鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 智岩寺谷
智岩寺谷
阿佛ノ蘭塔屋敷ヨリ北ノ畠ヲ云。古ハ寺有ケレドモ頽敗セリ。近比マデ地藏堂ノミ有ケリ。此地藏今ハ雪下ノ供僧淨國院ニアリ。ドコモ地藏卜云トゾ。
初堂守ノ僧貧窮ニシテ佛餉モ供スべキ物ナキ故ニ、此地ヲ遁去ソト思ヒ定メシ夜ノ夢ニ、地藏枕上ニ現ジテ、ドコモドコモトバカリ云テウセケリ。僧此心ヲ覺リ、何クヘモ行ズシテ、一生ヲ終へケルトゾ。マシテノ翁ノダメシ思ヒ出シ侍リヌ。
[やぶちゃん注:「智岩寺谷」は現在、「智岸寺谷」と書く。
「マシテノ翁」とは鴨長明の「発心集」の三に所収する「一 江州増叟(がうしうましてのおきな)の事」を指す。以下に原文を示す。
中比(なかごろ)、近江の國に乞食しありく翁ありけり。立ちても居ても、見る事聞く事につけて、「まして」とのみ云ひければ、國の者、「ましての翁」とぞ名付けける。させる德もなけれども、年來へつらひありきければ、人も皆知りて、見ゆるにしたがひて、あはれみけり。其の時、大和の國にある聖の夢に、此の翁必ず往生すべき由見たりければ、結縁(けちえん)のために尋ね來たりて、則ち翁が草の庵にやどりにけり。かくて、「夜なんど、いかなる行をかするらん」とて聞けども、更に勤むる事なし。聖、「いかなる行をかなす」と問へば、翁、更に行なき由を答ふ。聖、重ねて云ふやう、「我、まことは、汝が往生すべき由を夢に見侍てげれば、わざと尋ね來たるなり。隱す事なかれ」と云ふ。其の時、翁云はく、「我、誠は一つの行あり。則ち、『まして』と云ふことくさ、是なり。餓ゑたる時は、餓鬼の苦しみを思ひやりて『まして』と云ふ。寒く熱きに付いても、寒熱地獄を思ふ事、又かくの如し。諸々の苦しみにあふごとに、いよいよ惡道を恐る。むまき味にあへる時は、天の甘露を觀じて執(しう)をとどめず。もし、妙(たへ)なる色を見、勝れたる聲を聞き、かうばしき香を聞く時も、是、何の數にかはあらん。彼の極樂淨土のよそほひ、物にふれて、ましていかにかめでたからんと思ひて、此の世の樂しみにふけらず」とぞ云ひける。聖、此の事を聞きて、涙を流し、掌合はせてなむ去りにける。必ずしも淨土の莊嚴(しやうごん)を觀ぜねども、物にふれて理(ことわり)を思ひけるも、又、往生の業(わざ)となんなりにけり。
・「中比」そう遠くない昔。
・「まして」には①いっそう。なおさら。②言うに及ばす。言うまでもなく。の意があるが、この場合は①で、後に重い対象が措定されている。
・「寒熱地獄」八大地獄の内の極寒地獄と焦熱地獄を併称したもの。
・「惡道」通常は地獄・餓鬼・畜生道の三悪道(三悪趣)を指すが、この場合は地獄を指していよう。
・「よそほひ」様態。有様。趣。
・「莊嚴」浄土や仏を飾っているとされる最上の智徳や相好(そうごう:仏の身体に備わっている三十二相と八十種の美的な特徴。)のこと。
・「業」仏家の行い。修行。]
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