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2012/11/03

耳嚢 巻之五 怪病の沙汰にて果福を得し事

 怪病の沙汰にて果福を得し事

 

 寶曆の頃、神田佐柄木(さえき)町の裏店(うらだな)に、細元手(ほそもとで)に貸本をなして世渡りせし者ありける、不思議の幸ひを得し事ありしと也。其頃遠州氣賀(けが)最寄に有德な(うとく)る百姓ありしが、田地も六十石餘所持して男女の僕も不少(すくなからず)、壹人の娘ありしが容顏又類ひなく、二八の頃も程過て所々へ聟の相談をなしけるに、年を重ねて不調(ととのはざ)る故父母も大きになげき、格祿薄き家より成共(なりとも)聟を取らんと種々辛勞(しんらう)すれど、彼娘は轆轤首(ろくろくび)也といふ説近郷近村に風聞して、誰(たれ)有て受(うけ)がふ者なし。彼娘の飛頭蠻(ひとうばん)なる事父母もしらず、其身へ尋れどいさゝか覺なけれど、たまさかに山川を見廻る夢を見し事あれば、かゝる時我首の拔出けるやといひて、誰見たる者はなけれども一犬影に吠るの類ひにて、其村はさら也、近郷近村迄も此評判故聟に成る者なく、富饒(ふねう)の家の斷絶を父母も歎き悲しみが、伯父成る者江戸表へ年々商ひに出しが、かゝる養子は江戸をこそ尋て見んとて、或年江戸表へ出て、旅宿にて色々人にも咄し養子を心懸しに、誰あつて養子に成べきといふ者なし。旅宿の徒然に呼し貸本屋を見るに、年の頃取廻し等も氣に入たれば、かゝる事あり承知ならば直に同道して聟にせんと進(すすめ)ければ、彼若者聞て、我等はかく貧しきくらしを成し、親族迚も貧なれば支度も出來ずといひければ、支度は我等よきに取賄(とりまかなは)ん間可參(まゐるべし)と進ける故、祿も相應にて娘の容儀も能(よく)、支度もいらざるといへるには、外に譯こそ有べしと切に尋けれど、何にても外に子細なし、但(ただ)轆轤首と人の評判なせる也との事故、轆轤首といふ者あるべき事にもあらず、縱令(たとへ)轆轤首也とて恐るべき事にもあらず、我等聟に成べしと言ひければ、伯父なるもの大きに悦びて、左あらば早々同道なすべしと申けれど、貧しけれども親族もあれば、一通り咄しての上挨拶なすべしとて、彼貸本屋は我家に歸りしが、いろいろ考みれば流石に若き者の事故、末々いかゞあらんと迷ひを生じ、兼て心安くせし森いせやといへる古着屋の番頭へ語りければ、夫(それ)は何の了簡か有るべき、轆轤首といふ事あるべき事にもあらず、たとひ其病ありとも何か恐るゝに足らん哉(や)、今纔(わづか)の貸本屋をなして生涯を送らん事のはかなきよといろいろ進ければ、彼(かの)若者も心決して彌々行んと挨拶に及ければ、彼伯父成る者大きに悦びて、衣類脇差駄荷(だに)其外大造(たいさう)に支度をなして、彼若者を伴ひけるが、養父母も殊外悦び、娘の身の上を語りて歎きける故、かゝる事有べきにあらず、由(よし)左(さ)ありとて我等聟に成上(なるうへ)は何か苦しかるべきと答へける故、兩親も殊外欣びて、誠にまろふどの如くとゞろめけるよし。もとより右娘轆轤首らしき怪敷いさゝかなく、夫婦目出度榮へしかど、またも疑ひやありけん、何分江戸表へは差越さず是而已(これのみ)に難儀する由、森伊勢屋の番頭が許へ申越(まうしこ)しけるが、年も十とせ程過て江戸表へ下りて、今は男女の子共も出來ける故にや、江戸出をも免(ゆる)し侍る故罷越(まかりこし)たりと、彼(かの)森伊勢屋へも來りて昔の事をも語りしと、右番頭予が許へ來る森本翁へ咄しける。森本翁も其頃佐柄木町に住居して、右の貸本屋も覺居(おぼえをり)たりと物がたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。富農美形故の風評被害とも思しいが、もしかすると、この娘には睡眠時遊行症、所謂、夢遊病の傾向があったのかも知れない。しかも、それも実は根も葉もない風評から来る精神的ストレスによって後付けで起こった小児性で一過性のものであった可能性も否定出来ない。何れにせよ、仮にそうであったとしても婚姻後は治癒している模様である。なお、ウィキの「ろくろ首」には『実際に首が伸びるのではなく、「本人が首が伸びたように感じる」、あるいは「他の人がその人の首が飛んでいるような幻覚を見る」という状況であったと考えると、いくつかの疾患の可能性が考えられる』として、神経内科疾患の例が述べられており、『例えば片頭痛発作には稀に体感幻覚という症状を合併することがあるが、これは自分の体やその一部が延びたり縮んだりするように感じるもので、例として良くルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」があげられる(不思議の国のアリス症候群)。この本の初版には、片頭痛持ちでもあったキャロル自らの挿絵で、首だけが異様に伸びたアリスの姿が描かれている』とあり、また。日中に於いて場所や状況を選ばず起きる強い眠気の発作を主な症状とする脳疾患由来の睡眠障害であるナルコレプシー『に良く合併する入眠時幻覚では、患者は突然眠りに落ちると同時に鮮明な夢を見るが、このときに知人の首が浮遊しているような幻覚をみた人の例の報告がある。片頭痛発作は女性に多く、首の伸びるろくろ首の記録のほとんどが女性であることを考えると、これは片頭痛発作に伴う体感幻覚の患者だったのかもしれない。また、首の浮遊するろくろ首の例の報告はそのほとんどが睡眠中に認められていることから、通常の人が体験した入眠時幻覚であったのかもしれない』と記す。

・「寶曆」西暦一七五一年から一七六三年。執筆推定下限の寛政九(一七九七)年からは凡そ四十八年から三十四年前の話柄となる。

・「神田佐柄木町」現在の千代田区の昌平橋・万世橋の南にあった町。幕府御用御研師(おとぎし:刀剣の研磨師。)佐柄木弥太郎(駿河国有渡(うど)郡佐伯木(さえき)の出身で徳川家康から研師頭を命じられた二代弥太郎が江戸に移住した)の拝領町屋だったことに因む。

・「遠州氣賀」旧静岡県引佐(いなさ)郡(現在は浜松市)細江町内にあった村。

・「轆轤首」「飛頭蠻」も妖怪ろくろ首のことを言う漢語(但し、飛頭蛮は本来は特定の実在する異民族を指す言葉であったともされる)。ろくろ首の文化誌について語りたいところであるが、語り出せば私の場合、収拾がつかなくなる大脱線へと発展することは必定で、そもそも本件の「轆轤首」娘は全くの風評被害者であることからも、ここはよく書かれているウィキの「ろくろ首」をリンクするに留める(そこでは本話も語られ、陰惨で不幸な結末を迎える話が殆んどの轆轤首伝承の中でも稀有のハッピー・エンドの例として揚げられている)。

・「たまさか」ここは勿論、副詞で「まれに・たまに」の謂い乍ら、読者には「魂離(たまさか)か」のニュアンスも与えて、話のホラー性をわざと完全払拭しないようにしているように私には思われる。

・「一犬影に吠るの類ひ」は「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」という故事成語。一匹の犬が何でもない物影に向かって吠え出すと、その声に釣られて百匹の犬が盛んに吠え出すように、一人がいい加減な事を言い出すと世間の人がそれを本当だと思い込み、尾ひれが附いて次々に言い広められてしまうことの譬え。「影」は「形」とも、「百犬」は「千犬」「万犬」とも。後漢の二世紀中頃に王符の書いた「潜夫論」に基づく。「一犬虚を吠ゆれば万犬実を伝ふ」とも言う。

・「富饒」富んで豊かなこと。また、そのさま。「ふぜう(ふじょう)」と読んでもよい。

・「取廻」身のこなし、立ち居振舞いのことで、彼の挙措動作の如才ないさまを言っている。

・「はかなきよ」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『はかなさよ』とあり、筆者の際の誤字であろう。

・「駄荷」駄馬で運ぶ荷物。

・「大造(たいさう)」「大層」の当て字であるが、「大層」は歴史的仮名遣では「たいそう」となる。

・「由(よし)左(さ)ありとて」と一応訓じておいたが、意味が通じないので、脱落が疑われる。底本では「由」の右に『(縱)』と傍注する。これならば「縱(たとひ)」でよろしい。これで採る。

・「まろふど」漢字では「客人・賓人」と書き、「まらひと」の音変化(古くは「まろうと」)。訪ねて来た客人の謂い。彼の出現によって「轆轤首」の少女が救済される本話から見ると、後に民俗学で折口信夫が用いた、異郷から来訪する神を指す「まれびと」をも連想させて面白い。

・「とゞろめけるよし」底本には右に『(尊經閣本「とり卷ける由」)』とある。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『なしけるよし。』で、これで採る。

・「右娘轆轤首らしき怪敷いさゝかなく」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『右娘轆轤首らしき怪事聊(いささか)なく』とある。これから察するに本文は「右娘轆轤首らしき怪敷(あやしき)事いさゝかなく」であったと捉え、「事」を脱字として補って訳した。

・「またも疑ひやありけん」それでも、両親は聟を江戸に出すと、ろくろ首の風評を嫌ってそのまま戻って来なくなるのではないかという疑いがあったからであろうか、の意。

・「森本翁」不詳。本巻までには登場していない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 怪しき病いの風評を恐れず果福を得た事

 

 宝暦の頃、神田佐柄木(さえき)町の裏店(うらだな)にて、細々と貸本を致いて渡世して御座った若者があったが、その者、不思議なる幸いを得たという話で御座る。……

 

……その頃、遠州気賀(けが)の近くに裕福なる百姓が暮らしており、田地も六十石余りも所持致し、男女の下僕も少なからず雇うて御座った。

 この百姓には一人娘があったが、その容貌がこれがまた、類いなき美しさにて、十六をも過ぎたによって、あちこちに入り聟(むこ)の相談をなしたところが、年を重ねても一向にうまく纏まらぬ故、父母も大いに嘆き、

「……かくなる上は格式の低き家でにてもよい故、ともかくも聟をとらずばなるまい。……」

と、いろいろ算段した上、大変な苦労を致いた……が……にも拘わらず……

『……かの娘は……これ……轆轤首(ろくろっくび)じゃて……』

……という奇体な噂が、これ、近郷近在に秘かに流布して御座ったが故――誰(たれ)一人として聟にならんと請けがう者、これ、御座らなんだ。

 『あそこの娘は飛頭蛮じゃ』という益体(やくたい)もない噂があること、これ、遅まきながら知った父母は、吃驚仰天、ともかくもと娘自身を質いたところ、

「……聊かも覚えは御座いませぬ。……なれど……たまに――魂が抜け出でたような感じになって、山川を上から見廻(めぐ)る――といった夢を、これ、見ることが御座います。……もしや……そのような折りには……妾(わらわ)が首……これ……抜け出でてでも……おりますのでしょうか?……」

と、恐ろしきことを申す。

 実際には――その娘の首が抜け出て飛びゆくのを見た――なんどと申す者は、これ、誰一人として御座ない。

 しかし、『一犬影に吠ゆれば万犬吠ゆ』の類いにて、その村は申すに及ばず、近郷近在の諸村までも、この奇怪なる流言の蔓延(はびこ)ったが故、聟にならんと申し出る者、これ、やはり全く以って御座らなんだ。

 父母は、豊饒(ほうじょう)なる家系もこれにて断絶致さんとするを、ただただ嘆き悲しんでおるばかりで御座った。

 そんな折り、娘の伯父なる者、毎年一度は江戸表への商いに出向いて御座ったが、

「……かかる聟養子は、これ、江戸表にてこそ尋ね求むるに、若くはない――」

と思い定めて、その年、江戸へ出た序で、旅宿(はたご)にては、いろいろな人にも姪の入り聟の話を致し、上手く養子縁組の話にまで誘ったり致いたのだが――これ、養子もさることながら――あまりに上手過ぎる話なればこそ――やはり、誰(たれ)一人として養子になってもよいと申す者に出逢わずにおった。

 そんな江戸商いの一日(いちじつ)、仕事も一段落致いたによって、旅宿(はたご)にての退屈しのぎに何ぞ読まんと思うた彼は、宿へ貸本屋を呼んだ。

 と――その貸本屋の男――年の頃風体(ふうてい)と申し、その挙措動作と申し――これ、大いに気に入って御座った故、

「……しかじかの訳にて、もし、承知ならばこそ、今直ぐにでも同道の上、聟に成さん心づもりじゃが?!」

と慫慂致いたところ、その若者も話を受けて、

「……我らは、この通り……貧しき暮しを致いて御座いますれば……その親族と申す者どもとて……これ、揃いも揃って貧なれば……聟入りはおろか……旅の支度さえも、これ出来申しませぬが……」

と、やや話に惹かれた風情なればこそ、

「何の! 支度なんど! これ、我らがよきに取り計ろうて存ずる故! どうじゃ? ご決心の上は、今すぐにでも参ろうぞ!」

と頻りに勧めた。ところが逆に若者はその性急さを不審にも感じ、

「……先様の御家禄も相応に御座って、その娘御(むすめご)の器量も良く、しかも入り婿の支度もいらざると申さるるは……これ、何ぞ、他に……訳が、御座いましょうな?……」

と、逆に、切(せち)にその訳を伯父なる男に質いてきた。

 当初は、

「……いや! これといって外に……仔細なんどは……御座ない……」

と口を濁しておったものの、流石に隠し切れずなって、

「……その……実は……益体もない話じゃが――『ろくろ首の娘』――と……まあ、その、近在にて、人の噂が立って御座ってのぅ……」

と白状致いた。すると若者は、

「ろくろ首なんどと申すものは、これ、あろうはずも御座らぬ! なればこそ、たとえ『轆轤首じゃ』と申す風聞、これ御座ろうとも、我らこと、一向に恐るること、御座らぬ。――我らが――聟になりましょうぞ!」

と請けがった故、伯父なる男は、これ、大悦びにて、

「されば!! 早々に同道致そう!!」

と申したが、若者は、

「……我ら、貧しくて御座るが、親族もあれば、まずは一通り、かくかくなればこそ、かくなったると、その者どもへも話しおかねばなりませぬ。」

と、約を違えぬことを請け合って、かの貸本屋の若者は取り敢えず我が家へと帰った。

 しかし、この貸本屋の青年――流石に未だ経験も浅い若者なればこそ――いろいろ考えるうち、

『……ここで約束致いてしまってから……行く末の我が身が如何になるやらも、これ、分からぬ……』

と思い始め、大いに迷いを抱く仕儀と相い成った。

 そこで、兼ねてより心安くして御座った、町内にある森伊勢屋と申す古着屋の、その番頭へ、この度の一件を相談致いたところ、

「それはそれは! 何の迷うことがあろうか! 轆轤首なんどと申すあやかしのおろうはずは、これ、御座ない! たとえそれが、少しばっかり首が延びると申すが如き、ただの珍奇なる――病いとも言えぬ病い――であったとしてもじゃ、これ、何ぞ、恐るるに足らんや、じゃ!……第一、お前さん……今時、こんな、しがない貸本屋をなして、一生を棒に振る……ああっ、それこそこれ、哀れじゃ!!」

と、逆に背中をど突かれるて御座った。

 かの若者も、かく言われた上は、はっきりと心を決め、直ちに旅宿(はたご)へと赴き、

「さても――参りましょうぞ!」

と挨拶に及べば、かの――首の天にも昇らん程に――待って御座った伯父なる男は――首の宙に翔ばんが如く――大悦び致いて、衣類・脇差・その他諸々の品々を、ご大層に買い調えて駄馬に荷(にな)い附けるや、若者を遠州気賀の里へと連れ帰って御座った。

 養父母――娘の父母――も殊の外に悦び迎え、哀れなる娘の身の上を語っては嘆き悲しむ故、若者は、

「……そのようなことのあろうはずも御座いませぬ。御父上、御母上、たとえそのような――病いとも申せぬ病いのようなることの――事実として御座ったとしても――我ら、聟となること、これ、何の差し障り、これ、御座いましょうや!!」

と鮮やかに答えた。

 娘は勿論のこと、両親も殊の外悦んで、まっこと、歓待の遠来の貴人の客人――いやさ、妖怪轆轤首も惚れ込むが如き――異界の貴公子を迎えたが如く、これ、歓待致いて御座った。

 もとより、この娘には轆轤首と噂さるる如き怪しい出来事なんどは、これ、微塵も御座らず、夫婦仲も頗る良く、百姓一家も大いに栄えた。

 それでも、妻やかの両親は、聟を江戸に出すと、やはり、ろくろ首ならんとした昔の風評を、もしや思い出しては嫌ってしまい、そのまま戻って来ずなるのではなかろうか、という疑いが御座ったものか、暫く致いて、若者は、

『……何分にも如何に申したれど、江戸表へ参る儀は、これ、父母妻女の許し、これ御座無く、これのみは甚だ難儀致し候……』

と記した消息を例の森伊勢屋の番頭に送ってよこしたとかいうことで御座った。

 が、それから十年ほども過ぎた頃、今は富農の跡取りとなった――かの若者、江戸表へと下って参り、

「……今は、既に男女の子(こお)も出来ました故に御座いましょうか、このように江戸出をも許しが出ました故、罷り越しまして御座います。……」

と、かの森伊勢屋の番頭を訪ねて、昔話に花を咲かせて御座ったという。……

 

……これは、その森伊勢屋番頭本人が、私の元へ参らるる森本翁へ直接、話した話、とのことで御座る。

 森本翁も、その当時は同じ佐柄木町に住まいしておられた故、

「……いや、確かに、その貸本屋の若者と申す者も、よう、覚えて御座いまする。」

と語っておられた。

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