏むように聳える足柄山や箱根山、そこに屹立する松や杉も、一たび、富士山を仰ぎ見ると、もう、ただの雪が積もった地面の下草のようなもの――
といった如何にもな富士讃歌ではある。望月翁の補正歌も全体を示しておく。
行く雲の足柄山の松杉も仰げば富士の雪の下草
短歌嫌いの私に正直言わせて貰うならば、これ、狂歌風の野卑な面白みがスマートになった分、一回り陳腐にして一向つまらぬ和歌となり果てたと感じるのであるが、如何?
■やぶちゃん現代語訳
伝え誤りて作者の思わぬ瑕疵をも生じてしまう事
知れる者、さる御仁より、
「……公家方のものか、はたまた、庶民のものかは分からねど、箱根にての詠歌なる由に御座る。」
とて見せられた歌に、
雲を踏足がら箱根松杉も仰げば富士の雪の下草
とあった由、私に語って御座ったが、このことを、私の知り合いの――既に何話にも登場致いて御座るところの、件(くだん)の、和歌に薀蓄を持ったる老儒で御座る――望月翁に話したところ、
「……趣向は面白う御座れども、その最初に語ったと申す者が誤りて伝えたによって、本来の詠歌された歌主の心も、これ、すっかり野鄙(やひ)に落ちて仕舞(しも)うたように思われまするな。これは、
――行く雲の足がら山の松杉も
と上の句は詠みしものと存ずる。
――雲を踏む
とは、これ、天狗めいて可笑しゅう御座るし、
――足柄
に
――箱根
と重ねて続くるも、重うなって、これ、如何にもつまらぬもので、
――松杉
と言はば、これはもう、
――箱根の
と申す文字(もんじ)が、これ、ありとう御座る。……さても……これ、本来の歌主の誤りて詠めるものか……いやいや、大方は伝え語った、その御仁の聴き違えによる致命的な瑕疵にて御座いましょうのぅ……」
と、望月翁の語って御座った。

