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2012/10/06

こんな夢を見た

本未明に見た、教師を辞して初めての教師夢である――

どこかの高等学校である……*
(*校舎の配置は僕の卒業した高岡市立伏木中学校であり、最後に辿り着く教室の位置は、僕が海塩粒子班として所属していた――馬鹿にしてはいけない、当時の中高等学校で海塩核の定点採取研究をしていたのは全国でも数校しかなく、中三の時の学生科学展では僕ら班員四人の研究が富山県で優秀賞を貰ったのだから、僕にとっては僕の数少ない栄光なのだから――理科部の部室のあった理科室に違いなかった。)

次の時間は、僕の現代国語の授業が2年8組であるのである……*
(*私は教員をやっていた若い頃、クラス・ナンバーを選べる場合は常に8を選んでいた。別に末広がりでもない。昔から好きな数字だからだ。敢て理由を言うなら「∞」記号を感じさせるから好きだったのである。)

ところが、この学校は校舎が三棟に分かれており、尚且つ、学年やクラス順に教室が配置されていないために、職員室を出た私は「2-8」になかなか辿り着くことが出来ないのであった……*
(*この以下のラビリンスのようなシーンはカフカ的である。最後には辿り着くが、何にやらん、カフカの「城」にも似ている。なお、僕が最後に勤務した学校は選択制の総合高校で、当初、次の授業がどの棟のどの部屋であるのか分からなくなって、走り廻った経験がある。しかもその学校も三棟に分かれて、しかも、崖に立てられている結果、一棟の二階が接続する二棟目は一階になっているという、如何にも奇妙な構造をしていた。)

……ある棟を上へと登って行く……と、馴染みの生徒たちがいる教室が幾つもあるのだが……それらはどれも「2-8」ではない……知っている男子生徒が廊下をうろつく僕を見つけて(まだそこの先生は来ていないようだ)、笑って手を振っている……「2-7」を見つけた……ところが……その向こうで廊下は行き止まりになっていて……教室がない……階段の脇に「2-9」や「2-6」という教室を見つけるのだが……が……その隣りは「3-1」だったり、「1-9」だったりするのだ……

……仕方がなく一階まで戻って、次の、中央にそそりたつ二棟目へ向かった……昇降口の脇に階段がある……ところが……その階段は垂直に直立した階段(いや、ただ壁に金属の桟があるだけのもの)であって、とても登れる代物ではない……が……体育が終わった男子生徒が戻って来ると……その垂直の階段を器用に登ってゆくのだった……僕は仕方なくロック・クライミングよろしく、垂直の壁面を攀じ登ってゆく……

……二階はガランとして人気がない……そこから上は普通の古びた階段になっているのだが……これも蜘蛛の巣が縦横に懸って、ひどく不気味でなのだ……それでも上へ上へと登ってみる……ところが……ただ、「く」の字、「く」の字に階段があるばかり……教室は……そこには……ないのだった……そうして……階段は……突然……ただの壁で……終わりになっていた……

……僕は仕方なく、たまたま見つけた外壁にある非常階段を下って、中庭へと出た……これはもう、三棟目に「2-8」があるとしか、思われないないのだ……

……庭の芝生に野外自然観察会から帰った生徒たちが座っている……
……おや? 彼らは「2-8」の生徒じゃないか?……
……これは、どういうことだろう?……
……僕は思わず、一人の女生徒に訊ねた……すると……
「――確かにね、今の授業は先生の現国、なの――でもね、今、あたしたち、帰って来た、ばっかなの――」
……と申し訳なさそうに言いながら……
……何故か……
……僕に、たっぷりのピーナッツ・バターを挟んだ大きなライ麦パンのサンドウィッチを呉れた……*
(*僕は、ぱさぱさしたライム麦パンは苦手で、ピーナッツ・バターも、むつこいから、実は好きではない。)

……芝生にしゃがんでいた別な一人の女生徒が……突然、僕の背後へと走り寄ってくる……そうして、僕のボンノクボの左側の筋を、その右手の親指で強く押した……垂直の壁を登ったりで、張り切って凝っていた肩が……彼女の一押しで……すうーっと……楽になった……*
(*「楽になった」という快感を眠りながら確かに首筋で実感していた。これを押した彼女は……僕は、実は……誰だか分かる気がしている……)

……僕は振り返って微笑みながら、その少女に、
「ありがと!」
と言った。少女は、
「どうってこと、ないよ! ショーグン!」
……と言った……*
(*これは「20世紀少年」の「オッチョ」の「ショーグン」かい? こんな渾名を僕は貰ったことはない。勿論、彼のように格好良くもない。しかし夢中の僕は「ショーグン」という渾名で呼ばれているらしいことは、その時の回りの子供たちの表情からも分かった。お笑いであるが、夢の中の事実なので仕方がない。悪しからず。豊川悦司好きの方よ――僕は彼の一重の目と薄い唇が生理的に好きになれない人間なのだが――お許しあれ。)

……貰ったサンドウィッチを頬張りながら、第三棟に入る……理科実験の化学薬品の匂い(酢酸系)の匂いが鼻を撞く……*
(*嗅覚夢は僕の経験の中では極めて珍しい。恐らく今までの人生では数度しか見ていない。)

……二階の奥の部屋へ……「2-8」だ……さっき芝生にいて、僕を見送っていたはずの子供たちが……どうやってそこへ来たものか……もう、それぞれに机に座って僕の授業を待っていた……

……教壇へ向かって歩いてゆく……と……甲虫を入れたプラスチック製の虫籠や、ガラス製の殺虫管を机に広げている男子生徒がいる……いや、見渡してみると……そんな男子生徒が……教室のそこにも……ここにも……あそこにも……いるんだ……

……僕は微笑みながら呟いた……

「……君も……君も、君も……昆虫少年……puer eternus――プエル・エテルヌスだ!……」

……しかし授業をしなくてはいけない! ということに今更ながら、気が付いたのだった……ふと見ると、僕は現国の教科書以外……閻魔帳も手製の授業案も、何もかも、なくしているのだった……
……しかも……僕は前の時間、どこまでやったのかを……思い出せないでいた……*
(*ここも、異様にはっきりと覚えているのだが、このクラスの授業は先週二時間、新学期の特別行事で潰れており、しかもそれが9月最初の授業であったのだった。従って、この「2-8」での現国の前の授業とは、なんと、7月の夏休み前の最後の授業であることを、僕はこの時の生徒の謂いによって、知ったのであった。なお、僕は、しばしばどこまで授業をやったかを忘れて、生徒のノートを覗くのを常としていた。居眠りや内職をしている前の方に座っている生徒にとって、僕は、頗る迷惑な存在であったのである。)

……ある女生徒がノートを見せてくれた……
……そのノートに書かれていたのは……
……中島敦の……「山月記」であった……
……そうして前の時間の板書の最後は……
……例の李徴の……あの詩で終わっていた……
……そう……この詩である。

……羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれてゐる樣を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たはつて見る夢にだよ。嗤つて呉れ。詩人に成りそこなつて虎になつた哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いてゐた。)さうだ。お笑ひ草ついでに、今の懷を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きてゐるしるしに。
 袁は又下吏に命じて之を書きとらせた。その詩に言ふ。

 

 偶因狂疾成殊類
 災患相仍不可逃
 今日爪牙誰敢敵
 當時聲跡共相高
 我爲異物蓬茅下
 君已乘軺氣勢豪
 此夕溪山對明月
 不成長嘯但成嘷

 

 時に、殘月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に曉の近きを告げてゐた。……

……僕は……
……僕の大好きな、最も自信のある「山月記」のそれであったが故、授業案なしでも、悠々出来ると踏んだのだった……そうして、

「じゃあ! 授業するぞ! まずはこの詩の解釈からだ!」

……と言った途端……
……ノートを見せて呉れた女生徒が、
「……せんせい……」
と……如何にも哀しそうに言いながら……
……彼女の腕時計を……腕をくるっと回しながら……僕に向けて見せた……
……12時35分だった……
……もう後……
……授業は……
……たった5分しか、残って、いないのだった………

――ここで僕は覚醒した。
――時刻は4時50分であった。
――何かしらん、哀しい気がした……

補注:「山月記」の授業は、僕にとって、漱石の「こゝろ」のそれと並ぶライフ・ワークであった。そうしてこの詩の部分は、李徴が死んでも死にきれないとして自分の詩の伝録を袁傪に望んで朗誦した直後のシークエンスであり――そしてまた――この直後から、あの宿命的な「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」の自己省察へと、一気に雪崩れ込むところなのだった――この夢……如何にも……如何にも……象徴的じゃあ、ないか。……因みに言っておこう。……僕は二年生を持つと、必ず「山月記」の全文朗読からぶちかました。……だから、僕の渾名の中には――「李徴」――という、僕にはとってもありがたい素敵なネーミングも……これ……あった、のである。……

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