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2012/10/04

芥川龍之介「子供の病気」の謎の言葉「しほむき」解明!

昨日の夕刻、「TINA」様という未知の女性の方から、「しほむきについて」と題されたメールを頂戴した。
僕が九月二十九日のブログで、公開した芥川龍之介「子供の病氣」の中の、唯一つ、遂に正体の分らない語句として示した、芥川が用いた「しほむき」についての情報であった。それは、

これは、病気の乳児の多加志の額に芥川が唇を押し当てて熱を見るシーン、

『自分は色の惡い多加志の額(ひたひ)へ、そつと脣(くちびる)を押しつけて見た。額は可也(かなり)火照(ほて)つてゐた。しほむきもぴくぴく動いてゐた。』

とある「しほむき」である。一応、電子テクストの当該注では、

〇「しほむき」不詳。本来は「汐剥き」「塩剥き」で、アサリ・ハマグリ・バカガイなどを生きている時に剥き身にすること、また、そのものを言うが、「自分は色の惡い多加志の額へ、そつと脣を押しつけて見た。額は可也火照かなりほてつてゐた。しほむきもぴくぴく動いてゐた」という直後の描写からすると、額に唇を当てた際に視界に入る蟀谷(こめかみ)の青筋、静脈のことを言っているか? それとも剥き身の貝に近いというなら唇か? いろいろ調べてみたが、遂に分からない。識者の御教授を乞うものである。

と書いた「しほむき」である。

「TINA」様の御意見は――まさに目から鱗――であった。

「しほむき」はまさに芥川の「目」の前にあったのである――
子を育てたことのない僕には、「乳児」を間近に抱きしめたことの殆んどない僕には、気付けぬことであった――
謂わば、それは――
「目」を「むき」、そうだったかと、これを「しほ」に「頭」を隠したくなるような――
「子供」の『ひよめき』の如く、大人の僕の「目」が驚きで「ひよむ」くような――
そんな事実であったのである!

結論を最初に述べる。

――芥川龍之介が言う「しほむき」とは「ひよめき」=乳児の頭頂部前方(おでこの髪の生え際辺りの中央部)にある「大泉門」のことを指している――

私はこれを以って「しほむき」の謎は完全に解明されたと考えている。
以下、検証したい。

まず、「TINA」様のメールの一部を引用させて戴く(本日早朝、メール引用の許諾を頂いた)。


   《引用開始(アラビア数字を漢数字に代えさせて頂いた》
九月二十九日のブログ拝読しました。
全くの私見ですが、「しほむき」は「大泉門」のことではないでしょうか?
赤ちゃんのおでこの髪の生え際の少し上のあたりに、柔らかいぷよぷよした所があって、小さいうちはそこがひよひよと動きます。
大泉門は二歳ころには閉じると言われていますので、この時の多加志の年齢を考えると、まだ拍動していて、熱を見るために唇を近づければその動きは目に入ったと思われます。
私の母は、生きていれば九十四歳になりますが、大泉門のことを「ひよめき」とか、その場所が「ひよめいている」と言っておりました。
「しほむき」となんとなく通ずるものがあるかとも思います。
以上、ひらめいたままを書き、何の根拠もないことなのですが。
   《引用終了》
   *

「大泉門」という語は、不学にして初見であったが、赤ん坊の頭部にある柔らかい箇所というのには、流石に数少ない乳児を抱かせてもらった経験の中でうっすらとはあった。
「大泉門」を調べた(複数の育児・小児科等の医学的に信頼出来る記載に基づく)。

大泉門 英名 anterior fontanelle/anterior fontanel/bregmatic fontanel  ラテン語 fonticulus anterior
(私の所持する昭和二七(一九五二)年研究社刊田中秀央編「羅和辞典」によれば、“fonticulus”は「小さな泉」の、“anterior”は「前にある・先にある」の意で、和名はこれに由来する。“fonticulus ”の項には医学用語として「顖門」とも書かれているが、これは音「シンモン」で、この大泉門・ひよむきのことを指す。)
乳児のおでこの正中線を頭頂部に向かって触れてゆくと、頭髪の生え際より少し上の部分に菱形をした柔らかいぷよぷよした部分があり、これを「大泉門」と呼称する。これは乳児の頭蓋骨の発達が未だ十分でないために生じている複数の頭骨(頭蓋骨は左右前頭骨・左右頭頂骨及び後頭骨の五枚から構成されている)間の縫合部にある比較的大きな隙間(ブレグマ(Bregma):矢状縫合と冠状縫合の交点のこと。)であり、他にも後頭部上部に「小泉門」、頭部左右眼窩上部水平位置前寄り、大泉門から下がったところに一対の「前側頭泉門」、その同水平位置の後頭部下方(耳の十時位置)の小泉門から下がったところに一対の「後側頭部泉門」がある(分かり易い図は「川崎医科大学附属川崎病院」の広報誌「医療の話題 シリーズ 脳手術の今 第八回」の附図1「小児の頭蓋骨」を参照。但し、このページ自体には乳児の頭骨についての記載はない)。
育児関連サイト「e-育児」の「育児用語辞典 大泉門」によれば、これらの隙間は分娩時には骨と骨が重なり合い、結果として頭部のサイズを小さくすることが可能となり、狭い産道をも通ることが出来るという機能を持っているとする。触れるとぺこぺことして柔らかく、観察すると、心臓の拍動に伴って頭部の皮膚が脈打っているのが視認出来ることもあると記されている。「大泉門」は生後九箇月から十箇月までは増大するが、その後は縮小して生後十六箇月には頭皮上から触知出来なくなり、個人差はあるが、完全に閉鎖するのは大体二歳を経過した頃であるとする(後頭骨と左右の頭頂骨との間にある小泉門は生後一箇月で閉じる)。
なお、「大泉門」は他に、既に示したように、「顖門」や「顋門」とも書き(後者は音「サイモン」で、「顋」はあご・えらの意であるが、古くは頭骨と顎骨は一緒くたに表現された)、辞書類ではこれらも「ひよめき」と訓じている(勿論、当て読みである)。

さて、当時の芥川多加志は注で示した通り、本シークエンス内では生後六箇月である。従って「大泉門」は、はっきりと視認出来た。

さらに、当該部の描写に立ち戻るならば、

『自分は色の惡い多加志の額(ひたひ)へ、そつと脣(くちびる)を押しつけて見た。額は可也(かなり)火照(ほて)つてゐた。しほむきもぴくぴく動いてゐた。』

――芥川(未確認であるが彼の身長は私と同じ一六七センチメートルであったという。当時としては低くはなく普通の背丈である)は伯母に抱かれた多加志の額に屈む形で額に唇を押し当てて熱を計っている。
――その目線は多加志のおでこの上方髪の生え際の直近にある

そう、考えてこそ自然である。

即ち、熱を測る芥川の目の前にあったのは――

「大泉門」=「ひよめき」

であったのだ。

   *

次に、芥川がこれを「しほむき」と呼称している点について私なりの考察を試みる。

私の所持する昭和五〇(一九七五)年小学館刊「日本国語大辞典」の名詞「ひよめき」【顖門・顋門】の項には、

(ひよひよと動く意から)幼児の頭蓋骨で、骨と骨がまだ結合していないために呼吸のたびにひくひく動く頭頂の部分。頭のいちばんやわらかい部分。おどり。おどりこ。しんもん。
*雑排・野の錦「ひよめきへ雪を覚る峰の坊」
*歌舞伎・御摂勧進帳―二番目「まだひよめきも堅まらぬ態(ざま)をして」

と記載、続く「発音」の項には〈なまり〉として、

ヒクメキ〔山梨奈良田・壱岐〕

ヒコメキ〔岐阜〕

ヒョーメキ・ヒョーメギ〔千葉〕

フェトメギ・ヘトビキ〔秋田〕

フエメギ・フエメギ〔山形〕

ヘットビキ・ヘットメキ〔仙台方言〕

で、標準アクセントは以下の通り(現代京都のそれも同じ)。

低高高高
ひよめき

この「発音」の項の内、本所両国育ち芥川の母語としたものに最も近い可能性があるのは、千葉方言の、

ヒョーメキ・ヒョーメギ

である。

芥川は江戸っ子である。従って「火箸」を「しばし」と発音する世界に生きた。されば、この、

「ヒョーメキ」

「ショーメキ」
若しくは
「シーメキ」

と発音された可能性が考えられる。この内、「ショー」は「シォー」に音転訛し易いように私には感じられる。さすれば、

「しょーめき」→「しぉーめき」→「しおめき」

で「しお」は「塩」の訓に類似するから、表記が、

「しょーめき」は「しほめき」へ変わった

と考えても、強ち無理はないように思われる(そうした変化が容易に起こるという事実を言語学的学問として私が学んだという訳ではない。ただ、牽強付会でなく、本件とは無関係に、自分なら恐らく容易にそうする、という実感である)。
ところが実際に発音してみると分かるが、この「しほめき」は如何にも同発音の異義も見当たらず、しかも発音し難い(と私は大いに感じる)。
私は、熟語の形成と記憶とは、それ固有でありながら、発音が似ているか同一のものとの区別化から生じるものではないか、と考えている。総てが全く異なった固有発音では、我々の言語や記憶はパンクしてしまうから、ある程度、それぞれの語彙の中で相同類似発音の別な語へと傾斜する属性を我々の言語進化は持っているように感ずる。
しかも「しほめき」の下部音節の頭音は「メ」でマ行音、「ム」に音列が近い。すると、

「しほめき」に近い知られた語彙は――「しほむき」――とはなりはしまいか?

さて、

「しほむき」は「しおむき」で「汐剥き」「塩剥き」と表記し、アサリ・ハマグリ・バカガイなどを生きている時に剥き身にすること、また、そのものを言う

語である。
「ひよめき」の方言「ヒョーメキ・ヒョーメギ」は、潮干狩りで知られる千葉である。
芥川の育った本所両国のの直近、深川は、まさにアサリの剥き身を用いた深川飯で知られる。
即ち、これらの地域は、貝の「しほむき」が知られた一般名詞としてあった地域である(勿論、この私の仮説は千葉や本所深川から大泉門を「しほむき(しおむき)」と呼称した若しくはしている、というデータが求められなければならない。このブログの記載をお読みになった方で、それを傍証して下さる方が手を挙げて下さると、恩幸これに過ぎたるはない)。

つけ加えて、更に想像を逞しくするならば――

赤ん坊の凹んだ頭部で拍動する柔らかな「ひよめき」

生の貝の剥き身の感じ

との間に、連想関係がないとは言えないようにも思われる。いや、寧ろ、私は強い親和性さえ、そこに認められるように感じられもするのである。

   *

以上、私は小児科医でもないし、言語学者でもないし、最早、一介の国語教師でもない――しかし、

芥川龍之介が「子供の病氣」で使った「しほむき」とは「ひよむき」であり「大泉門」のことを指している

と断定することを最早、躊躇しないものである。

以上に基づき、私の芥川龍之介「子供の病氣」の当該注も訂正・加筆を施した。

   *

最後に。

六年の電子テクスト作業の中で、数少ないわくわくする体験の場を与えて下さった、

TINAさんへ――ありがとう!
“Here's looking at you, kid!”――君の瞳に乾杯!――

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